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社会福祉士×ちょっと図書館司書の関心ごと~参考文献覚え書き

対人援助の実践、人材育成、図書館学を中心に気まぐれに書物をあさり、覚え書きをかねて投稿中~

「なぜ精神症状への対応が必要なのか」 大西秀樹 (2009)

2009-07-10 08:07:49 | 医学
『緩和ケア』Vol.19 No.3

がんを患う患者が、なぜ精神症状を併発させるのか?そしてどのような症状がおこり、どういった治療が望ましいのか…についての概要を述べている。
見開き1ページの論文なので、広く浅く…という感じで述べられている。

引用
・ある研究(アメリカ?)結果によると、がん患者の47%が精神医学的な診断基準を満たし、そのうち、68%が適応障害、13%がうつ病、8%がせん妄であるとのこと。
 ⇒「適応障害」と「うつ病」は何が違う?と今更ながら思ったので、おまけの情報として…適応障害=「明らかなストレス要因があり、それに対する直接的な反応として、精神的に具合が悪くなっている状態」、うつ病=「特にはっきりした体の病気もないのに、体も心も調子が悪く、日常生活に支障をきたす病気」

・「精神医学的な介入は患者の苦痛を軽減し、QOLを高め、がん治療における適切な意思決定を遂行し、介護する家族の負担を軽減するためにも必要である」
抗うつ薬の投薬状況が少ないという調査結果を踏まえて「医師・看護師の両者ともに見逃す可能性が高い」


「がんの告知」は「初期に見つかれば治る可能性が高い病気」と言われていても、やはりツラい知らせである。
本論文では、抗うつ薬の投薬状況について、終末期患者を対象としたものが紹介されていた。再発の可能性におびえながら、そして「告知」の場面を引きづりながらもなお、「生き続けている人」こそ、精神的ケアの対象者であろう。
親族で初期のがんを発症し、摘出手術を受けた人がいる。全国から患者が集まるほどの「有名な病院」で手術を受け、今も半年ごとに定期健診を受けている。少なからず精神的なダメージを受け、退院後の初診でその旨を主治医に伝えたところ、「精神科はあるけれども、うちのはおすすめできない。ご近所で探してみてはどうか?」というコメントだったとのこと。
大きな病院は、入院期間も短く、患者数が多いために継続的なケアは難しいだろう。退院後の外来患者に対しては尚更のことだ。
しかし、ガンを撃退してもなお、「晴れ晴れとして生活」が送れていない人のケアはどこが行うのだろうか?
医療技術が発達し、がんを撃退し生存する人も増えていくだろう。大病院と家庭医との連携、もしくは病院内での医療連携(ケアの連携)…様々な課題があると痛感した。



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「癌患者とのコミュニケーション」藤森麻衣子、内富庸介(2008)

2009-06-23 08:09:41 | 医学
『コンセンサス癌治療』VOL.7 NO.1

「悪い知らせ」をどのように患者に伝えるか…そのコミュニケーション方法について論じている。
「悪い知らせ」とは⇒「患者の将来への見通しを根底から否定的に変えてしまう知らせ」と定義されている。

わが国におけるインフォームドコンセントの解釈は、「説明と同意」とされることが多い。そのことについて、心の機能を表す「知情意」という言葉になぞらえて考え、「説明」を受けて「同意」に至る間に「情」が抜けている…と指摘している。医師は気持ちへの配慮も欠かせないとしている。


紹介されているコミュニケーション方法は、準備段階から今後についての話し合いまで「起承転結」でまとめられている。それらは「癌医療における効果的なコミュニケーション」として紹介されているが、必ずしも癌に限定されるものではなく、広く「対人援助」に通じるものであると感じた。
たとえば、「患者が相談や気がかりを話すように促す」や「患者に感情表出を促し、患者が感情を表出したら受け止める」はSWの教育としては浸透しているものである。
これまで医師の養成課程では、患者・家族へのコミュニケーション手法の教育が十分ではなかったという面がある。その反省を生かし、他領域の手法を「医師としてどう活用するか」に取り組んだものである印象を受けた。

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「癌患者の家族に対する精神的ケア」佐伯俊成、高石美樹、田妻進(広島大学病院医系総合診療科)

2009-06-19 21:19:05 | 医学
『コンセンサス癌治療』VOL.7 NO.1

癌患者の家族の心理的ストレスの実際と、援助の指針についての概説。
癌の経過(急性期、慢性期、終末期)に沿った心理的ストレスの実際、患者との関係別(ex.患者が配偶者の場合、子供の場合)の危険因子も取り上げており、簡潔だがとてもわかりやすい。

