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李克強の更迭説:中国の”危機ライン”は正しく把握されているか?  

2015-08-30 19:10:43 | 日記

例年夏に開かれる北戴河の会議が終わった。李克強が経済失敗の責任を取らされ、更迭されるのではないか――との噂が流れている。16日に閉幕した北戴河会議では5中全会で確定する13次5カ年(2016~2020年)経済計画審議だけでなく李首相の去就問題も議論された可能性があると執拗に西側メディアが書きたてているからだ。確かにこのたびの上海株式市場の急落の影響は世界を揺るがした。恐らくこの急落は長期的に収まらず、今後も世界市場の立ち直りと裏腹に波乱要因として、マグマは短期的に噴出するだろう。それはそれとして、中国が崩壊するーーとの論評が何かにつけて頭をもたげることに、筆者は納得できない疑問がある。それらの論者は果たしてどれだけ中国を理解しているのか?
●中国は二重底ではなく他重底国家 古代文化が顔を出す
中国は「○○が中国だ」と規定するたびに誤る、一様ではない多面的な国家だ。また広さだけでなく、深さも二重底ではなく、他重底の国だ。私自身中国には10年以上仕事をしていたが、10年も過ぎたころやっと気づいたことがあった。それは、「同等な関係」がなかなか理解できないことだった。彼らには「上下関係」つまり、「命令するか、命令されるか」の関係はスンナリ理解できるが「対等、平等な関係」はなかなか理解できない。日常にそのような関係が無いからだ。
●中国人にも「中国や中国人」は理解できない?
中国という国は私が学校で教わったり、左翼的な仲間が教えてくれた国家とは実際はまるで違っていた。上手く言えないが、中国人ですら中国や中国人を理解できないのではないかーーと思うことがしばしばだった。日本人は日本人と比べて中国人を理解、評価しようとする以外無いのだが、日本人と比べ、中国はあまりに広大だ。人種も多人種だ。同じ漢民族でも同一の民族とは思えないほど、背丈や顔付きがが違う、言葉も微妙に違う。それでいて、何の違和感も持たない。いちいち違和感を感じるほど関心がない、という方が当たっているだろう。違和感があっても、それはそれでOKなのだ。それだけのことなのだ。日本なら違和感が差別につながりかねないが、没関係(メイ・グアンシー)で終わり。「だから何だって言うの」「私の知ったことじゃあないでしょ」「俺の知ったことじゃあねぇよ」「そんなことは、どっちだっていいじゃん」というわけだ。
●中国戦線は泥沼化 持久戦という消耗戦で「勝てなかった」 中国共産党の掌中での戦い 東條の木偶としか言いようがない 
話は飛ぶが第2次大戦の日中戦争の時、東條英機も杉山元も陸軍は中国を数カ月で敗退させることが出来ると”自信”を持っていた。日中戦争が泥沼化したのは、日本陸軍の中国に対する無知のなせる業だった。私には東條の電撃(速攻)部隊すら、強いから電撃出来とは肯定できない。叱咤激励する東條連隊長に尻を叩かれ、奮戦する兵士とは別に、退却して本土奥深く導き入れようとした中国共産党・八路軍の掌中で戦っていたに過ぎないーーとも思えるからだ。
●日本の敗戦原因は簡単明瞭:陸軍は共産党の術中、泥沼化し勝てず 海軍は西太平洋でアメリカに全滅
実に、日本の敗戦は陸軍が中国戦線で中国本土深く入り込み、持久戦と言う消耗戦を戦い敗北したこと。西太平洋では物量に勝るアメリカにコテンパンに叩かれたことーーこの2方面で敗北しては勝てない。そして、敗北の総括すらできない。陸軍は中国戦線では負けてはいないとノタマワク御仁さえ、まだいる始末だ。中国戦線では日本軍は勝てなかった、「負けてはいない」とノタマウが、中国共産党はそう思わせるような戦いをしたのだ。「勝て」なければ「負け」なのだ。中間はありえない。主戦場は戦場現場には無く外交にあったことが、まるで分っていない。日本は二重に負けている。
