群馬で闘う!「伝説」社長のブログ

『伝説』グループ社長、根木寛正の日々の雑談です。

携帯版ホームページ

2006年01月19日 | 自分!
携帯版ホームページには「おまけのページ」というページがあって、そこからこのブログも見られるようになっている。

そして、その「おまけのページ」には、携帯版でしか見られない「私の体験談」というページがある。

ここで自分が体験したいくつかの出来事を紹介しているのだが、前回「高熱でゴジラ」のことを思い出して、改めて自分で見てみたら、他の文章も実に懐かしかった。
これらの文章は全部5年位前に書いたもので、その中で紹介している出来事は20代前半での出来事がほとんどだ…。

…ということで、もうひとつ紹介しちゃおう…。



「カラオケボックス」

東京に住んでいた10年の間に実に多くの仕事をした。カラオケボックスの仕事もそのひとつ。昼間演劇活動やら何やらやっている自分にとって、深夜の仕事は好都合。それにこの仕事って、ほとんど部屋の受付をするだけで、お客さんからの注文がない限り、本を読んだり、芝居のセリフ覚えたり、時間が自由に使えるから更にラッキー!当時「俺のためにあるような仕事!」といい気になっていた。
私がやっていたのは三軒茶屋の小さなカラオケボックスで、当時(1991年頃)は部屋が1時間1500円くらい、しかも1曲歌うのに200円ずつ取られるという、今考えればひどいもの。でも当時はこれでもお客さんはいっぱいで、金曜土曜は若者グループが並んで待っているような状態だった。ここで、なぜか店長のような店の管理を任されてしまった私は、店のカギから機械のカギから、ありとあらゆるすべてのものを任されてしまって、更にラッキー!…というのも、当時は機械を調節して1曲の値段を設定していて、夜は1曲200円、昼は1曲100円、という具合に自分達で値段を切り替えていた。で、そのカギを預かったということは、自分で機械を調整できるということ。早朝5時までの営業が終わって、お客さんがみんな帰って、掃除と売上金の確認をすると、そこからが自分のひとりショータイム!歌った、歌った!設定を無料にすれば、もう歌い放題!残念なのは深夜の仕事はほとんど一人でやっていたので、誰も聞いてくれないということ。サラリーマンの人たちの出勤が始まる早朝の三軒茶屋駅前のシャッターが閉まったカラオケボックスの中では、私が一人で歌い、踊っていたなんて、おそらく知る者はいないだろう。
(2000/8/14)


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