引用
・海外での面接による研究結果⇒(癌)家族の30~50%に何らかの精神科診断がなされている
・海外での質問紙による研究結果⇒(癌)家族の7~35%に不安・抑うつなどが見られた
・家族の健康には、癌の疾患因子よりも個人的、心理的な因子のほうが重大な影響を及ぼしている


本論文では、「家族が患者を援助する際の指針」(6項目)も提示されている。
家族も利用者である…という解釈をする立場にあるSWとしては、この関係での「援助する」というとらえ方に違和感を抱いた。そして一方で、医療スタッフが家族を援助する指針としては、「傾聴」に終始されている。
以前このブログで紹介させていただいた徳山磨貴氏の調査研究では、「家族が医療スタッフの一員とみなされがちである…ことが一つのストレスである」と指摘されていた。
「どうやって接したらいいのか?」と混乱する家族にとって、有効な「指針」であるかもしれないが、まずは本人にとっても家族にとっても、交通整理をする「第三者」が必要であろう。
そこに一つのSWの可能性をあらためて感じた。


    
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コミュニティと在宅ホスピス-看取りの文化の崩壊と再生- 矢津剛(2005)

2009-05-09 21:19:07 | 医学
『在宅ホスピスのススメ』-看取りの場を通したコミュニティの再生へ- ニノ坂保喜/監修 木星社

九州を拠点に、在宅ケア/在宅ホスピスに取り組んでいる医師等で書かれた書物。「在宅ホスピスに関するHOW TOもの」は最近よく見かけるようになり、本書もその一つにとどまるかと思っていたが、ホスピスの歴史から実際に活用できるアセスメント方法まで、幅広く丁寧に解説している。

特に、自宅で看取ることは、地域の資源なしでは実現ができないため、いかにして地域にその理念を浸透させ、そして資源を作り上げていくか…に取り組まれている姿勢が、単に「医療サービス」を提供することにとどまらないと、感銘を受けた。
しかし連携に関する記述はどの章においても、「医師、看護師、ケアマネージャーなど」にとどまっており、ソーシャルワーカーの存在が感じられなかったのが残念だ。

引用「終末期ということを、がんの終末期を代表するきわめて医学的なイベントとして捉えずに、誰もが経験する人生の中でも最も価値のある有意義な時間と捉え、その生命の質をコミュニティの中で大事に育むケアを創造していく必要がある」


ともすると、「在宅ホスピス/在宅緩和ケア」は、非常に特化された由々しきもの…と考えられがちだが、50年くらい前は自宅で最期を迎えるのが「あたり前」で、医学的なイベントではなく、その人の集大成を皆で見守るというものであっただろう。
医療技術が進歩し、社会構造も変化し、家族形態も変化し…そのようななかで、「自宅での看取り」再来である。かつての知恵をどのようにとらえ、そして新しい風をどのように馴染ませていくのか…。10年後の日本の「終末期」はどのようなものか?
「ホスピス」や「在宅での死」という言葉が死語となり、そしてソーシャルワーカーの位置づけも明確になっていることを期待する。



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小児がん チーム医療とトータル・ケア 細谷亮太・真部淳 著(2008)中公新書

2009-01-18 13:52:43 | 医学
小児専門病院に勤務している友人から、「小児のがん告知は、ほとんどが本人抜きで行われている。10年前の成人への対応と似ていて、すごく意識が遅れている」と聞き、本書をひらいた。

疾病について、医療体制について、そして今後の在り方、諸外国の動向など、専門的でありながらも分かりやすい。ひろく一般の人にも読んでもらえるように…という筆者の意図が伝わる。

・3~5歳の子供は、まだ死の概念がはっきり認識されておらず、死の非可逆の理解も難しい。しかし年齢を重ねるにつれ、その理解はなされていき、通常思春期以降は、成人と同程度の理解ができるといわれている。
・緩和ケアをはじめるタイミング→治癒をめざした治療が難しいかもしれないという予感が生じたころから、自然にケアを主体とした医療に移るのが望ましい。


「緩和ケア=終末期医療の体制」ととらえられている。それが小児医療だからなのか、筆者のもつ定義なのかは分からないが、私はやはり、緩和ケアは終末期だけのものではないと感じる。
「痛みをとる」ことが緩和ケアとされているが、それはどの疾患であっても、どの年齢であっても、どの場所(医療機関)であっても行われていることだ。確かに、ガン性の疼痛は、ペイン専門医のかかわりの有無もしくは、痛みのコントロールの技術を持つ医師の有無で、その対応は雲泥の差であることはよく知られている。
そういった意味での「痛み」とするのか、疾患を抱え、生活をしていく上での様々な痛みをも含むのか…概念の整理がますます難しくなっているように思う。

