ブログ de なんで屋 @東京

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るいネット秀作投稿紹介「1/31なんで屋劇場レポート」

2010-02-18 22:46:47 | なんでや劇場
前回に続いて、今回もるいネットから秀作投稿を紹介します。前回は「次代は共同体の時代!」をお届けしました。なぜ次代は共同体の時代といえるのか、詳しく時代の流れを追って見て行きます。

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1/31なんでや劇場レポート1
 「遊びの失速」は、何を意味しているのか?


■遊びの失速とは?
クリスマスや正月と言えば過去は”遊びの季節”でありお祭り気分に浮かれ騒いでいたが、09年末はとてもそんな雰囲気ではなかった。旅行・遠出をする人間が減り、高速の渋滞も例年に無く少なかった。「巣ごもり消費」と言う言葉が象徴しているように、外に出かけに行く人間が減っていったのだ。

過去は、「クリスマスに一人でいるのは、恥ずかしい」という焦りから、何としてでも相手を探し、予定を立てていたものだが、そのような”焦り”が消えて無くなってしまった。

■遊び欠乏の中心にあったものは、なにか?

遊びの歴史:1950~60年代ダンパ、映画、1960~70年代スキー、ボーリング、1980~90年代カラオケ、合コン、ショッピング、飲み会

これらの遊び、そして場は、男と女が連れ立ってする「遊び」であり、都会の華やかさを演出してきたものだった。それが半分以下になってしまい、見る影もない。

1950~80年代の華やかし頃の遊びが象徴しているように、男と女が相手を見定める(その口実となる)ものが「遊び」だった。遊び欠乏の中心は、(男女という)性の欠乏だった。

■性の欠乏は、歴史的にどのように、焦りを生み出す競争圧力を作ってきたのか?

原始共同体の時代(500万年前~5000年前)は集団の規範によって相手が決められていた。だから、競争圧力が働かない。

古代市場の時代(5000年前~500年前)は宮廷サロンは支配階級の不倫の場であって、性市場そのものだった。抜け駆け性闘争の場であって、強い競争圧力が働く場となった。

近代市場の時代(500年前~現代)は、この性市場が都市全域に拡大した時代だった。

「自由な性」とは女の挑発本能と男の狩猟本能が交差する場。女の挑発と男の狩猟が、性市場での強い男女引力を形成する。男女とも、相手を選択する場であり、強い競争圧力が働く。この競争圧力が「焦り」を生み、「誰かと一緒にいなくては」といった強迫観念も生起させる。

■2009年遊びが衰弱したのはなんで

1970年に豊かさを実現し、自然圧力が衰弱すると、男女役割を分担する意味が薄くなり、役割規範も無意味化していく。加えて、戦後教育で盛んに言われてきた「男女同権思想」が広がっていったことで、長い間引き継がれてきた男女役割規範が消え去ってしまう。

男女役割規範が解体され、男女が中性化し続けた結果、女の挑発欠乏も、男の狩猟欠乏も衰弱してしまった。

しかし、これは1970年以降、段階的に性の活力が衰弱してきたことを示しているだけで、2009年の急激な「遊びの失速」の直接の契機ではないだろう。

より根底的には、豊かさの実現による自我・私権の可能性がなくなった事。さらに、特権階級の暴走によって秩序崩壊の不安が強まり、「女どころではない」=「遊んでいる場合ではない」という意識が決定的になったこと。

■この「遊びの失速」は、何を意味するのか?

遊びの失速は市場を急速に縮小させていく。この中で、例え私権強者と言えど成果は上がらず、給料が下がっていく。さらに彼ら自身の私権欠乏も終息過程に入り、私権強者の活力が衰弱していくだろう。

私権体制において判断権・決定権を持ち指揮系統を牽引してきた私権強者が失速していけば、もはや私権体制は維持できない。

☆2010年代は、私権体制がいよいよ崩壊過程に入る。

「1/31なんでや劇場レポート2
 私権体制の崩壊⇒共同体の時代へ


■遊びの衰弱・性の衰弱が起きた現代は、過去の歴史と何が違っているのか?

過去のいかなる時代にも、遊び・性の衰弱は生じていなかった。では、現代とこれまでの時代ではなにが違っているのか?

