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今日のコラム

2013-09-06 06:09:16 | インポート

9月6日松下幸之助一日一話(松下幸之助.COM)

自然を生かす

 自然はそれ自体のために存在し ているという見方がある。しかし、もっと大きな観点に立って考えてみると、自然は人間の共同生活に役立つために存在しているのだと考えることもできるので はなかろうか。そう考えてみれば、自然を人間の共同生活の上に正しく活用していくことは、人間にとって当然なすべきことだとも言える。

 むろん、単に意欲をたくましくして自然を破壊することはあってはならない。自然を十破壊して、そこから八の価値しか生み出さないというのではいけないが、十二の価値を生むならば、むしろ積極的に自然を活用していったらいいと思うのである。


筆洗

2013年9月5日筆洗(東京新聞TOKYOWeb)

▼平安時代の昔でも義理の親子関係は、やはり円滑とはいかなかったようだ。『枕草子』にこんな記述がある。<ありがたきもの、舅(しゅうと)にほめらるる婿、姑(しゅうとめ)に思わるる嫁の君>。ありがたき、とは珍しいという意味である

▼三世代が同居する大家族が減った現代では、嫁姑の葛藤も形を変えているのだろう。家族のあり方は時代とともに変わる。高度成長期以降、急増した核家族は現在、家族の形としては二番手になった

▼最新の国勢調査では、最も多かったのは単身世帯。総世帯の三割を超え、長くトップだった「夫婦と子どもによる世帯」を初めて上回った。家制度を重んじる家族観の押しつけでは、時代の変化に対応できないのは自明だろう

▼結婚していない男女の子どもと結婚している夫婦の子どもの遺産相続の格差を定めた民法の規定をめぐり、最高裁大法廷はきのう、初の違憲判断を示した。十八年前の合憲判断の変更である

▼あからさまな相続差別が残る国は世界でも少数である。かつて法制審議会が差別を撤廃する民法改正案を答申したが、自民党内などから「不倫を助長する」などと見当違いの反発が相次ぎ、出生による差別は温存されてきた

▼「私の価値は二分の一ですか」。訴えた女性はそう語っていた。子どもは親を選べない。この結論を導き出すためにこれだけの歳月を要した国会と司法の責任は重い。


2013年9月6日天声人語(OCN*朝日新聞デジタル)

天声人語

▼昭和の初め、神奈川県の師範学校付属小学校で、今でいう婚外子が入学を拒まれるできごとがあった。試験は優秀だったのに出生ではねられた。これをめぐり、漱石門下の文学者だった森田草平が「庶子と私生児」という時評を本紙に寄せた

▼当局には当然でも親や子は抗議したかろうと述べ、子どもの立場になり代わるように書いている。「自らはまるで関知しない事のために、七歳の児童の上に加えられた、この国家的差別待遇が、将来に向かっていかなる禍根を蔵するか」

▼さらに「無垢(むく)の児童に庶子、私生児というような名前を冠することからして、私には不可解である」。出自に悩み、男女間の醜聞もあった人ゆえか、85年前の一文は的を射る。一昨日の最高裁判断に、ようやく時代が追いついてきたかと納得顔だろう

▼明治以来の民法は、婚外子の法定相続分を、結婚した夫婦の子の半分と定めてきた。これを憲法違反とした。法の下の平等にそむく差別を残してきたのは、国会の鈍さと怠慢だった

▼法的に結婚していない男女から昨年生まれた子は2万3千余人、新生児の2・2%になる。もうそろそろ「婚外子」に類する言葉と通念を葬っていくべきだろう。赤ん坊のお尻の青あざは、成長すれば消える。私たちの社会も成熟したいものだ

▼人の死に様はそれぞれに違うけれど、生まれてくるときは誰も同じだ。何が良いも悪いもなく、ただただ祝福されるべき純白の命である。時代遅れのレッテルを貼ってはいけない。