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安倍談話は「侵略」表現を拒否したい、悔し紛れの最後っ屁

2015-08-18 23:23:27 | 日記

安倍談話が発表されて以来、反響が出そろった。「侵略」、「痛切な反省」、「植民地支配」、「おわび」に触れた内容になっているーーとして読売や産経は評価した。朝日、毎日はいわば「条件付き評価」だ。世論がどのように受け止めたかを見ると、共同通信が14~15日に実施した全国電話世論調査によると、安倍首相の戦後70年談話に対して「評価する」と回答した人は44.2%で、「評価しない」の37.0%を上回った。

また、韓国の中央日報が米戦略国際問題研究所(CSIS)、ブルッキングス研究所、ヘリテージ財団、ウッドロー・ウィルソンセンターなど米国政府に大きな影響力を及ぼす主要シンクタンクと大学の北東アジア専門家30人に緊急質問(16人返答)した結果は、「否定的な評価」をした専門家は3人(18.75%)にとどまった。「肯定的に評価する」が10人(62.5%)、「どちらでもない」が3人(18・75%)だった。さらに、安倍の言葉が「過去形・3人称」であり、キーワードが巧妙に表現されたことを「歴史修正と見るべき」という回答者は2人(12.5%)にすぎなかった。「歴史修正でない」という回答は7人(43.75%)だった。

マイケル・グリーン米戦略国際問題研究所(CSIS)上級副所長は「安倍談話」が発表された後、韓国の中央日報の単独インタビューで、「韓国に対する配慮が不足したという点で完ぺきではないが、前向きな談話」と述べている。前向きだと見る理由は、「安倍晋三首相は『侵略』の定義について歴史家に任せようと述べてきたが、今回の談話で侵略の事実を認めた。また、多様な表現(悔悟、痛惜の念など)を使って反省した。残念なのは『謝罪』の部分だ。日本国民の57%は『もう十分に謝罪した』という。実際、米国・豪州・東南アジア・インドの主流も同じ考えだ。ただ、韓国は他の国に比べて苦痛が大きい。したがって慰安婦問題については談話で、より直接的な表現を使うべきだった」と、インタビューで狡猾に答えている。

私は安倍談話は事前にアメリカと何らかの形で事前調整・合意がなされていると見ているから、アメリカの反応には驚かない。マイケル・グリーンが韓国記者に気遣いして「より直接的な表現を使うべきだった」と率直な感想を述べたように聞こえるが、実は「いなし」だと見ており、共同歩調の産物と思う。どの報道機関も報じていない、安倍の発言=真意を伝えた大事なニュースがあった。

「安倍談話に隠されたものは『侵略』戦争 首相『侵略』拒否/70年談話記者会見」という見出しで伝えた2015年8月15日 9時25分しんぶん赤旗電子版記事だ。

  この会見発言はメディアの報道姿勢を窺う上でとてつもなく重要だ。そして、世論が安倍に操作された、談話の文面のあいまいさを補い、安倍の心の深層を表しているからだ。この発言は紛れもなく「歴史修正主義者」の発言だ。私自身は戦前歴史に対して、いくつもの疑問がある。東京裁判で戦勝国が示した、歴史認識に疑問がある。ほとんどの教科書に書かれた歴史認識に疑問がある。しかし、太平洋(大東亜)戦争がどんな美辞麗句をもってしても多い隠せない「侵略戦争」だったのは否定しようがない厳然たる真実だと認識している。戦前の日本の隠しようがない”恥かしい部分”だと思ている。いや”恥ずかしい部分”と言うより”恥じるべき部分”か。

記事に依ると「安倍晋三首相は、14日の70年談話発表の記者会見で、『先の大戦における日本の行いが侵略という言葉の定義にあてはまればだめだが、あてはまらなければ許されるというものではない』と強調しました。さらに『具体的にどのような行為が侵略にあたるかいなかについては歴史家の議論にゆだねる』と述べ、日本の戦争が「侵略」かどうかという問題をごまかしました。」「一方で、『かつて日本は世界の大勢を見失い経済的な行き詰まりを力の行使によって打開し、あるいはその勢力を拡大しようとした』と述べ、『その事実を率直に反省し、これからも法の支配を尊重し、不戦の誓いを堅持していく』としましたが、それが『侵略』であることを認めることをあくまで拒否しました。」としている。安倍は2012年12月末ごろから13年5月にかけて唐突に「侵略の定義はない」との強弁理屈を持ち出している。日経は「首相、持論抑え『おわび』加筆 戦後70年談話」と日経ニュースメール 8月15日の 朝版で「安倍晋三首相は戦後70年談話の作成にあたり、『謝罪外交』からの脱却を狙う持論と、歴代内閣の認識を踏襲する現実論で揺れた。当初は先の大戦への『おわび』を記した1995年の村山談話の『上書き』を狙ったが、安全保障関連法案の審議に伴い内閣支持率が低下。公明党の要請も受けて『おわび』を加筆し、持論へのこだわりを抑えざるを得なくなった。」と安倍逡巡の内幕の一部を報じている。安倍談話からは安倍の口惜しさ交じりの歯噛みが聞こえる。そして、「最後っ屁」が談話発表後の記者会見での「侵略戦争の定義による」発現ではなかったか。

歴史修正主義者が「歴史修正主義者かどうか」は、過去の歴史を「侵略戦争」と認識するかどうかで判断すべきだと思うが、正しく「侵略戦争ではない」とのスタンスに立っているではないか。しかも、曖昧にするため「侵略戦争の定義による」などと、小賢しい言い逃れをして、議論を避けている。アメリカとの論争を避けている。「アメリカの歴史こそ侵略戦争の歴史ではなかったか」と挑むべきだった。

安倍の歴史認識を満天下に曝した談話発表後の記者会見での発言を報じない、メディアはどんな雰囲気だったのだろう?私の経験から言って、相手の痛い所は衝かない行儀のよい記者で、すでに編集局長の覚えメデタイ記者揃いに違いないーーとすぐ確信した。


 

 


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