極限時代、採集時代、私権時代を貫く共通項があるはず。それは何か?「明日もその先も、今日と同じ」ということが共通項ではないか。

飢餓や戦争や革命の時代は「明日もその先も、今日と同じ」とは言い難いが、性が衰弱したことはないという反論があがるだろう。

戦争や革命など古い秩序が崩壊or消滅しようとする時は、一方で新しい秩序が登場してきた。現在は、秩序が崩壊or消滅しようとしているにもかかわらず、新しい秩序は登場してこない。

この社会秩序が崩壊してゆく感覚、しかも新しい秩序が見えない(分からない)不安と焦りが、性欲さえ「それどころではない」と脇に押しやるほどの強い力を持った得体の知れない不安と焦りの正体である。

■なぜ、新しい秩序がどこからも出てこないのか?

現在は、私権体制がいよいよ崩壊過程に入るという状況をむかえている。つまり、私権時代のパラダイム覆す必要がある。にも拘わらず、社会統合を担っている特権階級は依然として私権時代の枠組みの中での思考しかできていない。これでは、私権体制を覆す新しい秩序の提起がどこからも生まれてこないのは必然である。

■どうしたら新しい秩序は作り出せるか

ここで歴史を遡って考えてみると、過去に共認社会から私権社会へのパラダイム転換が起きている。このときに原始共同体を破壊したものは、自我、性闘争の封印が解かれ、さらに飢餓の圧力に晒された略奪集団による武力の発現だった。

つまり、『理論(観念)』ではなく『力』が共同体を破壊したということ。このことから、既存の私権体制を破壊する『力』が何なのか?を探ることで、新しい秩序構築の足がかりとなると考えられる。

■私権体制(弱肉強食)の世界を崩壊させる力とは、何か?

武力によって武力(⇒資本)支配を破壊できないか?ドル・米国債暴落による秩序崩壊の結果は、略奪集団(武装集団)の中で、共同体が存続していけるかすら怪しい。武力で再統合された私権社会としかならず、私権体制は覆せない。

武力で覆せないなら、それに代る力とはなにか?私権制度が機能不全に陥り、社会活力は衰弱しているが、現在でも活力が生まれているケースはある。例えば、企業集団において女の充足基調に基づく発信が男たちをヤル気にさせ、男女互いの活力上昇につながっているという現象が起こりはじめている。

男女共認を土台として、その先の闘争共認をどう形成していくかという追求課題はあるが、女原理発の男女の『共認(充足)力』が、私権体制を覆す変革の『力』になるのではないだろうか?

■私権体制の崩壊、共同体の時代へ

 私権意識が衰弱した現在において、もはや企業も社会も、力による序列原理では統合不可能な状況になっている。

 また一方で中小企業を中心として、従業員自ら、自分達の組織をどうするかという当事者意識を持って、具体的な現業課題に取り組んでいる事例が少なからず見受けられる。

『次代は共同体の時代!』

従って、企業のトップの認識転換によって場さえつくることができれば、私権企業から共同体企業へと転換していくことは十分に可能である。私権時代の勝者である大企業はなかなか困難かもしれない。しかし、企業の大多数を占める中小企業には、転換の可能性がある。

2010年以降は、このような共同体の上昇過程が進んでいく。現在は、まず転換することで活力UPできるが5年後には方針の正しさが問われる時代となり、いよいよ認識収束が顕在化してくる。=理論が必要になる。

この状況から、中小企業の共同体への転換・再構築に向けて、男女役割共認を土台とした共同体教育』が求められることが予測される。共同体社会の制度設計と平行して、重要課題として取り組んでいく必要があるだろう。

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1 コメント

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Unknown (ちひろ)
2010-02-22 07:42:06
共認社会から私権社会への転換させた力は『武力』によってだった!

じゃぁこれからは?
この私権社会から共認社会への再生に必要な力は、女原理発の男女の『共認(充足)力』

凄いみんなが充たされたらいいって言ってくれてるそれがみんなの為になるんだよってなんて有り難いんだろう

このことを周りのみんなに叫びたい気持ちになりました♪♪

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