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安倍談話は「侵略」表現を拒否したい、悔し紛れの最後っ屁

2015-08-18 23:23:27 | 日記

安倍談話が発表されて以来、反響が出そろった。「侵略」、「痛切な反省」、「植民地支配」、「おわび」に触れた内容になっているーーとして読売や産経は評価した。朝日、毎日はいわば「条件付き評価」だ。世論がどのように受け止めたかを見ると、共同通信が14~15日に実施した全国電話世論調査によると、安倍首相の戦後70年談話に対して「評価する」と回答した人は44.2%で、「評価しない」の37.0%を上回った。

また、韓国の中央日報が米戦略国際問題研究所(CSIS)、ブルッキングス研究所、ヘリテージ財団、ウッドロー・ウィルソンセンターなど米国政府に大きな影響力を及ぼす主要シンクタンクと大学の北東アジア専門家30人に緊急質問(16人返答)した結果は、「否定的な評価」をした専門家は3人(18.75%)にとどまった。「肯定的に評価する」が10人(62.5%)、「どちらでもない」が3人(18・75%)だった。さらに、安倍の言葉が「過去形・3人称」であり、キーワードが巧妙に表現されたことを「歴史修正と見るべき」という回答者は2人(12.5%)にすぎなかった。「歴史修正でない」という回答は7人(43.75%)だった。

マイケル・グリーン米戦略国際問題研究所(CSIS)上級副所長は「安倍談話」が発表された後、韓国の中央日報の単独インタビューで、「韓国に対する配慮が不足したという点で完ぺきではないが、前向きな談話」と述べている。前向きだと見る理由は、「安倍晋三首相は『侵略』の定義について歴史家に任せようと述べてきたが、今回の談話で侵略の事実を認めた。また、多様な表現(悔悟、痛惜の念など)を使って反省した。残念なのは『謝罪』の部分だ。日本国民の57%は『もう十分に謝罪した』という。実際、米国・豪州・東南アジア・インドの主流も同じ考えだ。ただ、韓国は他の国に比べて苦痛が大きい。したがって慰安婦問題については談話で、より直接的な表現を使うべきだった」と、インタビューで狡猾に答えている。

私は安倍談話は事前にアメリカと何らかの形で事前調整・合意がなされていると見ているから、アメリカの反応には驚かない。マイケル・グリーンが韓国記者に気遣いして「より直接的な表現を使うべきだった」と率直な感想を述べたように聞こえるが、実は「いなし」だと見ており、共同歩調の産物と思う。どの報道機関も報じていない、安倍の発言=真意を伝えた大事なニュースがあった。

「安倍談話に隠されたものは『侵略』戦争 首相『侵略』拒否/70年談話記者会見」という見出しで伝えた2015年8月15日 9時25分しんぶん赤旗電子版記事だ。

  この会見発言はメディアの報道姿勢を窺う上でとてつもなく重要だ。そして、世論が安倍に操作された、談話の文面のあいまいさを補い、安倍の心の深層を表しているからだ。この発言は紛れもなく「歴史修正主義者」の発言だ。私自身は戦前歴史に対して、いくつもの疑問がある。東京裁判で戦勝国が示した、歴史認識に疑問がある。ほとんどの教科書に書かれた歴史認識に疑問がある。しかし、太平洋(大東亜)戦争がどんな美辞麗句をもってしても多い隠せない「侵略戦争」だったのは否定しようがない厳然たる真実だと認識している。戦前の日本の隠しようがない”恥かしい部分”だと思ている。いや”恥ずかしい部分”と言うより”恥じるべき部分”か。

記事に依ると「安倍晋三首相は、14日の70年談話発表の記者会見で、『先の大戦における日本の行いが侵略という言葉の定義にあてはまればだめだが、あてはまらなければ許されるというものではない』と強調しました。さらに『具体的にどのような行為が侵略にあたるかいなかについては歴史家の議論にゆだねる』と述べ、日本の戦争が「侵略」かどうかという問題をごまかしました。」「一方で、『かつて日本は世界の大勢を見失い経済的な行き詰まりを力の行使によって打開し、あるいはその勢力を拡大しようとした』と述べ、『その事実を率直に反省し、これからも法の支配を尊重し、不戦の誓いを堅持していく』としましたが、それが『侵略』であることを認めることをあくまで拒否しました。」としている。安倍は2012年12月末ごろから13年5月にかけて唐突に「侵略の定義はない」との強弁理屈を持ち出している。日経は「首相、持論抑え『おわび』加筆 戦後70年談話」と日経ニュースメール 8月15日の 朝版で「安倍晋三首相は戦後70年談話の作成にあたり、『謝罪外交』からの脱却を狙う持論と、歴代内閣の認識を踏襲する現実論で揺れた。当初は先の大戦への『おわび』を記した1995年の村山談話の『上書き』を狙ったが、安全保障関連法案の審議に伴い内閣支持率が低下。公明党の要請も受けて『おわび』を加筆し、持論へのこだわりを抑えざるを得なくなった。」と安倍逡巡の内幕の一部を報じている。安倍談話からは安倍の口惜しさ交じりの歯噛みが聞こえる。そして、「最後っ屁」が談話発表後の記者会見での「侵略戦争の定義による」発現ではなかったか。

