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ぬけヨガ神戸◎しちみのブログ ~猫とさかな通信~

神戸でヨガと畑、始めました♪
ヨガで深まる心地よさを共有したくてぬけヨガクラスやイベントしたり、畑で野菜を育てたり~◎

雨の降らない夏に観る『地球に落ちて来た男』

2016-08-16 | 日々の暮らしの営みこそたのしくゆたかに♪
こんにちは!
ぬけヨガ神戸の、しちみです◯

毎月第1水曜と第3水曜の午後、神戸市垂水区塩屋にあるすてき空間flagさんをお借りして、
ぬけヨガを共有しています。
8月は『風通し』をテーマに、熱さのこもった想いやからだを動かして、
風通しよくなってもらえたらなぁ、の気持ちです◎

次回は8月17日(水)14時30分〜と16時30分〜の2クラス。
詳しくは、アトリエfのfbページ、もしくはブログのこちらのページからどうぞ☆

ほぼ毎週土曜日の18時30分から神戸市垂水区にあるアジュール舞子の浜にて、
『浜宵ヨガ』もやってます☆
次回は変則、土曜日ではなく金曜日、8月19日(金)18時30分からごろごろスタートです。
公園管理事務所から海を見て左手に大階段をタラタラッと降りたあたりの波打ち際で、
こぢんまりとやってます。
場所がわからない方は、遠慮なくメールしてくださいね〜♪
(k15catfishwill☆gmail.com  ☆を@に変えてどうぞ)

こどもや学生のみなさんの夏休みはまだまだ続くみたいですけれど、
おとなのみなさ〜ん、夏の休み時間はいかがお過ごしですか〜♪
夏といったって、すでに立秋を過ぎて空気は変わり、
とはいえやっぱり暑いので夏気分……を味わえるのも、あと少し。
毎年思うことですけれども、『夏は、短い』っ。

ワタクシはと言えば、
地の利を活かして夕方ごろからひっそりこっそり海でぷかぷか浮かんだり、
過酷な太陽のもと干涸びそうな畑の野菜の水やりにせっせと通ったり、
過酷な太陽にさらされたお疲れ肌をたまには温泉でたぷっとゆるめたり、
ご褒美のキュウリやゴーヤー、ズッキーニ、茄子、トウモロコシ……
めぐまれた夏野菜をふんだんにいただいたりしております。

うちにはテレビがないので、
リオデジャネイロの五輪や高校野球を観る機会はほとんどなく、
そのぶん、少しは涼しく過ごせているのではないかと思ったり(笑)。

ことしの夏は、涼しいうちに起きてあれこれする、という新習慣も加わりました。
なるほど多くの方がおっしゃる通り、夏の早朝は快適です☆
日々、太陽の位置が変化していくのも実感できます。
ゴエンカ氏の言うところの「アニッチャ〜」です。

ことし亡くなったデヴィッド・ボウイの主演作
『地球から落ちて来た男』の上映があったのも、夏の映画イベントでのことです。

むかしむかしに、まだDVDにもなっていないこの映画を借りて観た記憶があるのですけれど、
何台ものテレビを並べて同時に観る、という場面くらいしか覚えていなくて、
それではあまりに残念なので、この機会に観てきました。

………せつなくて、こころが、しんとしたままでいます。
むかしむかしのわたしは、この映画に何をみていたのでしょう。
デヴィッド・ボウイの訃報に接したとき、
思わず「また地球に落ちてきたらいいのに」と口をついて出ました。
なんてひどいことをつぶやいていたのだろうと、いまなら思います。

非常に有名な作品ですので、みなさんよくご存知だと思いますけれど、
地球にやってきたひとりの宇宙人が、
ある大切な目的のためにいくつもの特許をとり、
大企業を買い取り、事業を拡張し、
莫大な財を築いていきます。

どれだけ富を得ても、
"彼"の目的は地球では果たせないし、
しあわせは、ここにあって、ここにない。
"彼"の星がどうなっているのかもわからない。
だけど、"彼"は出逢った地球人を信頼し、愛し、
「私を信頼して」と頼むことしかできない。

