曲がり角で みつけたもの

思秋期になり曲がり角に差し掛かってきました。その中で感じた事、見つけたものを記事にしていきます。

さがみ湖イルミリオン 大聖堂他

2012年11月30日 | 旅行

さがみ湖のイルミネーションは、100段ほどの急な階段をあがり、更に通路に沿ってくねくねと山の上の方にあがって行くと、大聖堂があります。

 

添乗員さんにも、「頑張って、とにかく大聖堂を目指して一気に登って下さい。通路の矢印通り、とにかくあがって下さいね」と言われて、去年はリタイアのとどちゃん(オット)も「とにかく」あがりましたよ。

音楽に合わせてのイルミネーションがとても綺麗です。

光の海もさざめいて、

    

遊園地なので、アトラクションもこんな電照の中。

バレンタインのイルミネーションもあるそうですから、時期を少しずらして行くと、❤な2人や、家族連れにはいいですね。

予定を大幅にずらしての、さがみ湖。夕食のお弁当がとどちゃんのお腹に入ったのは8時半。でした!

でも、帰りは渋滞も、さがみ湖をでる時だけで、(反対車線はまだまださがみ湖に向かう車で大渋滞でしたが。)10時過ぎ、静岡駅につき、なかなかこのツアーもよかったかな?

買う時間がないからと、バスの中で注文をした、お土産。大正解でした。

たぶん、個人で行ったら、並んでいるだけで、なああんも、出来なかったね。さがみ湖もバスの駐車場はあったんだけど、普通乗用車用の駐車場に入る車がず~~~と並んでいるもの。

連休に出かけるっつうのは、「都会の混雑」を経験することなのね。

箱根に行った人はもっとひどかったらしい。

まず御殿場インター降りるのに1時間に掛かり、そのあと箱根のぐるりの乗り物に乗るのに、添乗員が走り、それでも、満員電車並みの乗り物に、何も景色も見れず、そのまま、グルリ、押し出されて、一周したそうな。5時間かけて!

まあ、それを思うと、昼食はちゃんと座って、美味しいものを食べたし、イルミネーションは楽しんだし、よかったよね。なにより、何気にとどちゃんとはぐれないように、手をつないで?腕を組んで?いやさ、掴んで?歩いた事かな~~。なにせ、とどちゃんは、息子曰く、わんこですから~~。でも大きさはとどですから~~。うまく動かさないとかさばるんさ!

 


さがみ湖イルミリオン

2012年11月29日 | 旅行

連休に、とどちゃん(オット。一応!)がど~~しても、つうから、しょうがない。一緒に行ってやったのだ~~。

去年と同じく高尾山とさがみ湖イルミネーションのツアー。

最近、とどちゃん、ツアーに目覚めちゃったみたいね。

連休中日なんてえらい、混むだろうし、去年雨には雨だったけど、同じコースに行ったからな~とは思ったけれど、去年とは少し違うし、時期も少しずれているし、まあ、私とすると、四六時中くっついている、GオさんやBこさんと離れたいつうのもあって、バスツアー行ってきました。

とどちゃんは、子どものように、準備から、当日朝も、はよから起きちゃって、張り切ってますが…。

それに、去年は昼食がお弁当でしかも、雨だったので、バスの中。

今年はホテルでのバイキングと、少しグレードアップしているのよね。

とどちゃん、このバイキング、大好きなんだよね~~。

東京へのコースも、今年は横浜を通って、初めてベイブリッジを通って、そして、横浜繁華街、羽田空港、お台場、青山、六本木ヒルズも見て、ホテルへ。

バイキングも、ゆっくり食べれて、ちょっと落ち着きました。

けれども、私は高尾山のケーブルカーの待ち時間が気になっていたんだけど、やはり、2時半に高尾山について、5時に集合。行ってびっくり\(◎o◎)/!