小児患者は、在宅で終末期を迎えることは、まだまだ数が少ないとのこと。それは受け入れる体制が少ないことも、大きな要因となっていると指摘。
慢性期にある小児患者の主治医は、小児科医でなくても、一般内科医でも十分だという声を聞く。それでもやはり、受け手として、「小児」であるがゆえに特別視してしまう「何か」がある。
実践例が少ないがために、その対応方法が蓄積されていないからなのか…。

補足(初めて知ったこと)
「ムンテラ」の由来…「ムント(口)+テラピー(治療)」の造語で、「患者をうまく丸めこむ」という、よくない解釈が含まれている。

「チャイルドライフスペシャリスト」…苛酷な状況にある子供たちが、そのような環境が原因のトラウマをこうむることがないように支援する。例えば…遊びの中から病棟の子供たちにかかっているストレスを敏感に認識し、積極的にトラウマから護る方法を遊びに取り入れ、駆使する。病棟保育士や小児心理士と業務内容は似ているが、専門性に違いがある。

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医療格差の時代 米山公啓(2008) ちくま新書

2008-12-07 21:23:43 | 医学
「メタボ健診」「研修医制度」「医師の過剰労働」など、いま話題となっているトピックが分かりやすく書いてある。


「フリーターのような医者が増加している」という指摘に、思わず釘づけになった。
思えば、私が勤務していた診療所も、一時期は内科の常勤医が1人で、あとは当直も含めて10人前後の非常勤の医師であった。
日中の訪問診療でさえも、週に1回の半日しか枠を持たない医師が多く、そういった雇用形態の中で、「円滑なチーム医療」を求めるのは非常に難しい。
当直になると、半年に1回の頻度で、「ぽっかり時間が空いたから、穴埋めするためのバイト」という意識で勤務に臨む医師も少なくなかった。

在宅医療は、医師にとっては未だに「魅力がない」もので、「医療の最前線に乗り遅れてしまう」ものなのか?
コ・メディカルがどんなに頑張っても、医師無しでは医療チームは成り立たない。
だからこそ、医師には「暇つぶしのためのバイト」としてではなく、たとえ非常勤であっても、「医学の専門家」で在り続けて欲しいと、切に願っている。

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死別反応 平島奈津子(2003) 『日医雑誌 第129巻・第11号』 

2008-12-04 14:18:04 | 医学
精神科医による、「死別反応」についての概説。
その段階や、本来「悲嘆」はあって当然のものであるが、うまく表出できずに「病的な死別反応」を起こしてしまう人もいるようだ。その「病的な死別反応」についても触れている。

症状としての説明は分かりやすく、読みやすい。
しかし「どう対応(援助)していくか?」についての詳細は、十分には述べられていない印象を受けた。

引用死別反応とは、「愛する人もしくは近しい間柄の人との死別に対する心身の反応」と定義されている。


病院でも在宅でも、そして施設でも、「死」は必ず存在するもので、同時に「死別」も存在する。
予期できる「死」でさえも、いまの日本では「こころのサポート」を十分に行えていないだろう。
その人に関わる援助者の数が増えれば増えるほど、「誰かがやっている/やってくれている」と思ってしまうことも、少なくないのではないかと思う。

「こころのサポート」の専門家を限定するのではなく、関わっている援助者の誰もが、その意識と知識/技術を持つ。そして「こころのサポート」を中心となって行うのは、この人にとってはどの職種がよいか?を考える…そんなことが、医療・福祉サービスにおける「当たり前のサービス提供」となって欲しい。



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終末期がん難民をつくらないために-在宅でのがん療養の現状と提言 大頭信義(2008)

2008-11-28 15:35:10 | 医学
『月刊ケアマネジメント 2008.10』

筆者は、姫路で開業医をされ、かつNPO日本ホスピス・在宅ケア研究会理事長をされている。 

医療機関の機能分化、DPCシステムが生み出す(生み出すであろう)、在宅医療現場への弊害や、がん患者への影響を取り上げている。

現状①⇒DPC方式により、高額であればあるほど、入院中ではなく退院後の外来受診から使い始める。そのため、抗がん剤の副作用が「自宅」で現れることになる。その対応として、専門医(がん専門病院や急性期病院)以外にも、家庭医が早い段階からかかわり始め、副作用に対する相談や処置を、家庭医が行う現状がある。

現状②⇒在宅療養支援診療所の登録は、WAMNET集計で2008年9月1日現在、10631ある。しかし筆者の勤務する姫路での現状を踏まえ、実際に24時間体制での対応が十分に行えているのは、全体の3%くらいではないか…と指摘している。