"彼"は言います。
「私には誰も嫌うことはできない」

テレビで地球を見て、
水の惑星だと思ったからこの地球にやってきた。
けれど、その地球で"彼"は知ります。
「テレビはすべてを映さない」

水を飲んでいた"彼"は、やがてジンを手放せなくなり、
何台も並べたテレビを前に、徐々に"精神"を蝕まれていきます。

巨万の富を我がものにしていく"彼"を
おもしろく思わない人たちも当然いて、
宇宙へ旅立つ直前に、
彼らは強硬な手段に出ます。

抵抗する術をもたない人に対する、
圧倒的な力。

なんだろうなぁ、この作品は。
やさしさに満たされていて、
醜さに満ちている。

愛しているけれど、
いまはまだ愛を得ることはできない。

世界は美しいのに、
そこに住む人は残酷で満足することを知らない。


1976年の作品……ということは、40年前かぁ。
もう一度、映画館で観たいなぁ。
未見の方には、ぜひ!と勧めたいけれど、
『万人向けではない作品』なのだそうです(笑)。

映画『永遠のヨギー』と『あるヨギの自叙伝』

2016-07-26 | 日々の暮らしの営みこそたのしくゆたかに♪
こんにちは!
ぬけヨガ神戸の、しちみです。

神戸市垂水区塩屋のすてき空間flagさんをお借りして、
ぬけヨガを共有しています。
8月のテーマは『風通し』。
からだもこころも風通しがよくなったらなぁ、
のんびりすっきりラク〜になってもらえたらなぁ、
の気持ちです◎
次回は8月3日(水)14時30分〜と16時30分〜の2クラス。
詳しくは、アトリエfのfbページ、もしくはブログのこちらのページからどうぞ☆

ほぼ毎週土曜日の18時30分からは、
神戸市垂水区にあるアジュール舞子の浜にて、
浜宵ヨガやってます〜♪


春ごろからチラホラ「日本でも公開されるらしいよ」という噂を耳にしていた作品
『永遠のヨギー 〜ヨガをめぐる奇跡の旅〜』
映画好きでヨガ好きなワタクシとしては、
たいへん興味を惹かれ、心待ちにおりました。

映画のタイトルにある"永遠のヨギー"とは、
『あるヨギの自叙伝』などの著者パラマハンサ・ヨガナンダのことで、
ヨガナンダは、クリヤヨガの教えをアメリカに広めた師(グル)、なのだそうです。
わたしは、『あるヨギの自叙伝』を読んで初めて知りました。



この本のことを知ったのは3年前くらい前で、
読み始めたのは、ことしの5月。
かな〜り分厚くて、いまどき珍しい2段組の、
手に持って読むには重たすぎるくらいの本なのですけれども、
これが本当におもしろい。
親切な注釈もたくさんついていて、
「おお〜♪」やら「………!」やら、
いろんな感嘆符が頭のなかを飛び交い、
「そうだったのか」「そうなの?」「そういうことなのかぁ」
なんて、腑に落ちたりひろがったり、ありがたくてうれしくなったり。

いわゆる"超常現象"的なものも普通に語られるので、
読む人によってはoutだったりするのかもしれないけれど、
いまのタイミングのわたしには、
すべてひっくるめて非常に興味深く読めました。
ヨガや、インド哲学のことを少しずつ学ぶごとに読み直せば、
また新たな「おお〜☆」が増えていく気がします。


という"自叙伝は一応読んだ"うえで、映画を観ました。
動くパラマハンサ・ヨガナンダをみるのは初めてで、
「本当の本当に実在の人物だったのだよなぁ」
なんて"まだまだ…"なことをまず思ったり(笑)。

自叙伝には書かれていない、
アメリカでの苦悩や朋友とのトラブルなども描かれていました。
そのころの直弟子の方たちの証言の数々、
自叙伝にも出てくる人たち、
いまもヨガナンダを通し広まった教えが脈々と受け継がれ、
実践され、生きていること……。

ヨガをすると、たとえば、
呼吸がラクになって、からだやこころがラクになる。
瞑想をすると、たとえば、
思考がクリアになって、より能力を発揮できる。

だけではない、大切なこと。

自分が満たされる。

だけではない、大切なこと。


いきなりこの映画を観た方は、少し、面食らうかもしれません(笑)。
可能なら、自叙伝を読んでから観る、がいいような気がわたしはします。
(たいがいの原作ありの映画は読んでから観たい派なもので……^^;)

