ぬけヨガ神戸◎しちみのブログ ~猫とさかな通信~

神戸でヨガと畑、始めました♪
ヨガで深まる心地よさを共有したくてぬけヨガクラスやイベントしたり、畑で野菜を育てたり~◎

水と空と緑濃い畑

2016-08-26 | 小さな無農薬畑のこと
こんにちは!
ぬけヨガ神戸の、しちみです。

いや〜、しかし雨が降りませんね。
……って、「降ってるよ!」という地域の方もいらっしゃるのはわかっているのですけれども、
このあたりのごく狭い範囲、電車で言う5駅分くらいを楕円でぐるっと囲んだあたりのところは、
ほんと、梅雨明け前ぐらいからちっとも雨が降らないのです。

雨予報がでるたびに期待しては、
やっぱり降らずに晴れマークに変わっている、
みたいなことを繰り返す夏。
(これをわたしは『降る降る詐欺』と呼んでおります……古っ!)

もうね、雨予報が出ても、ひっかからなくなりましたよ、ええ。

公園に咲くひまわりも、肩を落としてうなだれているように見える夏。
畑の野菜も、カラッカラに乾いた土のうえで、
「水くれ〜」と訴えているような気がします。

というか、
「水、水〜」の声が聴こえるような気がして(笑)、
暑くてごろごろしていたい休日も、
むくっと起き上がる夏ですよ、夏(もう秋ですけれども)。

むくっと起き上がって、
朝いちばんの電車で畑に向かっても、
畑方面行きの電車の始発は案外ゆっくりで、
早起きが得意ではないわたしでも間に合うくらい。
ので、畑に着くころは、空に太陽がギラリです◯

それでも昼日中にくらべればうんと涼しくて、
水を撒いて撒いて撒いて水たまりができるくらい撒いて、
キュウリにゴーヤー、茄子、トマト、オクラ、インゲン、長豆、ズッキーニ……
たわわと実ってぴかぴかしているのをいただいて、
青紫蘇、赤紫蘇、エゴマ、バジル、ツルムラサキ……
ふぁっさふぁさの葉ものと新芽を必要なだけ摘ませてもらって、
強く生えてくる"雑草"を掻いて野菜の根元に寄せ置いて、
自分が倒れる前に引き上げます。

ほんとはもっと「水、水、水〜っ」と求められているような気もするけれど、
わたしのほうが、先に水切れです(笑)。
熱中症の予兆と言われる心臓のドキドキが少し早くなり始めたり、
ちょっとクラっとしそうな気配が感じられたり……
バタッといく前に、「またすぐ来るからね〜♪」

それにしても、植物は強いなぁとつくづく思います。

夏の野菜はもともと太陽が大好きで、暑くてこそ!なのでしょうけれど、
青い空に向かってツルを葉を茎をめいっぱい伸ばし、
そのぶん、土中でも根っこをひろく深くこまやかに張り巡らせて、
降らない雨の足りない水分を補っているものと思われます。
葉っぱに細い細いヒゲを生やして、
空気中の水分を取り込めるようにしていたり。

水不足に弱い野菜もあるけれど、
しおしおしお……としおれているように見えても、
水を撒いてしばらく経つと、シャキンッ!と元気に戻っていたり、
下の葉を枯らせて実らせて、次のちいさな葉っぱを用意していたり、
「おおお〜〜☆」なことばかり。

繊細にしておおらか
精密にして強靭
黙々と根を張りゆたかに実らせ、
風に吹かれてさわさわ歌いしなやかに揺れ、
同じ場所で葉や茎、ツルの向かう先を工夫し、
他の生物を生かし生かされ、
葉影はすゞやか。


おおお、なにかものすごく、
理想
ではないですか……(笑)。

夏の畑は賑やかで、
のびやかで、
あかるくて、
気前がいい。
そして、
すごくやさしいなぁと感じます。

日を追うごとに空や雲の配置は秋へと向かい、
トンボがついーっ、ついーっと飛んできては遊びに誘います。
隣や向こうの畑では、すでに秋冬野菜の準備が始まっています。
わたしの畑はことしもまた、
ひとり最後まで夏の名残を惜しむ濃い緑のモザイク模様になりそうです(笑)。

