ぬけヨガ神戸◎しちみのブログ ~猫とさかな通信~

神戸でヨガと畑、始めました♪
ヨガで深まる心地よさを共有したくてぬけヨガクラスやイベントしたり、畑で野菜を育てたり~◎

ミエナイチカラ

2021-01-05 | 日々の暮らしの営みこそたのしくゆたかに♪

冬だから寒いのは当たり前なんですけど……毎日、寒いですね😆

今週末には最高気温2度の日もあるのだとか。

いやいや考えまい、考えたところで暖かくなるわけでなし、いまから震えていても仕方ない。

と思いつつ、つい最高気温2度の世界を脳内予行演習してしまう。

毎年、そんな気温になるんでしたっけ……(と、毎年、思う自分に、毎年、驚く)。

 

さてさて、いろんなことのあった(そして“なかった”)2020年。

いつももらってはがりのワタクシですが、秋の始まるころ、うわぁ🤍と心浮き立ち、眩しくて頼もしくていつだって未来は明るいなぁと思えるギフトが届きました。

いま思っても、最高だなぁと嬉しくなります。

本当に、ありがとう。

ありがとうありがとう💫

 

いまだってそうですが、子どものころから日焼けしやすい体質(肌質?)だった私は、夏休みの終わるころになると、脛や肩をピカピカ黒光りさせながら、去りゆく夏の影や長いお休みとのサヨナラに、なんとなくもの悲しいような心持ちになっていたものです。

見た目は焦げるほど焼けて健康的、その心は少しばかり憂鬱でセンチメンタル。

そんな季節に私の誕生日はめぐってきます。

 

去年の夏は、インドにいる予定でした。

受講するクラスへの申し込みも完了し、受講期間プラス2週間くらいはどうにかインドにいられるようにしたいなぁと、夏から秋にかけてのあれこれに暢気に考えをめぐらせていました。

早めにairの手配をしておこうかなというころになってcovid-19がひろまり始め、どう考えても半年や1年で終息することはないだろうと、早々に内心では諦めていました。

それでも申し込んでいたクラスの中止決定の通知がきたときには、やはりがっくりきて、次はいつ行けるんだろう……なんて寂しい気持ちになったりもして。

 

そして、日本の夏がやってきました。

海水浴も、花火もない、静かな夏。

オンラインで教えてくれる先生がいて、浜yogaに来てくれる人がいて、畑では茄子やゴーヤーがぐんぐん育っていく。

いなかったはずの日本にいる私は、なかなかよい時間を重ねつつ、さて何をどうしようと考えていたところ、閃いたのが「インドに行けなかったぶん、私の誕生日にアンナダーナン(食事の提供)をしよう🎵」ということ。

 

ヴェーダの文化では、アンナダーナンは「隙あらばするといいよ」と大お勧めされていることのひとつです。

 

前から素晴らしいなと思っていた『はんぶん大人食堂』さん(“こども食堂”には行けないけれど、まだ大人でもない人たちに、孤食ではない環境で気軽にお腹いっぱい食べてほしい、という趣旨のもと、通常営業とは別に、商売ではない“食堂”を個人でされている)に、私の誕生月の8月にアンナダーナンをさせてほしいと、いきなり相談にいったところ、初対面にもかかわらず、気持ちよく引き受けてくださいました。

 

そして、ミラクルが起きます✨

 

困っている留学生への食事支援をしたいと考えている学生さんたちが、どうすれば実現できるかの視察も兼ねて食事にいらしたそうです。

あれこれお話をされ、帰るときに、お店の方が「今日の食事はサービスですよ」と、アンナダーナンのいきさつを話してくださったのだとか。

後日、学生さんたちはもう一度お店に足を運んで食事をされ、帰り際に「これを……」と、ふたりの方が封筒を置いていかれたのだそうです。

「9月は誕生月なので、アンナダーナンさせてください」と。

 

その話を聞いて、私はふるふるしみしみ心の深いところが動かされました。

こんな素敵な連鎖が生じるなんて。

こんな素晴らしい循環を起こしてもらえるなんて。

 

学生さんたちは、あちこちで開かれている“こども食堂”や、格安で食事のできる『はんぶん大人食堂』さんに触発され、コロナの影響下でいろんな不安にみまわれているであろう留学生に、せめてお腹いっぱいご飯を食べてほしいと動き出し、自分たちの“食堂”をスタートさせる前から、もうすでに食事の提供を始めている。

