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トルーマン元米大統領が原爆投下を後悔の手紙

2015-08-13 12:38:39 | 日記

「トルーマン元米大統領、長崎原爆投下を承認したこと後悔」の見出しが飛び込んできた。予定を変えて、突込みでお伝えしたい。

 2015年8月11日掲載の韓国の中央日報だ。同紙は伝える「ハリー・トルーマン米国大統領が1945年8月9日、長崎への原子爆弾投下を承認した直後、これを後悔する心境をつづった個人書簡が公開されたとSBS(ソウル放送)など韓国メディアが報じた」としている。

 「投下を承認した直後」が意味シンだ。プルトニウム原爆ファットマンが長崎に8月9日午前11時02分に投下されるまでまだ間に合ったのかもしれないからだ。つまりこの手紙はトルーマンの非人間性が糾弾されたことへのトルーマンのアリバイ証明で、今時発表するのは「反原爆運動」に押されて、米政府をなさせたものではないのか。アメリカは「反人道国家」の世界的糾弾を避けたい。「人道国家」として装いたいーーということではないのか。


 さらに「これらメディアによると、米国国立公文書記録管理局が第2次大戦終戦70年にあたって公開した文書を見ると、トルーマン大統領は長崎への原爆投下を承認した後、ある上院議員に送った書簡の中で『個人的に一国の指導者が持つ“強情”によって全市民を死に至らしめる必要性について確かに後悔している』と明らかにした」とのことだ。続けて「トルーマンはまた、全ての書簡で『私は日本が極度に残忍で野蛮な戦争国家であることを知っている』とし『しかし、彼らが獣だからとわれわれも同じようなやり方で行動しなければならないとは思わない』と明かしていたとこれらメディアは報じた」としている。

 この手紙の公開は何だろう? どうして公開したのだろう?

 日本のソフトパワー(平和憲法の象徴である憲法9条に代表される)が原爆威嚇勢力を世界的に包囲しているーーと想像せざるを得ないのだ。時代は確実に変化している。これまで、理想、空想でしかなかった平和が原爆武装勢力を包囲・凌駕していると安易には断定しえないが、その芽が出てきたことは確かなようだ。つまり、現状はその凌ぎ合いの最中ではないのかーーと。世界の世論は、唯一の被爆国日本を超えて「戦争拒否=平和」に一歩一歩、歩を進めているのではないかーーと。

 あと、10年もすれば優劣はハッキリするだろう。嘘と卑劣さを増した安倍内閣が守旧体制(核爆弾威嚇勢力)への先導者であることも。

 


大東亜(太平洋)戦争はどんな戦争だったのか?

2015-08-12 21:48:38 | 日記

 ◦挙国一致 ◦尽忠報国 ◦堅忍持久 ◦一日戦死 (一日戦死したつもりで節約せよの意) ◦八紘一宇 ◦大政翼賛・臣道実践  ◦月月火水木金金 ◦聖戦 ◦ぜいたくは敵だ! ◦進め一億 火の玉だ ◦欲しがりません 勝つまでは ◦見えざる敵を防げ(ゾルゲ事件をきっかけにして作られた防諜標語)◦一億国民総武装 ◦元帥の仇は増産で ◦万世一系 ◦億兆一心 ◦胸に愛国 手にハンマー ◦権利は捨てても義務は捨てるな ◦守れ日の丸 汚すな歴史 ◦九千万人 一列行進 ◦出せ 三千年の底力  ◦銃執れ 鍬(くわ)執れ ハンマー執れ ◦遂げよ聖戦 興せよ東亜  ◦子よ孫よ 続けよ建てよ 新東亜 ◦聖戦へ 民一億の体当たり ◦聖戦だ 己殺して国生かせ ◦一億が みんな興亜へ散る覚悟 ◦血の犠牲 汗で応えて 頑張らう ◦一億抜刀 米英打倒 ◦我が家から敵が討てるぞ経済戦 ◦産めよ殖せよ国のため 総親和(陣営をとわず協力しようの意) ◦パーマネントはやめましょう 

 戦時中のスローガンを集めてみた。お年寄りの中にはある種の感慨を持って受けとたれるかもしれない「戦時標語」だ。全国津々浦々、町から村から隣りまで戦時体制が徹底していた。犬猫まで緊張するような標語の数々だ。