●尾崎秀実は日本の愛国心を煽り、泥沼化に貢献した
ゾルゲ事件の尾崎秀実は近衛文麿が撤兵を模索する段階になって、精力的に愛国心を煽り、打通(大陸縦断)作戦や南方進出を訴え、中国共産党の作戦の一端を担ったところに本領を発揮した。ゾルゲ事件は前に書いたが、実相は幾つもあって、ゾルゲの狙いと尾崎の意図は完全に一致していたわけではなかった。尾崎の真の狙いはここにあったーーというべきではないか。
●中国文化は「現実優先」「能力優先」というか「力量を重視」する
中国文化は一様には言えないが、今のところ、あえて断定するなら「力量を重視する現実主義」とでも言えようか。私はそういいながらも、まだ把握の手から漏れている何かがあるような気がしている。それは、確かなことの一つに「毛沢東の文化大革命」が中国文化の優れた処を破壊し尽くしたーーと理解しているからだ。中国がかくも皮相な文化の果てたお国柄になったのは、10年間も知識階層を虐待して、知識を追放したからでもあるだろう。確かに知識階層が研究もせず、ドグマばかりを唱えた弊害があったことは分かるが、中には抜きんでた文化人もいた。毛沢東は文化人の批判を受け入れる力量に欠けていたのと、あまりに政治主導過ぎた。
●中国が統一国家ととして現れたのは外交的と軍事と税制のみで、それ以外の法律細則はその土地任せ 
いずれにしても、中国は数千年の古い文化層を備えた国で有るのは間違いないように思われる。中国が1949年に人民共和国を樹立したが、内容は近代国家のそれではなく、外交、軍事、税制のみの統一のように思われる。初期は内政すら混乱していた。軍事で勝ち取った国家だからだ。民主で勝ち取った権力では無いからだ。私には周恩来が店構えだけ急造した国家のような気がしてならない。話を元に戻すと、さはされど、中国がそう簡単に崩壊するとは思えない。中国民衆の日本人以上に精力的な働きぶりを知っているからだろうか。その税制が急速発展のなかで機能が低下しているのだ。納税を忌避して一族、閥が肥大化し始めたのだ。
●習近平の「ハエもトラも叩く」は、「反腐敗闘争=法治国家」ではなく、「税の捕捉」だ
中国国営新華社通信は今年1月3日付の記事で、共産党内に「3つの派閥が存在している」と指摘した。3つの派閥はそれぞ「秘書閥」、「石油閥」、「山西閥」と名付けられた。李鵬元首相一族が支配する「電力閥」、江沢民元主席の長男が筆頭格と目される「通信閥」を加えると5派閥に構想を挑んでいることになる。
習近平が反腐敗の法治国家の創出に血道を上げているとは思えない。それは愚の骨頂だからだ。数千年の文化に反するからだ。私には「反腐敗闘争」は巨額のマネーロンダーリング構造を暴き、税を捕捉するための名目に過ぎないのではないか。
2012年11月に習近平氏が総書記に就任してから、クーデター未遂に遭いながらも習は「反腐敗闘争」から、足を抜くことが出来ず、ますます熾烈な江沢民勢力との全面抗争になっている。中国では妥協が一定の線を超えるとなかなかできない。妥協すると相手から打倒されかねないからだ。妥協は弱さの産物と理解されるからだ。この抗争で全面勝利するには、秦の始皇帝のように短命で終わる以外ない。習近平は任期が来て政治舞台から退場する時江沢民を道連れにするしかないだろう。抗争のヤマが見えたときに、江沢民が頭を下げたときに利権の権限移譲(習に委譲するのではなく政府機構か?)を迫り、花道を準備するのではないか。李克強は再度証券波乱が起これば退場、このままなら沙汰なしーーではないのか。