ブログ de なんで屋 @東京

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6/27なんでや劇場「日本人はいつ物を考え出すのか?」 劇レポ3/5

2010-07-04 17:34:30 | なんでや劇場

『騙しの破綻→特権階級は追い詰められている』
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学習観念(近代思想)は役に立たない。学校教育で習ってきたことだけでなく、本で読んだ認識もほとんど役に立たない。また、マスコミの報道や情報は捏造だらけで、人々の判断を狂わせるだけ。

反復し定着していない認識が使えるわけがない。認識を反復→定着させず、次々と新しい教科・科目を詰め込んできた学校教育は愚民を作ってきたに等しいのではないか? しかも教えている中身は架空観念のオンパレードである。それが現実の役に立つはずがない。そして、学校に行く動機も己の利権のため。

これら教育の問題全体を総合的に捉えると、膨大な時間とエネルギーを費やしたにもかかわらず、ほとんど役に立っていないわけであって、近代以降、大掛かりな騙しの枠の中に我々ははめ込まれてきたのではないかという疑問が生じてくる。

こういう状況(構造)はどう捉えたらいいのか?

近代以降200年、学校教育が始まって100年余りが立つ。
その中で、全体が騙しであるという認識を得たのは最近1年くらいの話であり、それまでは気づかなかった。

もちろん、近代思想がペテンであるということは、共同体類グループ設立の前から発見していたが、近代社会が金貸しに支配されているという認識はこの2~3年のものである。そして、理解しようとして読むこと(理解主義)が洗脳の罠に嵌る構造は数ヶ月前に発見されたものである。ここに来て近代社会の騙し(罠)が続々と発見されるのはなぜか?

主体側の原因として、'70年貧困の消滅以来、私権原理から共認原理への転換が進行しており、私権収束力が衰弱し、それに代わって共認収束力に転換したので、新しい角度からの発見が可能になったという面は当然ある。

しかし、やはり大きいのは対象側(外部状況)の変化である。
ここに来て次々と騙しの構造が発見されるのは、近代社会の支配階級(金貸し)とそれに連なる特権階級(学者・官僚・マスコミ)が追い詰められていることの現れではないか。
今ままではボロが出なかったが、'00年以降、9・11事件の捏造をはじめとして、もはや彼らの策謀は大衆の目からはミエミエである。

特権階級が追い詰められている、その現れの一つが、日本における検察・官僚・マスコミに暴走である。彼らは一般人にはない権力を持っている。例えば、無数の微罪・軽犯罪のどれを挙げてどれを見逃すか、その裁量権は検察・官僚が握っている。マスコミの編集権も同様。

従って、権力を握る人間は公正でなければならない(そうでなければ不正の温床になる)というのが、これまでの不文律であったが、現在の検察も官僚もマスコミも公正さを投げ捨て、その暴走は止まる所を知らない。

特権階級たちがここまで暴走し、誰の目にも明らかなボロを出したのは、今回が初めてである。それは彼ら特権階級が追い詰められていることの証左であり、彼らは背に腹は変えられないが故にミエミエの手段でも繰り出さざるを得ず、そしてその多くが大衆にバレてゆく。

こうした状況で、学校教育やペーパーテスト全体がおかしいのではないかという問題意識が我々に生まれ、近代社会の全てが騙しなのではないかという認識が登場してきたのである。

こういう認識が登場したということは、騙しの構造を突破しうる可能性がどこか現実に存在するということを意味する。∵人は可能性がないことは考えない。

そして、今や私権時代から共認時代へ大転換中→旧思想は役に立たない⇒新認識が必要とされている。

では、騙しの構造を突破する新認識の必要性は、どういう構造(条件下)で生まれるのか?<o:p></o:p>

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その4に続きます。


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