 15日は敗戦記念日だ。「戦争とは何だったのか?」ーーではなく。誰しも反論できない厳然たる事実から「太平洋(大東亜)戦争はどんな戦いだったのか?」を考えてみたい。もっとも今は、当時厳然たる事実でも、ひっくり返し、事実無根とする論議が盛んだから、反論はあるかもしれない。

 大東亜(太平洋)戦争とはどのような戦争だったのか? 戦争突入までの様々な事件(満州事変をはじめとする)については、東京裁判など諸説、歴史観がある。ここではそれらの問題には立ち入らない。私の研究不足もあるが、紙面が足りない。拙論は改めて紹介して、反論をお聞きしたいとは思っている。

 私は誰も反論できないと思われる以下の5点を採り上げてあげてみたい。それは①国内、海外含め戦死者は何人だったのか? 国のために死んだのだから丁寧に祀られているのか? ②戦争費用はどれくらい掛かったのか? この問題は、飛躍するように聞こえるかもしれないが優れて今日的な問題だと思っている。ソ連の崩壊や、現在のアメリカの衰退とも大いに関係があると思っている ③戦時体制とはどんな体制だったのか? 東条内閣は憲兵政治といわれる。その国民支配体制について研究、論及したい ④どのように戦争を準備したのか? 戦争の前には意思統一が欠かせない。そして「大義」が欠かせないのだが、とりわけ、思想動員に関して、教科書では分からず合点がいかなかった、美濃部達吉の天皇機関説事件とは何だったのか、事件の持つ意味について考えたい ⑤東条英機に反論する、または非協力的な人物に対する露骨な懲罰人事(懲罰人事は今なお、露骨ではないが役所や企業で行われているのは厳然たる事実。「デモへの参加が人事考課に響く」といった脅しもある)。人事は官僚や企業のサラリーマンにとって死活問題だから、支配の有力な武器だーーなどだ。このほかにも①高級官僚はどのように身を処していたのか②満州事変とは何だったのか③頭山満に代表される民族派の「大東亜の解放運動」がなぜ、「侵略戦争」に換骨奪胎されたのかーーなど疑問は尽きないが…。

 異論を紹介しようと言うことではなく、異論を立論しようという意図でもない。一般に知られている事柄を、今時のご時世の中で、教科書的ではなく身近な出来事として見つめなおそうということだ。以下次回から…。

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 ●障害年金の受給条件を緩和 官民格差を是正へ

 8月6日付けの長崎新聞によると、「障害年金の受給条件を緩和 厚労省、官民格差を是正へ」と言う見出しで、「国の障害年金の受給条件で特定が難しく大きな壁になっている『初診日』の証明について、厚生労働省は6日、これまでの厳格なルールを改め、カルテなどの証拠が提出できない場合でも参考資料があれば本人の申し立てを認めるなど、認定基準を大幅に緩和する方針を決めた」という。同日の社会保障審議会の部会で明らかにした。
 「国家公務員らの共済年金では、カルテなどがなくても本人の申告だけでも認めており、不公平が批判されていた。関連省令を改正して官民格差をなくし、厚生年金と共済年金が一元化される10月1日から実施する」としている。 これまでは「初診日」が何時かは役所が煩かった。ハッキリ証明できないことから泣き寝入りした人も多かったのではないか?

 

 


戦争法案を強行する安倍晋三のファナティックさと小賢しいセコさ

2015-08-11 08:37:54 | 日記

10日のNHKによると14日発表予定の安倍首相の戦後70年談話に「お詫び」や「侵略」などの文言が明記されるという。戦後70年談話の原案は平成7年の村山談話や平成17年の小泉談話でキーワードに位置づけられている「痛切な反省」、「植民地支配」に加え、「お詫び」と「侵略」という、すべての文言が明記されていることが明らかになったという。前言を翻すことを、何とも思わない政治家は過去にも現在にも多いが、安倍首相はその最右翼だ。