隙間なく人があふれていました。

結局往復のケーブルカーと、トイレに並んだだけで(一応見晴らし台には行ったけど)人の頭だけ見に行ったよ…。ケーブルカー乗り場も混んでいるけど、登山道も人が一杯で、歩いて往復も大変そう。子どもずれの人も多かったけれど、都会に来たって感じだったよ。山だけどさ(;一_一)トイレがね…。大変さ…。お弁当も立って食べている人も一杯だったよ。

知っている人は知っていると思うけど、あの、1時間以上並んで買う○○屋の○○は、そんなに美味しいのかねえ。その列で、上に上がるのが大変なんですけど…。まあ、いいけど。価値観の相違だからね。

と言う訳で、高尾山は紅葉はケーブルカーの中で(満員列車だったけど)見れたぐらいかな~~。写真も天気が良かったのにもかかわらず、人をかき分けて写しには行けず…。→去年はこちら。去年の方が、雨で空いていたから、それなりによかったかな。ここはね!

さがみ湖も混んでたね。

でも、綺麗だったよ。

歩くには困らないぐらいの混みようだったし。

今年はイルミネーションが増えて、入口のあたりが明るくなりました。

と言っても、入り口までの階段と、そのあとの坂は、年寄りには無理だね~~。

去年は、とどちゃん、あがってすぐにリタイアしたけど、今年は頑張って最後まで歩けたよ。

イルミネーション、続きま~~す。

 

 


船越堤公園にて byむし倶楽部

2012年11月26日 | 昆虫

10月29日 朝方までの雨があがり、Gオさん(オット父)を病院に送る途中、雲の切れ間から富士山が顔をのぞかせた。

いつでも、どこでも行ってくれるものとして、病院の予約などもしてきてしまうGオさん。しかも予約時間よりも早くというか朝一番で行きたがるのに、ちょいっといらついて、いかにも忙しいふりをして、

「9時に家を出るならなんとか、送っていけますけど」と本当はそのあと予定はなかったんだけれど、そうそう、付き合ってられない(だって、予約は11時なんだから!)ので、8時ごろから出かける支度をしてうずうずしているのを見たら、なああんか、ちょっと意地悪になっちゃったのよねえ。

でもって、「忙しい」よしこさんはいかにも急いでいる風にして、病院の入口まで送っていって、そのついでに次回の仕事先である、施設の下見に出かけたんさ。その近くには船越堤公園があって、うまくすると富士山が見えるんだよね~~。

ちょっと道に迷い、裏の方の狭い道の方から入ってしまって、平日にも関わらず、釣りに来ているおじさまたちの間をすり抜けて、駐車場に入れました。

そこから、少しあがって、公園側に出ると、見えましたよ~~。

少し、雲が掛かってますけど、久しぶり雪をかぶった富士山が、

船越堤は桜の名所なんですよ。桜のころは富士山は霞んでいるし、それに静岡側からって、すぐ雲が掛かってしまって、富士山が見えるのは朝のうちだけの事も多いのよ。

池の周りでは、クサギの実がなっていました。

この、クサギも実と花の感じが違っていて、おもしろいですよね。

咲きかけの方波見

 

って、「むし倶楽部」じゃないじゃん!って言われそうだな~~・

ここで、出会った、でもね、うまく撮れなかった虫たちばかりなんだけど、これから、むし倶楽部の活動をはじめま~す。

6のつく日はむし倶楽部の活動日です。

駐車場に戻る途中で、ひらひら舞う、黄色い姿。

何キチョウでしょうか?モンキチョウではない事はわかるんですけど。

 

大きく伸びでしまったお茶の木に花が沢山咲いていました。お茶の花はサザンカによく似ています。

とはいえ、手入れされたお茶の木だとこんなに花をつける事がありませんが、木自身もお茶としては大柄(?)な170センチほどの高さの樹です。

そこに、蜂なんですけど、よく見かけるミツバチとは違う、ずっと細かく羽をふるわせたまま、花には止まらず、空中に浮かんだまま、ミツを吸う、くびれのない蜂のような虫がぶんぶん。

