まあ、謗法の論説も結構載せているんですが、何故かまた日蓮義に就いてあれこれ考えることがあったんで投稿しました。
其れは日蓮宗(身延)の教観相対をみて感じたことなんですね。ご存知のとおり日蓮宗は一致派です。現在の日蓮宗宗学は五重相対で教判の骨格を据えています。其の五重の最後が教観相対です。
其の一つ前は本迹相対で、迹門より本門がより深く悟りの内容を説いているって云う意味です。
更に深く教観相対で本門の教説と比べると、法華寿量品の文底に秘し沈められた(文底秘沈)観法がより重要だと説明しています。要は教判全体の流れは相対させることで、浅義から深義を説明しているんですね。ただ、日蓮宗の枠組みは最初に挙げた一致派が宗義です。
此れって矛盾していませんか?何故なら法華寿量品は本門です。また日蓮宗が唱える文底秘沈の観法は此の本門中から出たものなんですね。此処から導かれるのは勝劣派バリの教判だと云うこと。
何でこんな教判を生み出したかと云えば、富士門流や隆門を意識して相伝ではなく人工的に練り上げた教判だからなんですね。
一方の富士門流や隆門の五重相対の最後である種脱相対を見ると、本迹を一括りにした教観を熟脱とし、其の本迹を更に深掘りした教観を下種として相対させて説明しています。富士門流と隆門は本迹を区別した勝劣派で有名ですが、此方の方が一致派と云っても良いくらいです。では何故、勝劣派と称するかと云うと、法華本迹の法行観に関する教観を脱とし、また迹門とし、法華本迹の信行観に関する教観を下種とし、また本門としているからなんですね。法華文上の本迹の勝劣ではないんですよ。
此れを具体的に示したものに、富士門流に伝わる相伝書百六箇抄が在ります。此れを読むとハッキリ分かるんですね。隆門は富士門流系から種脱相対の極理を聞き及び、日隆上人が完成させた教義かと思います。伝播に就いてはまたの機会に述べるとして、日蓮義の正嫡は富士門流だったことで締めくくりたいと思います。
其れは日蓮宗(身延)の教観相対をみて感じたことなんですね。ご存知のとおり日蓮宗は一致派です。現在の日蓮宗宗学は五重相対で教判の骨格を据えています。其の五重の最後が教観相対です。
其の一つ前は本迹相対で、迹門より本門がより深く悟りの内容を説いているって云う意味です。
更に深く教観相対で本門の教説と比べると、法華寿量品の文底に秘し沈められた(文底秘沈)観法がより重要だと説明しています。要は教判全体の流れは相対させることで、浅義から深義を説明しているんですね。ただ、日蓮宗の枠組みは最初に挙げた一致派が宗義です。
此れって矛盾していませんか?何故なら法華寿量品は本門です。また日蓮宗が唱える文底秘沈の観法は此の本門中から出たものなんですね。此処から導かれるのは勝劣派バリの教判だと云うこと。
何でこんな教判を生み出したかと云えば、富士門流や隆門を意識して相伝ではなく人工的に練り上げた教判だからなんですね。
一方の富士門流や隆門の五重相対の最後である種脱相対を見ると、本迹を一括りにした教観を熟脱とし、其の本迹を更に深掘りした教観を下種として相対させて説明しています。富士門流と隆門は本迹を区別した勝劣派で有名ですが、此方の方が一致派と云っても良いくらいです。では何故、勝劣派と称するかと云うと、法華本迹の法行観に関する教観を脱とし、また迹門とし、法華本迹の信行観に関する教観を下種とし、また本門としているからなんですね。法華文上の本迹の勝劣ではないんですよ。
此れを具体的に示したものに、富士門流に伝わる相伝書百六箇抄が在ります。此れを読むとハッキリ分かるんですね。隆門は富士門流系から種脱相対の極理を聞き及び、日隆上人が完成させた教義かと思います。伝播に就いてはまたの機会に述べるとして、日蓮義の正嫡は富士門流だったことで締めくくりたいと思います。
種脱を縦分けて、天台を超えている宗学を確立しているのは、法華系では富士門流と隆門だけです。
法華開会した仏法は下種、仏種になる可能性大です。体内だけでなく、体外の教えも可能性大なんですね。三法妙を具足した信仰は権教でも下種、仏種になる可能性は大です。ただ、そんな中、日蓮の信行観の宗旨は100%下種になると私は考えています。其れは謗でも誉でも。
いました。先生の専門は華厳なのにね。
今の心境として、私も同感です。