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日本ナショナリズムに同化した「四季派」の欠陥と核心

2015-12-06 16:05:11 | 歴史
■日本ナショナリズムに同化した「四季派」の欠陥と核心
 なぜ、西欧近代社会の特質も、西欧文化的発想も習得しているはずの四季派が、戦争期になると、まんまと支配体制の戦争賛歌という日本ナショナリズムへと傾倒したのか。おそらく、自己の意識下にある日本古来の原始的心性と無矛盾に対立することもなく、葛藤も経ずに併存していたことに原因があるとしか考えられない。つまり、上昇志向としての西欧文化を獲得しようと意識しているあまり、古来から日本の村落共同体に内在してきていた観念的世界と対立する経験を過去に一度も持つことのなかった日本知識人が、戦争とともにあっさりと、無批判に温存されていた封建的な排外主義と同化してしまった。戦争により、彼らの意識の中で、対外的に拮抗しなければならないと西欧文化を遮断したとき、彼らには独自の思想が未成熟であったために、西洋的教養や思想などの上澄みが自己深化を遂げてもいなかった受け売りに過ぎないものであったことが、露呈した。一般大衆が同様に、見事に足をすくわれ、支配体制のナショナリズムに吸収されたのと同様に、たんなる先祖がえりをはたしただけになっていまったと考えるべきである。
 四季派の構造では、西欧に対する劣等感ではなく、また単純にファシズムの戦争スローガンに同調したとはいえないだろう。また、大衆意識に触発されて、支配体制に影響を受け、 賛同した内容とも異なっている。三好達治や保田与重郎の動向を読み取ればわかる通り、伝統文化を感覚的に、また彼らが持つ感性的な意識を論理的に掘り下げたことで、日本的美意識が反西欧を生み出したといえる。
当時の戦争権力も、高度の帝国主義としての近代化を成し遂げ、単に「紅毛賊子」などと考えていたわけではなく、戦争の本質は理解していたはずだ。現在の報道メディアが自民党のプロパガンダを演じているのとは異なり、四季派が権力のプロパガンダを演じたというよりも、権力のプロパガンダを自分たちの伝統意識で受け止めることで、日本の原始社会感覚を掘り起こしてしまい、無批判に羅宇産してしまったというのが核心だ。
 意図的に無知蒙昧な前近代意識が組織化されたのは、官僚国家ファッショ体制を内に持った高度資本主義社会の政治体制が、民衆を扇動した結果であった。

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