ヨガのことを知ろうとするたび、
その奥深さにクラクラ目眩がしちゃいます。
いまから学べることの膨大さに、
わくわく小躍りもしちゃいます(笑)。

『ヨガ』の前にすることはたくさんあるけれども、
クラクラしたり小躍りしながら、
いまできる限りのヨガをして、
その前や奥に無限にひろがるものにダイブして、
日々の暮らしを営み、目の前にいる人と話をし、自分の仕事をし、
そんなふうにしていけたらなぁと思います。

雨降る朝のおたのしみ☆

2016-06-14 | 日々の暮らしの営みこそたのしくゆたかに♪
こんにちは!
ぬけヨガ神戸の、しちみです☆

神戸市垂水区塩屋のすてきな古民家をお借りして、
2〜3人の少人制で『ぬけヨガ』を共有しています。
梅雨の間のテーマは、『むくみ対策』。
呼吸を深め、内蔵をやわらかく刺激して、リンパの流れを促して……。
じんわり汗ばんだり、ゆるっとほぐれたりするうちに、
ふぃ〜っと何かが抜けてラク〜になってもらえたら。
そんな思いでやっています。
次回は6月15日(水)の14時30分〜と16時30分〜の2クラス。
くわしくは、アトリエfのFBページ、もしくはブログのこちらのページからどうぞ☆


去年のいまごろ、京都で開かれた『種』についての学びの会に参加した際に、
「どくだみは、葉っぱもだけれど、白い花をつけ込むといい化粧水になる」
とうかがいました。

もともと精油やハーブが好きで、せっけんづくりにはまった時期もあり、
生薬化粧水にも興味がひろがって、
ユキノシタやボタンピ、ソウハクヒなど漬け込んだりしていました。
アロエやローズマリーも漬け込んだなぁ。
だけど、どくだみは未経験。

どくだみの花、どこかに咲いていないかなぁ。
と思わずきょろきょろしちゃったり(笑)。
そしたら、いつも通るちいさな公園の斜面一面に、
白い花がひろがっているのを発見〜♪

さっそく帰りに摘み摘み、摘み摘み、
花だけじゃなく葉っぱもいただいて、
水で洗って乾かして。

翌朝は、しとしと雨の降る音に目が覚めて、
わくわくしながら小瓶に花を入れ、
大きな瓶に茎からちぎった葉っぱをワシワシ入れ、
さらに手のひらに乗るくらいのちいさな瓶には、
ちょうどいただいてドライにしていたカモミールの花を。
そのうえから、ホワイトリカーをとぽとぽとぽ……♪

どくだみは、花も葉っぱも3カ月くらいから使えるそうです。
花のエキスはかゆみ止めにもいいのだとか。
ほぅほぅ、できあがりが楽しみだ◎

カミツレは1週間で解禁できるそうなので、
梅雨から夏の始まりは、こちらをパシャパシャいってみよう〜☆

3月に仕込んだお味噌の棚に3つの瓶を並べ、
ひとり、ニマニマ。
ついでに畑から持ち帰った大根やルッコラ、
ブロッコリーなんかの種をカサカサ、パラパラ、取り出して、
それぞれちいさな紙袋に包んで仕分けして。

毛糸を取り出したりセーターの点検をしたり、
寒い季節に備えてあたたかい『冬支度』をするように、
じめじめ暑い季節に向けての、『夏支度』。

畑には落ち生えの赤紫蘇が育ってきているし、
アップルミントは既にお茶にお風呂にわっさわっさ大活躍してくれているし。

そうそう、こういう暮らしがしたかったのよと、
ほくほくちいさなしあわせを改めて感じる雨の日の朝◎

そしてもうひとつ想い描く絵が加わって、
眩しい季節に近づいていくのだ〜♪

ハングドラム、という体験

2016-06-09 | 日々の暮らしの営みこそたのしくゆたかに♪
こんにちは!
ぬけヨガ神戸の、しちみです☆

神戸市垂水区の塩屋で、ぬけヨガを共有しています。
次回は6月15日(水)の14時30分~と16時30分~の2クラス。
『むくみ対策』をテーマに、
ゆるゆるピリピリひろがって、
ときにはぷるぷるしたりもして、
ゆったり動きながらからだのなかを通せたら~♪
くわしくは、アトリエfのFBページ、もしくはブログのこちらのページからどうぞ☆


