9月19日松下幸之助一日一話(松下幸之助.COM)
仕事を味わう
私はどんな仕事であれ、ほんとうにそれが自分に適したものかどうかを見きわめるのは、それほど容易なことではない、仕事というものは、もっともっと深いというか、味わいのあるものだと思います。
最初はつまらないと思えた仕事でも、何年間かこれに取り組んでいるうちにだんだんと興味が湧いてくる。そしていままで知らなかった自分の適性というものが開発されてくる。
そういうことも仕事を進めてゆく過程て起こってくるものてす。つまり、仕事というものはやればやるほど味の出てくるもので、辛抱をして取り組んでいるうちに、だんだんと仕事の味、喜びといったものを見出していくことができるのだと思います。
筆洗
2013年9月18日筆洗(東京新聞TOKYOWeb)
▼あのしこ名が番付表から消えてしまうのはさみしい。秋場所前に引退した元大関の把瑠都だ。腕力を生かした豪快な取り口で大関に駆け上ったエストニアの怪人も左ひざのけがには勝てなかった
▼尾上(おのえ)部屋(東京都大田区)はご近所なので商店街で時々見かけた。一九八センチ、一八九キロの巨体は遠くからは岩が動いているように見えた。朝稽古では、現十両の里山と激しい三番稽古を繰り返していた場面が印象に残る
▼外国人力士第一号の高見山が入門したのは東京五輪が開かれた一九六四年。以来、慣れないちゃんこを口にし、厳しい稽古にも耐えた外国出身の力士は、日本人力士をねじ伏せ、横綱や大関を独占する
▼高見山が初土俵を踏んだその年、巨人の王貞治選手がつくった記録が年間五十五本塁打だ。その偉業が四十九年ぶりに破られた。ヤクルトのバレンティン選手は十五日、重圧をはねのけ、五十六、七号をたたき込んだ
▼衰えた元大リーガーが晩年に一稼ぎするひと昔前の助っ人とは違う。二十六歳で来日し、持ち前のパワーに加え、変化球をコーナーに投げ分ける投手に順応し、選球眼を磨いた。日本がバレンティン選手を育てたといえようか
▼ファンが記録更新を歓迎し、五十五号が「聖域」でなくなったのは成熟の証しだろう。大相撲では外国人横綱が何人も誕生している。相撲に見習うべきこともある。
2013年9月19日天声人語(OCN*朝日新聞デジタル)
天声人語
▼国会の古い議事録を読み返してみた。1975年の衆院予算委員会。約40年後のいま議論されていることが、当時から問題となっていたことがわかる
▼日本が他国から攻撃され、自衛隊と米軍の艦船が公海上でいっしょに行動している時、自衛艦が米艦を守ることはできるのか。当時の宮沢喜一外相は「共同作戦をしておって共同の艦船を守らないということは、普通常識的に考えればいかにも奇妙なこと」と答えた
▼8年後の同じ場でも同じ問いが出された。日本が武力攻撃を受け、助太刀に来た米艦もやられた。当時の中曽根康弘首相は「日本側がこれを救い出すことは、公海においても、憲法に違反しない個別的自衛権の範囲内である」と答弁した
▼安倍政権の有識者懇談会がおととい、集団的自衛権をめぐる議論を再開した。憲法解釈を変え、行使できるようにするという。公海上で米艦を守れるかどうかは、その焦点の一つだが、政府はずいぶん前から守れると解釈してきたわけだ
▼なにを今さらといいたいのではない。要は日本がまだ攻められていない段階でも米艦を助けられるようにしたいのだろう。だが、その場合の自衛隊の働きが、結果として米国の戦争に日本を巻き込むことにならないか。危ない選択である
▼9条の縛りを専門家の判断だけで解き放つわけにはいかない。平和主義は、国民主権や人権尊重とともに戦後日本の自由な暮らしを支えた土台でもある。そのことにも目を向けた国民的な議論が欠かせない。