”スウェット・ロッジ”という体感

2016-08-23 | 日々の暮らしの営みこそたのしくゆたかに♪
こんにちは!
ぬけヨガ神戸の、しちみです。

毎月第1水曜と第3水曜の午後、神戸市垂水区塩屋のflagさんをお借りして、
ぬけヨガを共有しています。
9月は『涼を取り込む』をテーマに、
呼吸にあわせてしっかり動いていきたいなぁなどと考え中。
夏の熱を芯から手放して、季節の変わり目をバランスよく過ごせたら……の気持ちです◎

9月は7日(水)と21日(水)、いずれも14時30分〜と16時30分〜の2クラス。
詳しくは、アトリエfのfbページ、もしくはブログのこちらのページからどうぞ☆

ほぼ毎週土曜日の18時30分から神戸市垂水区にあるアジュール舞子の浜にて、
『浜宵ヨガ』もやってます☆


この夏、このあたりはまったくと言っていいほど雨が降らなくて、
なぜかお盆を過ぎてから猛暑がやってきています……^^;
立秋を過ぎ、二十四節気では今日が『処暑』、
吹く風の気配は確かに変わってきているのを感じるのですけれど、
もわ〜んとした熱気は夜中まで健在です。
すぅっと涼しくなるのは、いつのことやら〜♪

そんな暑い週末に、『スウェット・ロッジ』なるものに行ってきました。
スウェット・ロッジ……汗をかく小屋。
アメリカ・インディアンの儀式に用いられる『祈りと浄化の場』。

いままでも、
ネイティブ・アメリカンの物語や箴言集、
映像や言い伝えなどに触れる機会はありました。

ネイティブ・アメリカンに憧憬のようなものを抱いている知り合いも少なからずいたりもし、
野外フェスなどの場でティピのなかに座って、火を囲んで、
深い体験談をきいたこともあります。

みなさんも耳にされたことがあるように、
わたしもそういった話のなかで、
『ビジョン・クエスト』や『サンダンス』ということばとともに、
『スウェット・ロッジ』というものについても耳にし、
なんとなく興味を持っていました。

ことしの3月ごろ、
友人が夏にその『スウェット・ロッジ』に行くかもしれない、
とぽろりと言いました。

「日本で?」
「そう、日本で。車で行けるよ」
「わぁ……」
「よかったら、いっしょに行く?」
「行きたい!」
「じゃあ決まったら、連絡するね」

わぁ………!!!
なんだかすごい話に、ドキドキです。
わたしは行くことが"決まる"のを心待ちにして、
実は『浜宵ヨガ』の日程も、
その日は空けられるように「未定」にしていました(笑)。
そして8月の新月の日に「行くことになったよ〜」と言われ、
つい先日、本当に、行ってきたのです。
わーーーーーっ♪


スウェット・ロッジ。
真っ暗闇
焼けた石
ふりかけられる水………蒸気

祈り
浄化

いろんなキーワードが頭のなかをぐるぐるして、
でも実際にはどのように行われるのかも知らないまま、
その日、わたしはスウェット・ロッジに入りました。
(スウェット・ロッジの意味、そこですること、しないことなど、
初心者向けのガイダンスは主催の方から説明がありました)

狭い小屋のなかにぎゅうぎゅうと座り、
真ん中の穴に赤く焼けた石が運び込まれる。

薬草が燃える石の上で香りと煙となり、
光は閉ざされ、
ドラムが鳴らされる。

水蒸気が何度もあがり、
熱気が押し寄せ、
祈りのことばが空へとつながっていく間、
体中からひっきりなしに汗が吹き出し続ける。

休憩を挟みながら、
焼けた石は4度運び込まれます。
この「4」という数字に大きな意味があり、
ものすごく大切にされ、重視されているのだそうです。
石が運ばれるごとに、幼少期⇨青年期⇨壮年期⇨死と再生とそれぞれのラウンドの意味は変化し、
圧倒的な熱が一瞬にして立ちのぼる「死と再生」のラウンドは、
ドラムと歌と祈り……
息も吸えないほど迫りくる熱に皮膚が粘膜が肺が焼けてめくれるのではないかと………


休憩で外に出るたび、
水を飲み、
わたしはシャバーサナのように横たわっていました。
横たわるごとに、
さらにはすべてのラウンドを終えてぐったり倒れこんだあとも、
不思議なほどまたむくむくと元気が戻ってきました。
大地と、空と、火と、水と、祈りと。
すべてがわたしに気を送り込んでくれているような、
ありがたいなぁ、という感覚。

