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再度、先祖供養のまとめ

2011-07-08 12:25:01 | 先祖供養
 宗教に関心を持たない人も、先祖供養には意外とご執心なのには驚かされます。アプリオリに先祖供養は自分の「運」を左右するって分かっている為なんでしょうね。新興宗教で霊魂・心霊観の乏しい、教義・理屈中心の教団があるかと思えば、逆の立場を堅持する教団もある。ここではっきり云いますが、極端に偏執している教団には入会するべきではないです。また、古社・霊社の祭神を軽んじる宗教・教団も駄目ですね。日本には戦後、この様な新興宗教が多くできました。また、入会している人々も非常に多いですね。

 心霊・神霊・霊魂を認めない、我流の法事を執り行う教団信者に多いのが、首から上の病気です。人体で頭は目上、先祖、神さんを表します。近年、神経症の増加が顕著ですが、霊的影響を受けていることに起因していることも視野に入れるべきではないでしょうか?特にこれからの時代、霊的防御方法を会得する必要があるでしょうね。早い話、先祖供養を充実させて、霊的な関心、知識を学習するべきだと思います。そこで具体的な方法を挙げてみます。

 1・産土神への尊崇 もし可能であれば、自分の両親が住んでいた場所の産土神社を探して欲しいですね。私の場合、父の産土神社の祭神は素戔嗚命と北野天神。母も同じ産土神であった。そして今住んでいるところも、同じご祭神と縁がある所だ。おまけに職場も。まあ、産土神は出雲系の神様が主体なんで、確率は高いんですが。・・・ちょっと驚きましたね。見えざる手によって導かれているんでしょうかね?天神様は母の氏神様でもあります。

 自分が生まれた場所の産土神・神社を探し出す。また、自分が住んでいる産土神も。ここからが祈願のスタート地点です。「お世話になっています」と礼を尽くした作法でお祈りをします。祈願はまず感謝から入り、折に触れ、その時々足を運びます。徐々に馴染んだら、「私のご先祖様をどうぞ引き上げて下さい」と祈願します。勿論、お賽銭はきちんと入れましょうね。お寺へのお布施見たいなものですね。

 2・一の宮への祈願 次に住んでいる場所の一の宮にご先祖さんを引き上げて下さいと祈願します。

 3・信仰している寺社への祈願 自分と縁のある古社・霊社にご先祖さんを引き上げて下さいと祈願します。

 関西で神道式なら春日大社での祖先祭を考えてもいいでしょう。これと併せてお盆、お彼岸、祥月にお寺で供養して頂いても良いでしょう。

 4・家での祖霊祀り 仏壇、神棚できちんと位牌、神璽を整えて、日々ご供養する。(この時、中心となる神仏、あるいは高祖を念じなくてはなりません。要は徳の高い神霊に取り次ぎをしてもらうわけです。自力では雑念、魔が入りやすく難しいです。)

 5・他人まかせにしない。 お寺さんとかに任すだけではいけません。祭主の主体はあくまでもやり始めた自分自身にあります。
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22 コメント

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神式の先祖供養について (K)
2011-08-15 04:14:05
はじめまして。しばらく前からこちらでいろいろ学ばせて頂いております。神仏習合的な先祖供養について述べているサイトはなかなか無いので、とても勉強になります。

失礼してご意見を伺ってもよろしいでしょうか。

・当家の墓はお寺さんでなく民営の霊園(集団墓地)にあります。家からは少し離れたところで、我が家のある土地の産土さんとは違う神社が産土さんです。こちらのお社にもご挨拶した方がよろしいでしょうか?(ちなみに祭神はニギハヤヒ様です。)
・家の神棚などで先祖の引き上げを願う場合、母方や傍系は産土sまが違いますから、自家の産土さまにはお願いできませんよね。その場合、幽界を主宰するという出雲の大国主さま(スサノオ/オオナムチ)ならオールマイティ、となりますでしょうか?
・「神様に先祖の霊をお引き上げ頂く」というイメージがどうにも上手く掴めません。仏式なら例えば阿弥陀様に光に満ちた極楽浄土にお迎え頂く、という風に容易くイメージ出来るのですが。神道的にはどう観想するのがよろしいのでしょう。

何卒よろしくお願い申し上げます。
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先祖供養について (探玄)
2011-08-15 19:11:46
Kさんこんばんは。

>当家の墓はお寺さんでなく民営の霊園(集団墓地)にあります。家からは少し離れたところで、我が家のある土地の産土さんとは違う神社が産土さんです。こちらのお社にもご挨拶した方がよろしいでしょうか?(ちなみに祭神はニギハヤヒ様です。)