歴史修正主義者が「歴史修正主義者かどうか」は、過去の歴史を「侵略戦争」と認識するかどうかで判断すべきだと思うが、正しく「侵略戦争ではない」とのスタンスに立っているではないか。しかも、曖昧にするため「侵略戦争の定義による」などと、小賢しい言い逃れをして、議論を避けている。アメリカとの論争を避けている。「アメリカの歴史こそ侵略戦争の歴史ではなかったか」と挑むべきだった。

安倍の歴史認識を満天下に曝した談話発表後の記者会見での発言を報じない、メディアはどんな雰囲気だったのだろう?私の経験から言って、相手の痛い所は衝かない行儀のよい記者で、すでに編集局長の覚えメデタイ記者揃いに違いないーーとすぐ確信した。


 

 


シリーズ③戦没兵士遺骨は野晒 怨嗟満腔死にきれず

2015-08-18 00:29:46 | 日記

310万もの戦死者が出た太平洋戦争では兵士が敵と戦って戦死したのではなく、過半が餓死か病死だったーーと前回記したが、海外でのそれらの戦没者の遺骨はキチンと収集されているのだろうか?

安倍首相は全国戦没者追悼式で「遠い戦場に、斃(たお)れられた御霊(みたま)、戦禍に遭われ、あるいは戦後、遥(はる)かな異郷に命を落とされた御霊」とのノタマワった。美辞麗句が連ねてあるが、以下の数字を見て欲しい。厚生省のHPから採用したものだ。

海外戦没者概数約240万人

    収容遺骨概数 約127万柱
   未収容遺骨概数 約113万柱
     うち[1]海没遺骨 約 30万柱
       [2]相手国事情により収容が困難な遺骨 約 23万柱
     上記[1]、[2]以外の未収容遺骨(最大) 約 60万柱
   (注1)遺骨収集帰還事業による収容遺骨数  約34万柱
   (注2)千鳥ヶ淵戦没者墓苑納骨数     約36万柱

意味深い数字だ。早い話、310万人が戦争で亡くなり、うち海外で亡くなったのは240万人、遺骨が収容出来ているのは約127万柱、未だ抛って置かれている遺骨は113満柱という。収容出来ている遺骨と野晒の遺骨がほぼ等しいという、およそ近代国家では、有り得ない実態をさらけ出している。

では、遺骨収集にどれだけの予算を手当てしているのか?厚生省HPから見てみよう。

平成25年度:350億3900万円(総計)
  援護年金203億7600万円
  慰霊事業等の推進21億2200万円
  遺骨収集帰還15億4000万円
平成26年度:325億5500万円(総計)減額は遺族が死亡によると思われる
  援護年金173億9900万円
  慰霊事業等の推進24億700万円
  遺骨収集帰還18億200万円

とある。昨年度は325・5億円だ。新国立競技場予算が約2600億円で、無駄使いも甚だしいと指弾されて、安倍は撤回したが、そのたった12・5%が昨年の予算として計上されていた。これでも増えた方で5年前の21年度は3億2100万円(総計)、22年度は6億1400万円(総計、いずれも厚生省のHPから)に過ぎなかったのだから、死者は浮かばれない。日本は厚生省に予算が無いから民間団体によるボランティアが主力だった。

一方、アメリカは、第2次大戦だけでなく、朝鮮戦争やベトナム戦争など、参戦した戦争で戦死した兵士の遺骨収集に年間55億円もの予算をかけ、チームを組んで、遺骨収集に当たっているという。「死者に口なし」とほくそ笑んではならない。怨嗟満腔で呪っているに違いない。「動かしようのない事実」とはこういう事を言うのではないか。