梅雨の季節はいつも、
じめじめするなぁという鬱陶しいような気持ちと、
水滴を通して見えてくるキラキラしたりくぐもったりする世界、
雨だれの屋根や傘や地面を打つ音、匂い、
鮮やかになる樹々の緑、浮き立つ紫陽花、
水の気の満ちていく様子にうれしくなる気持ち、
そして毎朝、何を履いていけばいいの?な足元問題なんかがいっしょにやってきます。

ちいさなころからずっと、
ガラスや水滴、光……
"透き通っている"瞬間にこころひかれてきました。
水面に映る光景にも魅了されます。

水たまりをのぞきこむと、
逆さの自分の姿とその向こうに雲が見えたり、
じょうろのちいさな口に空がひろがっていたり、
畑の帰り道の水の張られた田んぼに暮れゆく初夏の色が映っていたりすると、
はぁ~~~っと、
満ち足りたため息が思わず漏れます。

どんなちいさな水面にも、
おおきな空や色や光を映しこめるという不思議。


この間、電車にごとごと揺られ、
ちいさな旅をたのしんできました。


淡々とした"ロードムービー"といわれるジャンルの映画が好きなのは、
車窓に流れる景色をいつまで眺めていても飽きないことと関係があるのかもしれません。

ゆっくりと後ろに流れていく街の気配や道端の感じ、
すれ違う人たち、通り過ぎていくお店、
振り返って立ち止まったり、
風に吹かれたり、
捉えることばの断片、
不意にやってくる匂い、声、音……
歩くが好きなのも、
自転車で走るのが好きなのも、
動く速度に合わせて移り変わる景色が好きだからかもしれません。


日常からほんの少しだけ足を伸ばした、
ちいさな旅。
その先でたまたま出会ったのは、
ハングドラムという初めて見る楽器でした。

ハングドラムって、ご存知ですか?
2000年にスイスで誕生したという、
まだまだ新しい楽器なのだそうです。

形は、シャープなマカロンみたい。
メタリックな感じなので、宇宙船のほうがイメージが近いかも。

このハングドラム、
見た目の形状からは想像もつかない音を響かせるのです。



カリンバのような繊細な響き、
弦楽器のような変幻自在な音色、
雨だれのような心地よさ、
水の響きのようなひろがり、
いったい何種類の楽器を何人で演奏しているの?
と思うくらいの多彩な音、
そして、生じる倍音。

からだが鳴っているような、
からだのなかに音があるような、
からだがひろがってとけていったような……


ちいさな旅の移動距離は、
ちょっと足を伸ばして……くらいだったけれど、
移動空間は果てしなく、
浮遊して、
浮遊したまま、
いまにつながっているような気がします。

水面に見えない景色の映るように、
わたしのなかで、
ひろがる音がまだ響いているような感じです。

耳を通してではなく、
からだの聴いた音。
水面に波紋のひろがるように、
音はひろがり、
生じ続けている。
そんな感じがしています。



変化するもの、変わらないこと

2016-06-05 | 日々の暮らしの営みこそたのしくゆたかに♪
こんにちは!
ぬけヨガ神戸の、しちみです。

神戸市垂水区塩屋のflagさんで、
ぬけヨガを共有しています。
次回は6月15日(水)、14時30分~と16時30分~の2クラス。
梅雨時のむくみ対策をテーマに、
気持ちよ~く伸びて通していきましょう♪
詳しくは、アトリエfのFBサイトもしくはブログのこちらのページからどうぞ◎


先日、ヨガ友と話しているときに、
"流れる水"のような気持ちよさを感じました。

いつも新鮮で、
流れのままにいろんな場所へ現れて、
周りに養分をわけてまわって、
受け取って、
ゆたかな慈雨となり、
やさしく樹々や大地に染み込んで、
再び水となって流れていく。

