![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/55/7a/e6ecfdbf05f717ff78d6d35394cea4c6.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/1f/64/af01bae528f8bc397620a02098c8a6a2.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/42/e7/b79601177e8a868d182d317d59224144.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/09/0c/0d72a56f2be46b0d503cf83a045fd73f.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/59/cf/e768b7cd1ac2eeb26f038f39b9a16ef8.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/4f/18/ae9056575d83728fe7064c894f826779.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/5e/3d/bafaa74b3d77534199d185969e7daadf.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/6d/4f/07569d2ab9e0de82048578e57375bb37.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/41/09/71136ca61d034c63e6ba6989676a28ee.jpg)
東日本大震災後にいわて生協がはじめた被災地支援のふれあいサロンも8年目になります。
当初は宮古、陸前高田、大船渡、釜石、大鎚で開催されていた。住民支援のサロンも宮古、釜石、大船渡、大鎚と終了して行きました。
それぞれに月に2回だったり1回だったりともちろんすべに参加したわけではありませんがそのすべての地域にはまわりました。 最初はできたばかりの仮設住宅の住民と交流に戸惑う場面も多くありました。 沿岸に近づくと多くのボランティアを乗せたバスとすれ違いました。瓦礫の山がうず高くつまれた。被災地は壮絶な景色でした。 特に壮絶だったのが陸前高田市でした。それほどなじみがある街ではありませんでしたが街の跡形はありませんでした。陸前高田市出身の歌手の千昌夫さんで有名なホテルは残骸でした。
そこに生きる人たちがいて長い復興への道がはじまりました。
各地をめぐり様々な人たちとふれあう中、街はわずかずつでしたが復興への兆しが見えつつありました。 今日は、バスに乗るとIBCのK山アナウンサーの顔が見られました。彼も被災地へ個人的にボランティアとして参加していたようでした。
今日の会場は陸前高田市の中田団地集会室になりました。ここの近くには津波を免れた。雇用促進住宅があり今でもあります。
建て替えの予定が幸いし仮設住宅として使われ住民の受け皿になりました。ここにも震災の支援ボランティアで何度か訪れました。
何時もの喫茶係りになりました。その間にボランティアリーダーの元にねこちゃんの手芸が行われました。
被災地を見舞う支援物資は途絶える事なく各地から届きました。ありがたいです。ふれあいサロンの行き場が陸前高田市だけになり住民のみな様にぞん分に配る事ができました。
途中から別な集会室に行っていたK山さんが、中田集会室にも顔を見せるとさすがに地元の有名人の登場に会場は一気に盛り上がりました。
ついしん
住田は桜が満開になり陸前高田市は桜が散りはじめになり東西南北に広い岩手を実感する思いでした。