いくら美辞麗句を並べても、厳然とした貧弱すぎる「英霊の御霊」への仕打ち―ーと言うべきだろう。

月刊誌『Will』に遺骨収集に晩年まで精力的に取り組んだ、東條英機元首相のお孫さんの故東條由布子氏の発言が載っている。遺骨収集事業の現場を覗いてみよう。『Will』には疑問符が付く記事が多々あると私は思うが、ここには生々しい現場の声が聞こえる。以下抜粋する。

「■洞窟に二、三〇〇体の遺骨が
東條
私が遺骨調査、収集活動をはじめたのは、平成八年です。私の事務所にアメリカの元海兵隊の方々から「パラオには日本兵の骨がたくさんみるのに、どうしてほったらかしにしているんだ」と連絡が入りました。アメリカの場合はチームをつくって遺骨収集をしていますから、日本兵の遺骨が累々と打ち捨てられているのを見て不思議に思ったのでしょう。アメリカの方に「手伝ってください」といわれたことが恥ずかしくて……。
手伝うどころか、自分たちの手でやらなければならないと思い、パラオでの遺骨収集に携わるようになりました。
■死者に冷たい日本政府
編集部
アメリカは遺骨収集に熱心ですね。
東條
アメリカは軍の組織の中に遺骨収集専門のチームがあり、司令部もあって、鑑定士や医者、人類学者も加わっています。収集専用の船で南洋諸島を何力月も回っているんです。きちんとした司令官がいて、別の部隊から海兵隊員が手伝いを申し出て参加するシステムになっています。そのため、いまでもとくに海兵隊では「遺体になっても必ず祖国へ戻す」という意識は非常に強いんだそうです。」

「(遺骨収集)作業終了後に厚労省の方から「日本遺族会」と書かれた封筒に入れられたお金を手渡されました。中を見てみると、七万円も入っているんです。私は格安の航空チケットで、格安のホテルに泊まっていたので余るくらいの金額でした。
もらうわけにはいかないので「返します」といったのですが、「通常の航空券代や宿泊料で計算すると大体これくらいになるので、返されても困ります」といわれたんです。二〇〇人近くが参加していましたから、いつたいいくらかかつたのか。もっとたくさん遺骨があるところが海外にいくらでもあるのに、なんともったいないんだろうと泣きたくなるような思いでいっぱいでした。 」

「毎年この遺骨収集は二、二月の年度末に行なわれるんです。予算合わせと、「やってます」というための、単なるセレモニーとして行なわれているように思えてなりません。
■一体で五柱?
編集部
いまだにそれだけの遺骨があるという報告があるのに、厚労省はなぜ打ち切ったんでしょうか。
東條
厚労省は骨を数えるときに、頭蓋骨一個で一柱、両腕で二柱、両足で二柱と数えるんです。となると一人分で五柱になってしまうから、あつという間に予定数に達したということなんでしょう。
野口
まるで数字合わせですよね。
東條
そうなんです。だから打ち切りになったことに怒った民間の団体が、直後から活動をはじめたのですが、遺骨調査はできても、日本への持ち帰りは民間は許されないんです。
南洋諸島だけでも一一三万柱あることは分かっているし、実際調査に行って、洞窟にある骨が遺留品や状況から日本兵の遺骨だと分かっても、民間はそれを持って帰ることはできません。とにかくその部分は「厚労省の管轄だから」という。
それどころか、厚労省が「遺骨収集は終わった」としているところへ「まだここにもあるぞ」という情報が来ると困るのか、民間の活動の邪魔をしたり、向こうの大使館に「活動させないように」と連絡を入れることさえあるんです。
■「いっさい関わりたくない」
編集部
厚労省の遺骨収集担当者はわずか二〇人。アメリカは四〇〇入以上いるそうです。
野口
厚労省だけではなく、外務省管轄の現地の大使館もあまり協力的ではない。「この件に関してはいつさい関わりたくない」とはっきりいわれたこともあります。
どうして外務省がそんなに冷たいのか。父に聞いてみたところ、一つには侵略した側の骨であることがネックになっている。侵略された側の国へ入っていつて、侵略した側の兵士の骨を集めるというのが、外交的に難しいと外務省はいうそうです。
しかしアメリカはベトナムでも朝鮮でも遺骨収集を継続しているし、むしろ遺骨収集活動をしない国は世界で軽蔑される。父は現役時代に「もつと力を入れてやるべきだ」と進言したそうですが、大きな組織なのでなかなか通らなかった。国のために死んだ人にこんなにも冷たい国は、先進国では日本以外ありません。
東條
現地の方々は必ずしも非協力的ではないのですが、厚労省から向こうの大使館ヘ「活動させないように」と連絡が入ることもあるようです。
事実、私たちがパラオで活動しようとしたら「骨に触ったら逮捕する」といわれたこともあるくらいです。そして何より問題なのは、遺骨調査が現地の人々にとつて一種の商売になってしまつていることです。自分がこれからも関わっていくのであえて島の名前は出しませんが、あるところでは骨を売買し、情報を売り物にしているんです。