シンプル。

もしかしたら、「いのち」とか「生きてる」みたいなものは、
ものすごく複雑でいて、
シンプル
なのかもしれないなぁ、
なんて思ったり。

だからこそ。

スウェット・ロッジには、
火、水、空気、土という自然界を構成する要素にプラスして、
薬草やタバコが使われます。

また、祭壇にはバッファローの頭骨や毛皮があったり、
小屋のなかに鳥の羽根を挿したり、
エルクの角を使ったり、
熊など動物の皮の張られたドラムを響かせたり、
動物由来のものも多く登場します。

すべてとつながっている、という意味なのだそうです。

ふだん触れたり目にすることのほとんどない、
動物の骨や皮が身近にあることに、
儀式としてタバコを吸うことに、
うわっと一瞬、抵抗感があったりもしたけれど、
おそらく長い歴史と文化のなかで育まれたもの。
それらの象徴する意味など知らなくても、
あるいは意味を教わったうえで理解できなかったとしても、
その場にいる限りは、まるっと受け入れてすべてを委ねる。

未知のわたしという存在を
"その場"は一瞬の抵抗感すら示さずに、
受け入れてくれている。

この"つながり"。




初日のスウェット・ロッジは、
文字通り初めてのことばかりで、
何がそこで行われているのか、
どのような手順ですすむのか、
じっと観察をしている自分がいました。

あとどれくらいだろうと時間を追うことはなく、
暑くてたまらない瞬間も、
「なるほど、暑いときいていたのはこのことか」と思い、
頭が屋根につかえるので姿勢を丸くしているのがしんどくなってきたときも、
「なるほど、わたしはいつも背中をまっすぐにしていたいのだな」と気づき、
聴こえるか聴こえないかくらいの声で呟かれる誰かの祈りの旋律に調和し、
初めて聴く歌に声を合わせ、
ひたすら"いま"という瞬間を感じながら『スウェット・ロッジ』にいて、
同時に俯瞰し観察していたように思います。


2日目のスウェット・ロッジは、
気づけば自分に集中していました。
そういうことをしていいのかどうか不明ですけれども、
どこか瞑想しているような感覚。

しかもひとりで瞑想しているのではなく、
その場にいるみんなとつながって全体として瞑想しているような、
その場にあるものすべてとつながって、
ものすごくおおきなところで瞑想しているような感じもあって、
口にする祈りもことばとして発さなかった想いも、
何もかもがひろがりつながりどこかにちゃんと届けられたような、
初日とはまた違う、体感がありました。


わたしは当たり前のように2日間続けてスウェット・ロッジを体感させてもらったのですけれど、
これはなかなかない経験なのだそうです。
通常は、1回だけなのだとか。

おお、ここでもめちゃくちゃめぐまれている!

ふだん親しんでいるヨガや瞑想、
学び始めたばかりのインド哲学とはまた違った、
それでいて通底するものを感じた、スウェット・ロッジ。

ヴィパッサナーで得たものは、
ちゃんとここにつながっていて、
またどこかへめぐっていくのでしょう。


そしてヨガを学んでいるときも、
ヴィパッサナーでの10日間のあとも、
今回のスウェット・ロッジでも思ったのは、
「ここで体感したもの、学んだすべてを日常に持ち帰って実践しよう」
ということ。

せっかく素晴らしい智慧を教わったり、
ひろがっていく体感を得たり、
多様なつながりのうつくしさを少しでも知ったなら、
それを頭のなかや自分のなかに収めておくだけではなく、
生活の中で活かしたい。

いま目の前にいる人との関係で、
いまいる現実のなかで、
イライラしたり、
トゲトゲしたり、
シットしたり、
意地悪されたり、
ムッとしたり、
いろんなことのある日常のなかで、
地味にちいさく少しずつでいいから活用したい。

いまこの瞬間を存分に生きていたい。

だからこそ。


スウェット・ロッジに誘ってくれた友人、
同じ車で連れて行ってくれた友人ファミリー、
スウェット・ロッジを維持しているご夫妻、
現地で何かとガイドしてくれた初対面の友、
………ありがとう!!!