 私が書いた方法では出生地、居住地、家系的なところからの守護神(氏神)、産土神を主体にしているんですが、貴方様は墓所の産土神も大切では?と云うご質問と推察致します。

 寺院と神社は習合の形体だったものが、明治維新後の廃仏毀釈により破壊されました。しかし、現在もその名残を留めている寺院も多いです。

 寺院は江戸時代、行政の役割も兼ねているところも多く、住民の恨みを買っていた寺もあったようですね。廃仏毀釈の拍車がかかった原因の一つはこう云うことにもあるんでしょう。

 話がずれてしまいました。すいません(笑)。私的にはご挨拶された方がいいと思います。私の墓所も旧態依然とした神仏習合のお寺なんですが、神社には足を運んだことがあります。

 ただ、住職さん的には、まず本堂をお詣りして、それからお墓にお参りするのが筋だろうと云いますけどね(笑)。

 それと、ニギハヤヒ命は天皇家が日本を統一する以前、既に大神の勅令を受けて日本建国に尽力した大切な神様です。お詣りしていけない訳はありませんからね。


>家の神棚などで先祖の引き上げを願う場合、母方や傍系は産土さまが違いますから、自家の産土さまにはお願いできませんよね。その場合、幽界を主宰するという出雲の大国主さま(スサノオ/オオナムチ)ならオールマイティ、となりますでしょうか?

 そのとおりです。(よく御存じですね。貴方様は素人さんではありませんね。 笑)先祖の引き上げは、幽界を取りしきっている出雲系の神様にお願いするのが正解です。大社教なんかは大国主命中心です。

>「神様に先祖の霊をお引き上げ頂く」というイメージがどうにも上手く掴めません。仏式なら例えば阿弥陀様に光に満ちた極楽浄土にお迎え頂く、という風に容易くイメージ出来るのですが。神道的にはどう観想するのがよろしいのでしょう。

 神社にお詣りされたことはあると思います。大抵が、ああしてください、こうしてください、って云う我欲中心です。神社にいる神霊は先祖の御魂上げにもご利益があります。イメージとしては、阿弥陀さんと同じように考えて差し支えないと思います。ただ、阿弥陀仏像として形は存在していない分、観想しにくいとは思いますけど。例えば、私は春日明神を勧請する時、地蔵菩薩をイメージします。大神神社の拝殿でお祈りをしていた時、白馬が頭に浮かんだことがありますが、象徴的な日輪、御幣をイメージしてもいいのではないでしょうか。ただ無心におすがりするだけでも充分だとは思いますけどね。イメージ云々は密教では重視致しますが、神道は観想よりも気持ち、思いを重視しますからね。賢しらな思いを断ち切って縋り付く、全てをお任せする思いが大切だと思います。
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Unknown (K)
2011-09-07 03:27:36
探玄様
先日はご返信誠にありがとうございました。九州在住なのですが、御陰様であれから大神神社の大物主様にご挨拶するご縁を賜りました。春日大社にもお参りし、探玄さまのように祖先祭、とは行きませんが、拝殿前にある先祖供養の塔婆?のようなものに供養をお願いして参りました。様々なアドバイスを頂いたことに重ねて御礼申し上げます。

さて探玄さま。春日大社は大国主/大物主サイドからすれば最も曰く因縁付きの天津神系御祭神では・・・(^^;、何故ここで先祖祀りを?、と思わなくもないのですが。

さて余談を。以前大物主=地蔵菩薩とコメントしてらっしゃいましたよね。天に対して地を本領とし冥府を司ることからして、私も全く同意です。気多大社や伯耆大山の大神山でもオオナムチの本地は地蔵様とされてますし。ただ、長く大三輪を治めていた平等寺の伝では三輪の神様の本地は十一面観音だそうで。水神としての性質もありますからこの対応にも理は有りますが、十一面尊は多く厳島社に代表される女性の水神の本地とされます。ともあれ、地蔵&十一面の組み合わせは個人的にとても意味あるもので、大国主&多岐理毘売or多岐都比売、ニギハヤヒ&市寸島比売、祓戸四神の1男神&3女神・・・ひいては原初の男性神&女性神にも通じるもの、と勝手に思っております。大日如来も三輪の本地とされますが、これは現在の「アマテラス」同様に両者の統合、ではないかと。