こうなると現地の人々はなんとしても厚労省を呼びたいわけです。
厚労省には骨のある場所を一覧にして地図までつけてフアックスで送っている。しかもその骨は、納骨堂から盗んで隠しているものだったりするんです。そこまでやる。
厚労省に連絡が入ると、まず日本青年遺骨収集団や日本遺族会などが赴きます。そのときは「調査だけ」といわれて、写真を撮って帰ってくる。調査の結果、日本兵のものだということになると、改めて厚労省が本隊を送り込んでくる。彼らはそれによって三度ガイド料をとれるんです。」

以上。「貧弱」という批判を通り越して、「〇〇野郎」と罵声を浴びせたくなるような現場がある。恐らく今も大して違っていないだろう。

 

 

 

 

 


シリーズ②犬死だった兵隊、戦没者の遺骨はいまだ野晒が半数、戦没者追悼式で美化は捏造

2015-08-16 21:52:43 | 日記

15日、全国戦没者追悼式で安倍首相は「遠い戦場に、斃(たお)れられた御霊(みたま)、戦禍に遭われ、あるいは戦後、遥(はる)かな異郷に命を落とされた御霊の御前に、政府を代表し、慎んで式辞を申し述べます」と慇懃に式辞を述べた。さも、戦地で戦死したかのような美辞麗句だが、とんでもない事実の歪曲と捏造だ。戦没者の大半が餓死しているのだ。「聖戦」「大東亜の解放」の名のもとに、兵士は戦地に追いやられ、敵と戦うこと無く飢え死にした。そして、遺骨はいまだ野晒のまま抛って置かれたままだ。戦争の実態はここにある。さらに、戦争主導者は戦後、年間800万円を超える遺族年金を支給されていたと言う。戦没者遺族をはじめ日本国一般庶民が口惜しいのは、このデタラメではないのか?!

太平洋戦争(大東亜戦争)では、いったい何人が亡くなったのだろう?

 1977年に厚生省援護局があげた数字では、1937年7月以来の、 日本の戦没者は、軍人、軍属、准軍属合わせて約230万人、本土以外の海外での一般邦人死者数約30万人、国内での戦災死亡者約50万人、合わせて約310万人が戦死したーーというのが一般的な理解だ。その内訳は敗戦時、特に統計資料はいっさい焼却または破棄させられ、まとまったものは皆無の状況で、 公式の統計はまったくない。戦後、陸上自衛隊衛生学校が編纂した『大東亜戦争陸軍衛生史』による以外無い状態だ。それも、『衛生史』は 「推定するよしもない」としているほど、資料は乏しい。この衛生史は、戦死と戦病死の割合については、ごく初期の対南方進攻作戦のものをあげるだけで、その後の状況については触れていない、という。従って勢い、類推するしか方法は無い。この方面の労作は藤原彰著「餓死した英霊たち」(一橋大学名誉教授、青木書店 2001年5 月発行)が詳しい。以下要約すると。

「ソロモン群島、東部ニューギニア、インパール、中部太平洋の島々全体として、この地域の戦死、病死の割合は半々とみて、12万3,500人が病死、餓死していたといえる。戦場別でみれば、もつとも多い50万人の戦没者を出したのがフィリピンで、50万人の中の、40万人が餓死者だったとみることができよう」という。「フィリピンに次ぐ大人数の45万5,700人の戦没者が中国戦線で、1937年の上海の戦いや、38年の漢口攻略戦などでは相当数の戦死者を出したが、全体としてみれば、戦線の広がりの割には戦死はそれほど多くはない」ようだ。しかし「栄養失調に起因する、マラリア、赤痢、脚気などによる病死が、死因の3~4割を占めていた。22万7,800人が、栄養失調を原因とする病死であろう」。こうして、沖縄の玉砕は含まずとも、ソ連、旧満州、樺太千島を加え、合計すると「各地域別に推計した、病死者、戦地栄養失調症による広い意味での餓死者は、合計で127万6240人に達し、全体の戦没者212万1,000人の60%強という割合になる。
これを1977年以降の戦没軍人軍属212人万という総数にたいして換算すると、そのうちの140万人前後が、戦病死者、すなわち、そのほとんどが餓死者ということになる」と告発する。