被爆70年の広島での戦没者祈念式典では、日本の国是ともいうべき「非核三原則」に全く触れることが無かった。原爆被害者から抗議の声が上がり、長崎での祈念式典では「今日の復興をなし遂げた長崎の街を見渡すとき、改めて平和の尊さを嚙(か)みしめています。そして、世界で唯一の戦争被爆国として、非核三原則を堅持しつつ、『核兵器のない世界』の実現に向けて、国際社会の核軍縮の取組を主導していく決意を新たにいたしました」と唖然とするような見事な釈明(言い逃れ)をした。

記者から「なぜ広島では非核三原則に触れなかったのか」と問われ、「当然のことだから触れなかった」旨、答えている。この「白々しい嘘と強弁」が安倍信三の身上だ。

礒崎発言では「私に責任がある」と、何かにつけ「私の責任」を声を大にして認めるが、責任は今後の仕事で果たしてゆくと、早い話が責任は取らない。この頑迷固陋な神経ともいえるものは何処から来ているのか?

どういう神経をしているのか?覗き込みたくなるのは私だけではないだろう。

どういう神経か?彼を支えているのはファナティックな日本の”國体”に対する認識だ。明仁・今上天皇とは隔絶した安倍の独善的な近代以前の”國体観”が彼を支えているのではないか。彼らに特有なファナティックな感性だ。そしてそれは勉強をしないで、言い逃れ駄々をこねる子供じみた感性から一歩も出ていないように感じる。

また、それは戦前のバリバリの軍国主義者と同じではない。もっと、小賢しく狡猾なものだ。つまり強靭な感性ではなく薄弱さの証明ではないのか。あからさまに前言を、したり顔で翻すのは、セコく浅慮で小賢しい。

専門の心理学者の研究対象になるだろうが、「嘘と強弁」はもう飽き飽きだ。この背景には特有な金銭勘定があるのは、戦前戦後を通じて”エセ國体信奉者”に共通のもののように思える。

 

 


日本のソフトパワーを世界の規範へ

2015-08-08 16:27:46 | 日記

久しぶりにい良い記事を読んだ。朝日新聞2015年8月4日の「日本が誇るソフトパワーとは ジョン・ダワー氏に聞く」だ。ジョン・ダワー(John W. Dower, 1938年6月21日 - )とは、アメリカ合衆国の歴史学者。マサチューセッツ工科大学教授。日本近代史を専攻。『敗北を抱きしめて』(岩波書店、三浦陽一・高杉忠明田代泰子訳、2001増補版2004年)では、敗戦直後の日本の政治家や高級官僚から文化人、一般庶民までを対象に取材、日本に民主主義が定着する過程を描いている。 ピュリツァー賞を受賞、ベストセラーになった。まず、その声を聞いてみよう。

「以前、外務省の高官から『日本はソフトパワーを重視している』と聞かされたことがあります。日本車、和食、漫画やアニメ、ポップカルチャー。世界が賛美するものは確かに多い。しかし、例えばハロー・キティーが外交上の力になるかといえば、違うでしょう。世界中が知っている日本の本当のソフトパワーは、現憲法下で反軍事的な政策を守り続けてきたことです」
 「1946年に日本国憲法の草案を作ったのは米国です。しかし、現在まで憲法が変えられなかったのは、日本人が反軍事の理念を尊重してきたからであり、決して米国の意向ではなかった。これは称賛に値するソフトパワーです。変えたいというのなら変えられたのだから、米国に押しつけられたと考えるのは間違っている。憲法は、日本をどんな国とも違う国にしました」
 ――その理念は、どこから生まれたと考えますか。
 「このソフトパワー、反軍事の精神は、政府の主導ではなく、国民の側から生まれ育ったものです。敗戦直後は極めて苦しい時代でしたが、多くの理想主義と根源的な問いがありました。平和と民主主義という言葉は、疲れ果て、困窮した多くの日本人にとって、とても大きな意味を持った。これは、戦争に勝った米国が持ち得なかった経験です」
 「幅広い民衆による平和と民主主義への共感は、高度成長を経ても続きました。敗戦直後に加えて、もう一つの重要な時期は、60年代の市民運動の盛り上がりでしょう。反公害運動やベトナム反戦、沖縄返還など、この時期、日本国民は民主主義を自らの手につかみとり、声を上げなければならないと考えました」(以上、抜粋した)

 