ずっと動いたままでいるのと、手前の花には近づいてはくれず、すみません、ぼっけぼけの写真です。(へ?ぼっけぼけはいつもじゃないかって?いつもにまして、ボケ具合がすごいですけど~~。

まあね、部員にゃあ必ず、足を引っ張るやつがおるわけでして、それが私と言う事で、ぼっけぼけで載せちゃいます~~・

 

それから、これは別の場所。

通勤帰りに咲いていた、サザンカの花にも、小さな蜂(だと思うんですけど)が、空中で停止したまま飛んでいて、幽霊のように映ってます。

すんません、よ~~~く見ないと見えませんねん…。

寒くなってきたので、なかなか虫さんも暮らしにくくなってきましたよね~~。

でなわけで、最後はカマキリどんが、こと切れる最後の瞬間でございます。ア~~メン。および、チ~~ン!

  見たくない方の為にサムネイルにしました。見たい方はクリックして拡大して下さいませ。戻る時はバナーの戻るキーで

 

 

※むし倶楽部はNOZOさんを部長として6のつく日に活動をしています。

むし倶楽部の詳細は、NOZOさんのブログ ★進め!!野外探検隊★をご覧くださいね。

カメラはソニーのNEX-3 標準ズームレンズ 絞り優先モードの連写で撮っています。※

 


清見寺 踏切とその向こうに

2012年11月25日 | 史跡

清見寺の古い木戸を通り抜け、坂を下りると、踏切があります。

この、凸凹が清見寺の敷地内を電車が通っている象徴のようにも見えます。

踏切から総門と総門から山門へ向かう道が見えます。

線路の向こうの真ん中に見えるのが総門

その前の坂をぐるり回って山門へ向かう道です。

踏切を渡ると左手に、

河村孫太郎の墳があります。

元和3年と書かれているようですが、元和3年は西暦で言うと1617年に当たる年だそうです。その2年前の元和元年に大坂夏の陣がありました。

河村孫太郎というひとがどういう人物なのか調べてみましたが、よくわかりません。けれどもここ一角にかなり大きな墳ですので、何かこの地にかかわりのあった人物なんでしょうね。

この墳を横に見て進むと、観音霊場の門があり、観音様もありました。

電車は結構本数通ります。

そして、この霊場の門の手前に清見関の跡があります。

清見寺の歴史は清見関から始まっています。(リンク先をご覧くださいね)これでやっと清見寺のお話はおしまい。

長~~くお付き合い、ありがとうございましたm(__)m

あや~~、明日は、もう6のつく日=むし倶楽部の活動日です~~。ぶれぶれの写真しかないけど…(;一_一)よいかな???

 

 

 

 

 


清見寺 鐘楼と潮音閣

2012年11月23日 | 史跡

清見寺総門のところから見える鐘楼です。

清見寺は敷地の中を東海道本線が通っているので、(→近くの興津駅の歴史を参照してくださいね)手前に見えているのは鉄道の架線などです。

その隣には同じ場所から見た「潮音閣」とよばれる宿泊施設だったところ。朝鮮使節や琉球施使節が、東海道を通る際の旅の宿泊所にもなっていたそうです。

鐘楼の歴史は、これまた古く、鐘の鋳造は正和3年西暦1314年と記されています。

 

掘り物もまた見事です。

 

鐘楼の前と言うのか裏と言うのか線路側に回って見ると、鐘が見えました。

そこから、潮音閣の建物と外へ通じる古い木戸が。

木戸も思いっきり古めかしいです。

 

潮音閣の屋根

やあねえなんて!

