小生が蔵王堂で管長さんのご冥福を祈った時、権現さんが小生の思いを納受してくれたと感じた。正直言うと、今年で小生は宗門から身を引こうと考えていたのだ。それが管長さんの訃報を聞き、蔵王権現さんにお祈りして180度変わってしまった。何故辞めようと思ったのかと言うと、宗門内の嫌な部分をあちこちで見てしまったこと。さらには小生の師僧に当たる方への仕打ちが冷淡であったことからだ。師僧は行者さんであって、事務的なことは苦手だったことが大きな要因であろうが、所詮寺も世間も同じかと小生は感じたんだ。一番大きな理由は、宗内を取り仕切る偉いさんが、小生の師僧を満座の席で罵倒したことだ。それと、師僧が不本意な仕事を黙々とさせられた挙句、左遷させられたこと。これらを見て、小生は山にも登る気がせんようになったし、行事ごとにも参加せんようになった。
しかし管長さんの訃報を聞き、考え、祈る中で小生は宗門に残ることを決意した。
しかし管長さんの訃報を聞き、考え、祈る中で小生は宗門に残ることを決意した。
そこで師である順教が吉野山を眺めながら言われた言葉をお伝えしたいと思います。
「桜の山も綺麗だが、一色ではどうしても弱い。」
今になってその言葉が一層深く感じます。
平成16年頃から金峯山寺の大改革を断行しようとしていましたが、少し時間が足りなかたのか、押しきれなかったのか、邪魔されたのか・・・
方向性としては今東光先生的な力強い路線を望まれてました。
五條順教の理想とした原点を重んじた金峯山寺像は、全て私が引き継いでおります。
>>「桜の山も綺麗だが、一色ではどうしても弱い。」というお言葉の意味は、五條一族だけでは一山経営が心許無いという解釈でよろしいんでしょうか?
まあ、初代管長さんの偉大な功績があって、今日の金峰山寺がありますんで、小生ごとき若輩が差し出がましいことは到底申し述べることは出来ませんが。・・・
まずは、新管長さまのもと、寺運がますます興隆せんことを祈るのみでございます。
それに尽きると思います。ご開帳から始まっていますが、とても大きな仕組みの中で動いています。その先は少し長くなりますが56億7千万年後に金峯山の金を敷き詰め弥勒菩薩が歩くというのは、実は今です。今も、と言ったほうが無難かもしれませんが皆さんが中心人物になりえます。皆さんにお話ししようかと考えていましたが、なかなか機会がないものです。それでは失礼します。
>>開祖役行者、蔵王権現が何を望まれているか・・・
厭離穢土。欣求浄土。かと思います。
>>皆さんが中心人物になりえます。
はい。しかし、凡夫の性と申しましょうか。小生も煩悩から抜けきれない日々を送っております。
貴重なご指導ありがとうございます。
宗門だのなんだのと悩むのは蔵王尊もお望みではないように思うのですが。
あくまで素人考えですが。