そんなイメージを伝えると、アハハと笑い、
「だったら、しちみちゃんは"山"だね。
いろんな地層の積み重なっている感じ」
と言われました。

……へえ~、山かぁ。
意外な気もするし、なるほどなぁという気もします。

たとえばわたしは住む場所はどこでもよくて、
とは言え実際に住む家や土地は重視しますけれども(笑)、
いまはたまたま神戸市に住んでいて、
かなり気に入っています。
でもそのうち九州に引っ越すかもしれないし、
もしかしたら、次はインドネシアかもしれない。
たぶん「この土地に根を下ろす」という感覚は、
いまのわたしには薄いようです。

もっともっと知らない場所に行ってみたいし、
旅してまわりたいし、
住んでみたい。
知らない人たちと出会いたいし、
知らない話を聴いたり知らない習慣に触れてみたいし、
知らない美しさに満たされたい。
とにかく知らないことを知りたくて、
知らないことがあるということをもっともっと知りたかったりします。

だからきっと、わたしは
『フリーランスライター』という仕事を選んだのだろうなぁと思います。

と同時に、わたしは"日常"が大好きだったりもします。
いつもの暮らし、日々の営み。
ベランダの植物に水をやったり、
本を読んだり、
近所を散歩したり、
畑のことをしたり、
映画を観たり、
音楽を聴いたり、
食べたいものをつくって食べたり、
手を動かして何か生み出したり、
身近な暮らしのあれこれをいつものペースで楽しむのが大好き。
ついでに、ひとりでいる時間をこよなく愛してもいます。
静けさや沈黙のなかでこそ、わたしは落ち着ける。
すべてはここにあるなぁと感じます。

人それぞれにその配合やら内容やら濃度の異なるように、
わたしのなかにもいまのわたしの陰と陽があり、
混ざり合って一体となってひろがっています。



東京から神戸に引っ越して、
『暮らし方を変える』をそれなりに実践して、
2年が経ちました。
わたし自身にとっても"激震"だった
東日本大震災から6度目の夏が近づいています。

ヨガや仕事、新しく出会った人たち、
いま住んでいるあたりの地域性、
四季のめぐり、畑、
地元の人たち、生じる関係性。

ようやくいろんなことが落ち着き始め、
自分のペースもととのってきたところで、
必要な"変化"はじわじわと動き始めたようです。

たとえば、「ゆるい」とか、「スロー」ということば。
そられの表している、暮らしかたや、ありよう。

わたしは「おおらか」であることや、
「のんびり」している感じは大好きだけど、
「ゆるい」はどうだろう?
「ゆるむ」とか、「ゆるゆるする」のは好きだけど、
ゆるい状態そのものは、そんなに好みではないなぁとか(笑)。

ゆるゆるゆるんで、リラックスしたら、軽く引き締める。
そっちのほうが、性に合ってるなぁとか。

5分でできることを急がず丁寧に10分かけてするのはいいけれど、
ほかのことに気をとられて果てしなく時間がかかるのは、どうなんだろうとか(笑)。

野菜を買うのではなく育てる暮らしは、
案外、忙しいものだよ、とか。
それを楽しめているからこそ、続いているのだろうなとか。


誰にとってもそうであるように、
わたしにはわたしの時間の流れがあって、
そのときどきが"大切な時間"だったりします。
だからこそ、誰かといるときには、
ともに大切な時間をわかちあいたいなぁと思います。

誰かの時間をムダに消費したくないし、
誰かに時間を盗られたくないなぁと思う。

「これも何かの学びかも」とか、
「ご縁は大切」とか、
「すべてのことにムダはない」とかいったことも、
実感する機会は多いし、
それはそうなのだろうと思いつつ、
それを理由に自分のしたいことをあとまわしにしたり、
必要としていないものを受け取ったりする"時期"は、
そろそろ終わりなのかもしれないなと思ったり。

変わらないものと、
変化し続けること。

積み重なっていくものと、
流れゆくもの。


ここのところ、ごそっと脱いだり、
削ぎ落としたりしています。

脱いだり削ぎ落としたものは、
それらを必要としている人のもとへと循環していくのでしょう。

いまは、そんな"時期"なのかなと感じています。