嫌いじゃありません。こんな感じ。

つうか、好きです。

うろこ雲と良い感じ。

潮音閣の入口になるのでしょうか?今は日本庭園の拝観入口になってます。

日本庭園も素晴らしいようですが、残念ながら、今回は見送り。時間をとって、じっくり眺めさせていただきたい。と思います。

それでは木戸をくぐって、下りて行きましょうか。

次回は踏切編です。

え?いつまでいるんじゃって?う~~んと、たぶん次回で終わるっしょ?だぶんね(^_^)v

 


清見寺 大方丈と臥龍梅

2012年11月23日 | 史跡

清見寺の境内を山門から右に折れると現れるのが大方丈とよばれる建て物です。

徳川家康が今川義元の人質だったころ、この大方丈の書斎で手習い等していたそうです。

そして、ここに植えられている梅の古木。臥龍梅(がりゅうばい)

臥龍梅とよばれるこの梅の樹齢はおそらく400年ほど。家康が清見寺をだずねたのを記念して清見寺近くの清見潟から移植されたと言われています。今も新春に花を咲かせるそうです。枝ぶりもいいので、春に見に来たいです。

この前に休憩所があって、そこに、現代のアートがありました。

瓦などをうまく埋め込んで、モダンな敷石になっていました。

手前の方に紋の入った瓦もありますから、建物を修復する時に出た、廃材を利用しているのかもしれないですね。記述がないか探してみましたが、わかりませんでした。

 

次回は鐘楼と潮音閣です。しつこく続く~~ヽ(^o^)丿

 

 


清見寺 五百羅漢 ツワブキの中で

2012年11月21日 | 史跡

丁度、ツワブキの花が満開でした。

良い感じに羅漢さんを飾ってくれます。

 

 

後姿も粋です

 

 

羅漢さんの晴れ姿です。

 

良い日にめぐり合えました。

仕事に行く途中(というか、これを見る為に早く出た)訪ねた清見寺。

羅漢さんはこれにて終了。

清見寺の記事はまだまだ続きま~す。しつこいけどm(__)m

 


清見寺 五百羅漢  個性派編

2012年11月21日 | 史跡

あ~~、なんだかなあ~~

その話は、聞きたくないな~~

もう、みんな、ちょっと静かにしてくれない?

ファイト~~

 

みんなも早く悟りをひらきなさいよ。

と、ツワブキの中で、いいお顔です。

 

 


清見寺 五百羅漢 段の上で

2012年11月20日 | 史跡

清見寺の五百羅漢は、石段を登って、更に右に大きく折れたところにも

更にもう一度大きく左に折れると、そこには沢山の羅漢さんがあらわれました。

通路の脇だけでなく、斜面に沢山の羅漢さんがいらっしゃるのがわかりますか?

一番上から下を見下ろしたところです。

羅漢さん、300以上見えてます。大きく見えている建物が仏殿。その奥の方に見えているのは興津の海。

今は東海道本線、新幹線に、国1バイパス、東名高速に、港の重機がたくさん見えて、あまり綺麗とは思えませんが、その昔は清見潟といわれる、景勝地でした。

 五百羅漢さんは、仏の没後、その教えを伝える為、仏の生前に聞いた釈迦の教えを集める作業に集まった 500人の弟子の姿と言われているそうです。

500人の弟子が第1回の仏教典結集(けつじゅう)に集まり、作業をしました。いづれも、それぞれの能力を生かし、正法を後世に伝える為、深山にこもってひたすらに修行にいそしむその姿は、肉は落ち、粗末な衣類、悟りを開くまでの苦行の姿が五百羅漢の姿と言われているそうです。

ここ、清見寺の五百羅漢の作者は

何人かで造られたのか、あるいはお一人が造られたのか?よくわかりませんが、五百人の姿を模した、それは確かなようです。

次回は個性的な、羅漢さんの特集です。


清見寺 五百羅漢 

2012年11月18日 | 史跡

島崎藤村の小説(桜の実の熟する時)の一説にも出てくる清見寺の五百羅漢。

本堂を左に回ると、羅漢さんがあらわれる。

 

 

