弘法大師の十住心論はかなり前にも書いたけど、ある種人間の信仰形態を端的に述べている。動物的心情から人間的心情。非道徳から道徳(儒教)世界。儒教から道教。さらには小乗から大乗。顕教から密教へ。最終信仰形態は密教に置いている。弘法は密教をことさら大日経、金剛頂経などに置いているが、これが間違い。心霊・交霊技法を中心とするスピリチャルな大乗仏教とすれば間違いはなかった。本山博氏も言っているが、金剛大乗仏教は仏教の最終進化形ではある。日蓮さんの本を読めば、密教に非常に関心があることが伺われるし、彼の本意が実はもっと高度な信仰体系に根ざしていることが分かる。寺泊御書に梵語で記されていた法華経は、現在の大日経と法華経であり訳者がそれぞれ抽出した旨のことが書かれてある。高野山に行くと日蓮の旧跡もある。愛染・不動感見記という真筆もある。比叡山の相輪塔には大日経と法華経が一緒に収められている。
要は三大秘法は初心法華行者の観心の本尊ではあっても、「行」としての最終段階ではないようだ。