なんていうひろがり。

なんていう心のゆたかさ。

余裕があるから支援する、のではなく、余裕はないけれど何かできることはないかな、と考えられる気持ちの柔らかさ、思いやりの強さ。

 

去年、何より嬉しかったことです。

なんというか、ひたすら感謝したくなる嬉しさ。

直接会ってはいないけれど、学生さんたちに、私の心は灯をともしてもらいました。

美しくて、大切な贈りもの。

ありがたくて、嬉しくて、次に繋ぎたくなる。

繋いでいくのが、自然のことのように思えるミエナイチカラまで、私はもらえたのだと思います。

 

初秋に届いた、ミラクルなギフト。

どれだけ冬が寒くても、ぽっと灯りをともし、いまも温めてくれているようです。


2021年が始まりました☀️

2021-01-04 | 日々の暮らしの営みこそたのしくゆたかに♪

ことしも、どうぞよろしくお願いいたします!

 

年末からお正月にかけて、いつもの行事は家族とともにしているのだけれど、あまり実感のないワタクシです。

初冬のころに用意したのが、いままでのクオバディス的なものではなく旧暦手帳だからなのか(畑の野菜や植物との息の合わせかたによいかなと思って)、日々サンスクリットで書かれたものに触れているためなのか(インドの暦もまた独特)、「さぁ、新年ですよ❗」というのが、ピンとこないような年明けです。

人とのやりとりに不都合が生じないよう、西暦で予定は組むし、話しもするけれど、この10年くらい、体感的には、なんとなくズレが生じているような、ちょっと違うリズムで世界を眺めているような。

ちいさな畑で土に触れるようになってからはなおのこと、中でも去年は、特にそれを実感した年でした。

 

まるで“コロナの年”となったかのような2020年。

当初の足元が揺らぐような不安と緊張感に、むしろ頭が冴えるというか、感覚が鋭敏になって、たくさんのことを考え、思い出し、観察し、予定を変更し、必要と思われるちいさなことをいろいろとしていました。

そのうち、それが日常となり、積み重なっていった1年。

コロナ眼鏡を通してみる世界には、美しさも、尊さも、光も、矛盾も、限界も、ムリも、無茶も、溢れているように見えます。

その世界のなかにいる私自身は、どうなのか。

私には何ができる?

何をしないでおく?

私はどうありたい?

いくつか、止めたことがあります。

いくつか、続けたことがあります。

いくつか、新たに始めたことがあります。

大切にしたいことは、変わらず大切で、変わらず大切にしています。

いくつかのことが、より明確になりました。

 

コロナによる辛い方面の影響は、私のところにも押し寄せてきています。

困り事や厳しい話が何もない、わけではないけれど、それでもこうして日々、生きていられる。

生きているだけではなく、多くの学びのチャンスにめぐまれて、割りと落ち着いていられる。

ありがたいことだなと思います。

自然のめぐりのなかにいること、人との関わりのなかで暮らしていること。

いつもしてもらってばかりで、感謝が追いつかないくらい。

私には、何ができているのかな。せめて感謝に追いつきたいな。

 

去年は、浜ヨガを毎週開催できたのも、私にとって、ラッキーなことでした。

暑い日も、ちょっとしんどい日も、眠たいような日もあるけれど、どんなときでも、海へと続く坂道を走り出したとたん、ふわっと体が気持ちが浮きあがる。

波打ち際で、やぁやぁと顔を合わせ、呼吸を調え始めると、すべてはall right になっていく。

海と、空と、人と、ヨガ。

素晴らしい贈りものを私は毎週、受けとらせてもらうことになりました。

ありがとうございます。

季節の移り変わりを映すように、空と海の色は変化し、太陽は刻々と軌道を変え、夕暮れに融けていく西の海も左へ左へ(南へ)と移動する。毎週、大きなめぐりを体感できたのも、私には嬉しいギフトでした。

……ほら、ここでも、もらってばかり。

 

いろんなことを乗っけた365日、ありがとうございました。

新しい1日1日も、どうぞよろしくお願いします。

 

ともに、しあわせであれますように。

ともに、歩いていけますように。

ともに、めぐりあえますように。

 

溢れる感謝とともに。