「それが一局面の特殊な状況でなく、戦場の全体にわたって発生したことが、この戦争の特徴であり、そこに何よりも日本軍の特質をみることができる」とし、その原因を「 捕虜の否定と降伏の禁止である。国際法を無視し、日本軍人は死ぬまで戦うべきで捕虜は恥辱であるとする考えが主流となった。 日中戦争やノモンハン事件で捕虜の禁止は定着し、捕虜帰還者は軍法会議で重刑を受けることになった」からだと糾弾する。凄まじい餓死者、病死者の数だ。総務省、厚生労働省などによると、戦没者230万人を戦死、戦病死などの死因別に分類した公的な記録は存在していないという。敗戦の混乱を差し引いてもあまりに杜撰、というより、犬猫扱い以下だったのだ。しかし、これが実態だった。今日ではそれらを知らぬ顔をして隠し覆そうとしている。

もう15年ほど以前のことになるが、ダイエーの名誉会長・中内功(正確には功でなく作りが刀)氏が戦時中の苦い、苦しい思い出があると語ってくれたことがある。「眠ることは出来へんかった。なんぼ眠とうても眠れへんかった」という。ルソン島リンガエン湾の守備についていたが、「眠とったら殺される」と言うのだ。飢餓が極限に達し「人肉」すら、食った戦友がいたらしい。隣りの戦友に「殺されて喰われる恐怖から眠れなかった」と。戦場ではこんな飢餓が常態化していたのだ。補給路を考えない、”作戦を敢行”したのだ。つまり”名誉の戦死”を強いたのだが、敵と戦うことすら叶わず、餓死状態で戦場をさまよう以外無かったのだ。投降は軍紀違反と「戦陣訓」で洗脳されていたし、上官の目と銃口が光っていた。

長くなってしまった。

戦没者の遺骨は「御霊(みたま)」というなら、キチンと収集され、祀られているのか。愛国者として敬われているのかーーだが、それすら、戦時中同様、戦後70年たった今日ですら捨て置かれている。一方、すでに述べたが戦死した戦争指導者は年間800万円もの軍人恩給を支給されていた。こうしてみると、一般庶民にとって「日本の太平洋(大東亜)戦争とは犬死戦争」と言う以外無い、厳然たる事実がある。

遺骨収集の現状については次回触れることにしよう。

 

 

 

厚生労働省などによると、日中戦争を含めた太平洋戦争での民間人の戦没者数は約80万人。うち国内で亡くなった約50万人の半数以上が空襲による犠牲者とみられる。


調査不十分の結果もあり、敗戦直後の1945年9月の
第88臨時議会に東久邇内閣が報告した数字は、太平洋戦争の戦没者陸海軍人50万7000人、一般国民の死者24万1,000人、合計74万8,000人という少ないものであった。
その後調査がすすむにつれて数は増えつづけている。
1945年8月15日、太平洋戦争の集結から今年70年の節目を迎える。本土以外の戦没者は約240万人。そのうち、半数近い113万柱の遺骨が海外で眠ったままとなっている。「平和ボケ」と批判する輩こそ平和ボケだ!

 


太平洋戦争はどんな戦いだったのか?シリーズ①戦争費用

2015-08-15 00:24:29 | 日記

以下、比較表で示す。
◉日清戦争は約2億3000万円、GNP比0・7倍
◉日露戦争の戦費は約18億円。GNP比0・6倍

◉太平洋戦争(日中戦争を含む8年5か月)戦費総額は約1900億円(国家予算=一般会計は27億円程度。会計年度が異なっているから、予算の何割が戦費と単純比較はできない)