駄文平にご容赦を・・・
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Unknown (探玄)
2011-09-07 08:05:47
 Kさんおはようございます。

>>春日大社は大国主/大物主サイドからすれば最も曰く因縁付きの天津神系御祭神では・・・(^^;、何故ここで先祖祀りを?、と思わなくもないのですが

 常識から云えばそうですよね。まず一つには、祖先祭自体、執り行っている神社が限られていることです。大神神社ではしてませんからね。

 2つめに、春日大社は表向きは天津神ですが、境内に祭祀されている神は出雲の神様がその大半です。大物主の神様もお祀りされていますよ。

 以前に書きましたが、全国にある各神社は連動していると考えた方がいいでしょうね。それも出雲系の神霊で。・・・

 春日の神官は現在も藤原氏の血脈を引く人らが中心なんですが、バックにいる神社の神霊は出雲の神様ですんで問題ありません。


>>三輪の神様の本地は十一面観音 

 よく御存じで。神様も仏教と習合する過程で、地蔵・観音と色々な仏様と関連付けられました。まあ、物の譬えですね。私が春日明神を地蔵とイメージするとしたのも、私自身のイメージが中心です。(物語とか見ての判断ですが・・・)

 ちなみに、十一面とは仏教的に云えば、何を譬えてるかご存知ですか?これが分かればホント脱帽です。もしよろしければ、再度コメントして下さいませ。

 
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Unknown (石上と大三輪と大和神社と…)
2011-09-07 16:46:19
>ちなみに、十一面とは仏教的に云えば、何を譬えてるかご存知ですか?

荒神様ですか?
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Unknown (探玄)
2011-09-07 20:13:38
>>荒神様ですか?

 違います。
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Unknown (K)
2011-09-08 03:49:25
貴重なお話誠にありがとうございます。本当に勉強になりますm(_ _)m

「表向き」の祭神・祭祀。そこに隠された「裏」。これがもう私には頭がこんがらがる元なのです。スサノオやニギハヤヒ、さらには宗像三女神など、天津神なのか国津神なのか。その他でも場合によっては男神か女神か、親神か子神かさえも分からなくなってくる場合があります。あまり詮索するのも不敬僭越、とは心得ておりますが。

十一面の仏教的意味。はて何でしょう??十一面尊はわが本尊ですので、是非是非ご教授下さい。

個人的な印象ですが、「普門」の原義や海/池/雨など水のイメージが多用されていることなどから、十一面尊こそ「観音経」の具現、のように感じております。


返信する
Unknown (探玄)
2011-09-08 07:35:42
 Kさんおはようございます。

>>「表向き」の祭神・祭祀。そこに隠された「裏」。これがもう私には頭がこんがらがる元なのです

 勿論、私とて同じ思いです。神様の名前は非常に大切なのに、とてもややこしく、漠然としたものが多いです。その原因は①記紀に記された神様は天皇家(応神から現在まで続く今の天皇家)を中心に据えなければならないため、それまでいた出雲族が尊崇していた神々を脇に追いやる構成になっている。②神々は自然神を対象にしており、その働き方で名前が複数ある。個人的にはこの2点が大きな障害ではないかと考えております。日本の神社で歴史のある古社は、表向きはどうあれ出雲系の神様が働いています。

 
>>十一面尊こそ「観音経」の具現、のように感じております

 私も同感です。あらゆる姿に変化して衆生を救済する慈悲の仏様です。十一面仏教的な意味?・・・これは浅い解釈と深い解釈に分かれるんですが、私が望んでいた答えは深い解釈の方です。即ち十一面とは、「南岳大師一念三千の本尊を以って智者大師に付す、所謂絵像の十一面観音なり。頭上の面に十界の形像を図し、一念三千の体性を顕わす、乃至一面は一心の体性を顕わす等云云。」と修善寺決に記されています。一言で云えば、一念三千と表現できるでしょうか。・・・でも、法華経(観音経)を提示されているんで大当たりです。凄い!
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Unknown (K)
2011-09-08 14:11:30
「自然神」。例えばスサノオは自然の猛威の象徴即ち自然神、という説もあれば、朝鮮を出自とする出雲の権力者の霊を祀ったもの即ち元は実在した人物の霊、という説もあります。これは他のあまたの神格に関しても事情は同様ですよね。探玄様はこの問題についてどうお考えですか?私は、権力者などの御霊が自然の諸力に対する人々の祈りの「依代」とされた、のかな?と愚案しております。