雨の降らない夏に観る『地球に落ちて来た男』

2016-08-16 | 日々の暮らしの営みこそたのしくゆたかに♪
こんにちは!
ぬけヨガ神戸の、しちみです◯

毎月第1水曜と第3水曜の午後、神戸市垂水区塩屋にあるすてき空間flagさんをお借りして、
ぬけヨガを共有しています。
8月は『風通し』をテーマに、熱さのこもった想いやからだを動かして、
風通しよくなってもらえたらなぁ、の気持ちです◎

次回は8月17日(水)14時30分〜と16時30分〜の2クラス。
詳しくは、アトリエfのfbページ、もしくはブログのこちらのページからどうぞ☆

ほぼ毎週土曜日の18時30分から神戸市垂水区にあるアジュール舞子の浜にて、
『浜宵ヨガ』もやってます☆
次回は変則、土曜日ではなく金曜日、8月19日(金)18時30分からごろごろスタートです。
公園管理事務所から海を見て左手に大階段をタラタラッと降りたあたりの波打ち際で、
こぢんまりとやってます。
場所がわからない方は、遠慮なくメールしてくださいね〜♪
(k15catfishwill☆gmail.com  ☆を@に変えてどうぞ)

こどもや学生のみなさんの夏休みはまだまだ続くみたいですけれど、
おとなのみなさ〜ん、夏の休み時間はいかがお過ごしですか〜♪
夏といったって、すでに立秋を過ぎて空気は変わり、
とはいえやっぱり暑いので夏気分……を味わえるのも、あと少し。
毎年思うことですけれども、『夏は、短い』っ。

ワタクシはと言えば、
地の利を活かして夕方ごろからひっそりこっそり海でぷかぷか浮かんだり、
過酷な太陽のもと干涸びそうな畑の野菜の水やりにせっせと通ったり、
過酷な太陽にさらされたお疲れ肌をたまには温泉でたぷっとゆるめたり、
ご褒美のキュウリやゴーヤー、ズッキーニ、茄子、トウモロコシ……
めぐまれた夏野菜をふんだんにいただいたりしております。

うちにはテレビがないので、
リオデジャネイロの五輪や高校野球を観る機会はほとんどなく、
そのぶん、少しは涼しく過ごせているのではないかと思ったり(笑)。

ことしの夏は、涼しいうちに起きてあれこれする、という新習慣も加わりました。
なるほど多くの方がおっしゃる通り、夏の早朝は快適です☆
日々、太陽の位置が変化していくのも実感できます。
ゴエンカ氏の言うところの「アニッチャ〜」です。

ことし亡くなったデヴィッド・ボウイの主演作
『地球から落ちて来た男』の上映があったのも、夏の映画イベントでのことです。

むかしむかしに、まだDVDにもなっていないこの映画を借りて観た記憶があるのですけれど、
何台ものテレビを並べて同時に観る、という場面くらいしか覚えていなくて、
それではあまりに残念なので、この機会に観てきました。

………せつなくて、こころが、しんとしたままでいます。
むかしむかしのわたしは、この映画に何をみていたのでしょう。
デヴィッド・ボウイの訃報に接したとき、
思わず「また地球に落ちてきたらいいのに」と口をついて出ました。
なんてひどいことをつぶやいていたのだろうと、いまなら思います。

非常に有名な作品ですので、みなさんよくご存知だと思いますけれど、
地球にやってきたひとりの宇宙人が、
ある大切な目的のためにいくつもの特許をとり、
大企業を買い取り、事業を拡張し、
莫大な財を築いていきます。

どれだけ富を得ても、
"彼"の目的は地球では果たせないし、
しあわせは、ここにあって、ここにない。
"彼"の星がどうなっているのかもわからない。
だけど、"彼"は出逢った地球人を信頼し、愛し、
「私を信頼して」と頼むことしかできない。

"彼"は言います。
「私には誰も嫌うことはできない」

テレビで地球を見て、
水の惑星だと思ったからこの地球にやってきた。
けれど、その地球で"彼"は知ります。
「テレビはすべてを映さない」

水を飲んでいた"彼"は、やがてジンを手放せなくなり、
何台も並べたテレビを前に、徐々に"精神"を蝕まれていきます。

巨万の富を我がものにしていく"彼"を
おもしろく思わない人たちも当然いて、
宇宙へ旅立つ直前に、
彼らは強硬な手段に出ます。

抵抗する術をもたない人に対する、
圧倒的な力。

なんだろうなぁ、この作品は。
やさしさに満たされていて、
醜さに満ちている。

愛しているけれど、
いまはまだ愛を得ることはできない。

世界は美しいのに、
そこに住む人は残酷で満足することを知らない。


1976年の作品……ということは、40年前かぁ。
もう一度、映画館で観たいなぁ。
未見の方には、ぜひ!と勧めたいけれど、
『万人向けではない作品』なのだそうです(笑)。