戦争は原爆開発から一変した。いかに破壊的な武器を開発しようとも原爆には及ばない。その原爆が日本のヒロシマ、ナガサキに投下されてから、その規模と残虐性によって、世界の良識ある指導者や一般大衆から、開発、使用は厳しく糾弾されている。たとえ小型でピンポイントであろうと使用できる状況にない。戦争が変わったのだ。この点は重要だ。

戦争は武力より、ハードより、ソフトが重視される時代に入った。ハードの最先端はお蔵入りして久しい。巨額の開発費は愚の骨頂、全くのムダになった。

「戦争反対」は世界の人たちの共通した大きなそして、不抜の潮流になっている。おそらく、最初に被爆した、私たち日本人が気づかないほど巨大で広大な潮流になっている。日本のソフトパワーの意義を明瞭に指摘している。日本の平和愛好勢力は世界だけではなく、人類の歴史に画期をなす運動だと理解できる指摘だ。日本国憲法9条が、理想主義的な空疎で非現実的なものか? かつての世界の現実は間違いなく弱肉強食世界だったに違いない。その現実世界が変わりつつあることに目を背け、非核に尽力することなく戦前世界の価値観・世界観に戻そうとしているのが、守旧勢力ではないのか?百歩、一万歩譲っても、日本のソフトパワーを広める外交努力を尽くすのは当然だ。安倍を縛っているのは安保条約(4月改訂されたガイドライン)ではないのか?!

昨今の国会を取り巻く「反安保法制」「立憲主義を守れ」の大きな渦は、戦後日本の静かに眠っていたソフトパワーのマグマの噴出と見るべきだ。

安倍は口とは裏腹に外交努力を放擲して、先日の広島での平和記念式典で「非核三原則」に触れることすら無かったのは象徴的だ。安倍には日本のソフトパワーの世界的、人類的意義が全く理解できない。

 


21世紀懇報告書:「坂の上の雲」は”妖雲”だった

2015-08-07 16:52:43 | 日記

安倍の私的諮問機関「21世紀構想懇談会の報告書」が6日安倍首相に提出された。これは、戦後70年安倍談話の下絵で、談話は14日にも予定されていると言う、安倍談話はほぼそれを踏襲したものになるだろう。

この中で日露戦争について「近代化を達成した日本が日露戦争に勝利し、西欧諸国の植民地になっていた多くの国の人たちに勇気を与えた」と評価している。確かに日露戦争の勝利(私は必ずしも”勝利した”とは認識していないが)はアジアの植民地の被圧迫民族を「白色人」に勝利した、民族独立運動を鼓舞したことは疑いようが無い。しかし、手放しで喜べる勝利でもない。朝鮮半島の支配をロシアや列強諸国に認めさせたのは、以降その路線上にある満州事変や盧溝橋事件に道を開いたと認識しているからだ。戦費をほとんどイギリスのシティーから調達した日露戦争は辛うじて勝ったが、実質はどうか?領土や賠償金を獲得しえたかどうか、ではない。一般庶民にとって”戦勝”といえるのかーーだ。

歴史を振り返ってみるなら、解釈は山ほどできる。だから「視点」に目を凝らし耳をそばだてなければならない。視点は「一般庶民にとって」どうだったのかーーだ。徳富蘇峰が何を吠えても、大法螺を吹いても、彼は戦場に兵士として出征するわけではない。揚げたての厚いビフテキをつついて大言壮語している。

だから騙されてはいけない!「自存自衛のやむを得ざる戦争」は日本はしたことが無かった。「戦争とは何か?」ではなく「戦争とはどういうものだったのか?」が、最初の問題設定として正しい。これは次回書くことにして、私は「坂の上の雲」は日本人に希望を与えたものではなく、坂に登っててみたら頭上に会ったのは雲は雲でも”妖雲”だったのではないかーーと思っている。近・現代史が正確に、庶民の立場で綴った通史が求められてる。サトウハチローの「だけど、足んねえものがある。兄さの薪割る音がねえ」の立場だ。

朝鮮日報が「懇談会報告」に、「反省と謝罪なし」と、批判している。韓国併合は日露戦争の結果日本指導者が韓国から奪ったものだから当然だろう。争点は「反省」と「謝罪」にあり、ピンボケのフリをして欺くのは安倍流だとはいえ、あまりに姑息だ。姑息に、しかし強権的に、民意を無視して進めているのは「安保法制」だけではない。