○戦費総額は国家予算の約70・3倍。
○GDP(当時はGNP)比では8・5倍の規模(現在の状況では4250兆円程度の国費=予算を投入した計算)と、一般会計・特別会計の合計の7~8割が戦費に充てられていた。(注:ここでは直接軍事費(=陸海軍省費+臨時軍事費+徴兵費)の意味。軍事費には、こうした狭義の軍事費のほか、広義の軍事費、予算に現れない軍事費がある。軍人恩給費、軍事技術開発につながる科学研究費、軍事利用できる道路建設費等々、どの範囲までを含めるかによって計算は違う。宇佐美誠次郎著 大蔵省昭和財政史編集室編『昭和財政史IV・臨時軍事費』が詳しい)

膨大な軍事費が国会の審議を経ることなく、統帥権の名のもと極秘裏に各種公債が発行され、日銀が引き受けていた(今の日銀の”異次元緩和”を思い起こす)。当然のことながら国民は窮乏のどん底で、大政翼賛会が「討ちてし止まん」「パーマネントは敵だ」と、大号令をかけ薩摩芋作りに精を出しても好転することは無かった。挙句の果ては悪性インフレが、戦時中で統制経済にもかかわらず襲った。庶民のなけなしの金はたちどころに紙くずに変わった。戦後はハイパーインフレに陥り貨幣は用を足さなくなり、物々交換が、闇市が猖獗を極める。被害者は老人、子供に酷かった。今ですらそうなのだから、想像は出来るだろう。

早い話が、財政が無規律になった。膨大な国の負債はハイパーインフレとなって国民に襲い掛かり、国民に転化された。

戦費は現在でも大変な負担だ。生産性が無く、持続的な発展が無い。ソ連の崩壊も過大な戦費に押されたのが原因とする説もある。敗戦直後、「吉田ドクトリン」が提起された。冷戦が始まる中で再軍備を迫るアメリカに対し、吉田の狙いは国力の全てを経済復興に充て、その間の国防をアメリカ合衆国に担わせることにあった。軍備は拡張し、国庫を圧迫し、軍人を闊歩させるものだという苦い認識があったからだ。実際は国防をアメリカが担うのではなく、日本が日米安保条約によって属国化させられるのだが。ともかくはその後の「平和の配当」があり、日本は経済建復興に邁進できた。

この教訓を忘れてはならないだろう。戦争は膨大な軍備を生み、それは敗戦後も、軍需物資を隠匿した軍人のみが潤うという結果をもたらした。増税と人命無視で困窮するのは一般大衆以外無いということだ。戦費も戦費の使途も出鱈目だったということだ。

 


安倍談話ー4熟語のコピペの産物

2015-08-14 20:46:44 | 日記

 安倍内閣は14日夕の臨時閣議で、戦後70年の談話(安倍談話)を閣議決定した。10日、NHKが、戦後70年談話の原案は平成7年の村山談話や平成17年の小泉談話でキーワードに位置づけられている「痛切な反省」、「植民地支配」に加え、「お詫び」と「侵略」という、すべての文言が明記されると報じたが、その通りだった。この4熟語はいわば踏み絵だ。安倍は応じなければならない羽目に陥っていたから、独自色を出したいという当初の意向を変えて使った。

明日の大手紙はおしなべて安倍談話を褒めそやすだろう。中国、韓国に「文句があるか」と言わんばかりにだ。

しかし、私はこうなると想像できていたが、何か納得できないものがある。これは「4熟語のコピペ」だーという感が根強くあるからだ。安倍は4つのキーワードの意味を噛みしめたのだろうか?

安倍は談話の終わりの方で語っている。

「あの戦争には何ら関わりのない、私たちの子や孫、そしてその先の世代の子どもたちに、謝罪を続ける宿命を背負わせてはならない」と。

劣勢の安倍が一矢報いたつもりなのだ。さも「子や孫、その先の世代の子どもたち」の立場に立っているかのような発言だ。

「謝罪を続ける宿命を背負わせてはならない」としているのは、私は全く同感である。しかし、「謝罪を続ける宿命」とは断言できない。論理の飛躍が隠されている。謝るところは謝り、謝らないで良いところは謝る必要はない-ーと思う。何でも謝れば良いとは私は思わない。しかし、加害者が言う言葉ではない。被害者から発せられるべき言葉だ。以上の場合は謝らねば誤解されて、歴史が歪曲されてしまう。

このすり替えを常套的に謀っているのがチンピラ論壇人で、常に引き合いに出すフレーズであることに衣の板の鎧が見えた気がする。

言葉はいくらでもコピペできる。要は実行だ。実行で示してもらいたい。それが安倍の責任で、とりあえずは「安保法制案」を取り下げることだ。安倍内閣を退陣することだ。