現状①について…専門医と家庭医の役割分担は、永遠の課題なのか?!と考えさせられる。
私は、ALSやパーキンソン病等の神経難病の方についての、専門医と家庭医の役割分担で、やりにくさを感じることが多々あった。
単純に保険請求の問題で、主疾患に関する処方は専門医、便秘や風邪などの臨時薬については家庭医となっていた。しかし専門医受診の頻度が3か月に1回など、間隔があけばあくほど、「調子がいいので、薬の量を減らしてもいいか。」もしくは、「やめてもいいか」という相談が、家庭医に入ってくる。薬に関しては、医師同士が電話なり、情報提供書なりで確認し、指示の共有がしやすい。これが「告知」や「病状説明」になると、事は簡単には済まない。
「どこで治療をするのか。どこまでするのか。」…こういったことは、実際にメスを握ったり、入院ベットを用意できる組織の人間じゃないと、日程調整を含めて具体的な話を詰めにくいという印象を受けた。
患者さんや家族が、「どこに相談したらいいのか分からない」という事態にならぬよう、家庭医は目を凝らす必要があるだろう。でも家庭医にばかり委ねず、主疾患のまさに「主治医」として、専門医(もしくはその組織のスタッフ)が、きちんとコーディネートをする必要もあるだろう。

現状②について…いま、自身の研究の準備のために、WAMNETを活用し、在宅療養支援診療所の確認をしている。個々の診療所のHPを閲覧することもあるが、「在宅医療」の文字が一切無く、在宅療養支援診療所としての登録を、本当にしているのだろうか?と首をかしげてしまうことがある。
「数」がまだ足りないと上層部の方々は考えているのかもしれないが、その実態もきちんと把握し、定着するような方法を考える必要があるだろう。
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家に居たい患者さんに在宅ホスピスケアができること 岡部健(2006)

2008-08-31 22:54:59 | 医学
『緩和ケア』Vol.16 No.3 MAY 2006

以前は自然に行われていた「自宅での死」が、なぜノーマルではなくなったのか?という点に注目し、政策面、医療技術の進歩のみならず、文化的・社会的背景からも整理している。
そして今の社会が、「自宅での死」を取り戻すために必要なものは何か?についても、論じられている。

共感『診療報酬を在宅に誘導し、在宅死率を上昇させようという動きがある。それ自体は良いことだと思うが、「在宅死」を支える要件(緩和医療技術の水準確保、情報共有の方法、アセスメント、ガイドラインのチーム内共有などの、最低限持つべき技術)を考慮せず、安易に在宅医療を参画しようとする、危うい社会的機運が醸成されつつある』


共感箇所について…細かいことは現場まかせで、枠組みだけは整備する。という姿勢がある限り、「自宅での死」がノーマルなものになることはないだろうと思う。
せめて、援助者をサポートしてくれる機関が存在すれば、援助者(サービス提供機関)は孤軍奮闘せず、そしてより幅広い視野で、援助にあたれると思うのだが…。
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「家庭医の現状と展望 ・家庭医に期待される五つの機能」 酒井忠明 (2004)

2008-07-16 10:50:34 | 医学
「医療改革時代の在宅ケア 死ぬも生きるも我が家がいちばん』 
                        佐藤智/編 日本評論社

ライフケアシステムのシンポジウムをまとめたもの。
他に、柳田邦男氏、日野原重明氏の発言録も収録されているが、目新しさは感じなかった。

・家庭医に期待される機能
①継続性…医師が患者さんに対して、診察をしたその時だけではなく、患者さんの健康について、継続的に関心を持つこと

②包括性…病気毎に診るのではなく、その人に健康上の問題があるんだという観点から、患者さんを全体として診る。

③常時性…24時間での電話対応がその一つの方法。継続性と包括性があってこそ、常時性も実現できる。

④人間関係…患者と医師との人間関係。お互いに「普通の人」として認め合うことが必要。

⑤調整能力…医師が専門家とのネットワークを自分で持っていて、さらにそれを自分で統制する力を持っているべきだ。


④について…「普通の人」とはどういう人か?おそらく、医師と患者という垣根を取り払うべきだという趣旨だとは思うが、あまりに垣根がなさ過ぎて、専門家たる信頼性が無くなってはいけないと感じた。

⑤医師個人のいわゆる人脈のことか、はたまたネットワーキング(能力)のことか?「統制する」というのは何についてか?何もかもを医師がやる必要はないと思うし、できていないのが現状ではないだろうか。「できていないこと」を整理し、他職種に振ることも、大切な「機能」だと思う。


副題となっている「死ぬも生きるも我が家がいちばん」…家で過ごすのは心地よいことではあるが、万人がそうとは限らないだろう。この言葉(理念)でつぶされている患者さん本人やご家族がいることを、援助者は見落としてはいけないと思う。
コメント (2)
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