九州の神社は本当に八幡系の神様が多いです。祭神でなくとも相殿神や境内社の祭神であったり。これも探玄様のお話に鑑みれば宜なり、ですね。しかし、封じられた古の神々はよく言われるように、そのことをまだ怨んでおいでなのでしょうか。私としては大祓詞などにあるように天津神国津神今は相和して、過去の遺恨は水に流して共にお働きなのだと「信じたい」です。本地垂迹説等で日本の神々を仏法に帰依するものとしたのも、多少はこの問題に関係しているのではないかと思われてなりません。

私が日頃お参りしているいくつかのお社も、本来の祭神は違っていたのであろう節のあるところが多いです。そのため、自分の祈りはどの神様に伝えるべきなのかとの迷いの念も出て来ますが、基本的にはあまり余計なことは考えず「この社にます大神さま」と念じるようにしております。

さて頂いたお題への答え、意外にも少しはカスっていたようで(^^;しかしお示しの模範解答のような深い話、私からでは逆さにふっても鼻血も出ません(汗)。

探玄様は、先祖供養の本尊として十一面尊を祀り観音経を読誦ことは適当、とお考えになりますか?本格的な日蓮系の教えでは観音経はあまり重視しない、と聞き及んでおりますが。

返信する
Unknown (探玄)
2011-09-08 18:35:15
 スサノオ命を自然神か、若しくは人間を神格化したものかは議論の分かれるところです。私個人はスサノオ命は自然神と考えております。

 根拠としては、出口聖師(王仁三郎)の著作群、いざなぎ流でのスサノオ命のポジション、霊能者らの意見、物語等で記された霊験記です。

 現代でもいてますよ、スサノオ命の眷属霊に導かれて、宗教界に入っている人は。(私が加行で指導を受けた人がその当人でしたが。)

 学者は霊の世界とか分からないし、分かろうとしません。ですんで人間を神格化したものだと云い出したりします。

 >>九州の神社は本当に八幡系の神様が多いです

 宇佐八幡の神官は確か三輪氏の分かれが最初だったはずです。三輪氏は太田種子(オオタタネコ)が始祖ですんで、完全な出雲族出身です。

 要は大国主命より先のご先祖であるスサノオ命を祭祀しているんです。しかし、それでは朝廷にどんな云いがかりを付けられるか分からない。

 都合のいいことに、仏教が日本に輸入されていたんで八幡大菩薩と称してカモフラージュしたんですね。

 家の近所に誉田八幡というのがあります。御祭神は応神天皇なんですが、天孫族(天皇家)は宇佐の一件を知ってしまったんで巻き返し策を弄した可能性も考えられますね。(応神天皇の神格化のイメージが一般には強いですから。)

>>封じられた古の神々はよく言われるように、そのことをまだ怨んでおいでなのでしょうか

 私もKさん同様、恨まないで欲しいと念願しています。しかし、歴史を見るとシコリが残っているように思います。

 徳川政権なんか完全に鴨一族(出雲族)の復興ですよ(笑)。ほんとは家康に天下なんて獲れるはずがなかったんです。(あくまで私見です)

 それと私から云わせると、今の天皇家なんか血筋的に平民と変わりません。高貴な血筋は完全に社家(社家の中心層は出雲族の血脈で占めています)にシフトしてます。

 不敬もいいところですが、血統的に今の天皇家は存在意義を失いつつあります。本当の歴史が日本で明るみにされたら(天皇家は真実を知ってます)決定的でしょうね(笑)。

>>本地垂迹説等で日本の神々を仏法に帰依するものとしたのも、多少はこの問題に関係しているのではないかと思われてなりません。

 ある意味、仏教が輸入されて歓喜雀躍したのは、先住民である出雲族だったかも知れませんね。菩薩と称して自分たちの先祖を大っぴらに祭祀できるんですからね。

>>基本的にはあまり余計なことは考えず「この社にます大神さま」と念じるようにしております

 私も貴方様と同様です。

>>探玄様は、先祖供養の本尊として十一面尊を祀り観音経を読誦ことは適当、とお考えになりますか?本格的な日蓮系の教えでは観音経はあまり重視しない、と聞き及んでおりますが。

 おっしゃるとおり日蓮系では観音経を重視しません。しかし、宗祖である日蓮聖人が重視しなかったのか?と云えば、そうではないようです。御義口伝には非常に重要である旨記されております。

 方便、寿量品が中心ですね。観音経は天台、真言、修験の方がよく読みますね。それと、本尊として十一面観音をお祀りしていいと思いますよ。

 
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