通路を隔てて右側(仏殿側)奥には、後生車がある。

小学校の時、そして、子どもが小学校に通っているころ遠足や家族とやってきた事がある。

その時には、回すのも軽くできたけれど、今はひずみが大きくなって、うまく回らない。

 

 

 

看板も埋もれてきてしまっている。

後ろの塀も今にも崩れてしまいそうになっている。

 

 

後生車のすぐうしろの羅漢さん

にらみをきかせています。

でも、上の方には穏やかなお顔の羅漢さんも。

真ん中に階段があり、確かここをあがると、海が見えたような…。

小学生の当時にもすごく高く高く上がって行ったように思ったけれど、本当にこの上に登れるのかな…。

近くに喧騒があるのに、ここは、しんとして、肌寒さは、単に気温が低いからだけでなく、人気はないのに、沢山の眼で睨まれているような…、不安な気持ちで、なんとなく、はじは歩きにくく、階段の真ん中を進んで行く。

階段が行き止まりのように見えたけれど、そこにも

よく見ると、草に覆われてしまった中にも沢山の羅漢さんがいた。

 

そして、ここから右に大きく曲がり、更に左に大きく曲がり、そこにも沢山の羅漢さんが。

続く~~。

 

 


清見寺 仏殿

2012年11月17日 | 史跡

いよいよ、仏殿

個々の歴史については→清見寺のHPの中の清見寺の歴史をご覧ください。

清見関から始まった清見寺の歴史はこの仏殿の歴史でもあるようです。

五重の塔もあり

左手奥

わかります?

お待たせしました~~。

羅漢さんが見えてきましたよ。

もう、かなりの数が見えるでしょ?

次回はいよいよ、羅漢さん特集行きますよお~~~


清見寺 山門

2012年11月17日 | 史跡

むし倶楽部の活動で、総門からいきなり、羅漢のところにワープしてしまいました。

まずはお寺の中に入らないとね。

総門の前から山門を見たところです。

総門から山門に向かう途中に明治時代に開通した東海道本線が下を走っています。

丁度、貨物列車が通りかかりました。

山門下の赤レンガとその向こうに港が見えます。

この石碑がなんなのかは記述がなくわかりませんでした。

ここから山門に向かってくると右奥には6地蔵さん。

 

山門の上部。塀の上の物は飾りでしょうか。それとも、攻め入れられない為のものなんでしょうか。

掘り物もなかなかのものです。

山門をくぐると、仏殿が見えます。

この仏殿の左手奥に五百羅漢さんがあります。

なかなか、羅漢さんに行きませんがあ~~、私も10月に行った時には見に行けなかったんですよん。

まだまだ、見るところは沢山あるので、お待ちくださいね。

山門から潮音閣や鐘楼を見たところです。

建造物はすべて釘を使わず作られた木造のものです。

歴史上の人物ともかかわりのあるところなので、是非続きも読んでくださいね。


清見寺 シジミチョウ byむし倶楽部

2012年11月16日 | 昆虫

6のつく日はむし倶楽部の活動日です

清見寺では興味深いものが人知れずあるのですが、その中の一つが五百羅漢さん。

10月に行った時には、どこにあったのか思い出せず、五百羅漢を見ないで帰ってきてしまいました。今は見れなくなっているのかなあ、と思いながら、調べてみると仏殿の左横奥にある事がわかりました。

しばし羅漢さんを眺めていましたが、その日は曇り空。肌寒い日でしたが、急に雲が切れて、明るくなりました。

すると、羅漢さんの周りを絡まるようにシジミチョウが舞い始めました。

どこにいるのかわかるかな~~??

羅漢さんはいろんな顔をしていて、ちょっと怖そうな羅漢さんもいます。

ちゃんと穏やかそうな顔をした羅漢さんが集まっているところに乱舞しているのが、面白かったです。

シジミちゃん、近くにもやってきて羽を広げて見せてくれました。

羅漢さんはいろんなポーズをとっています。

なにせ、五百羅漢さんですから、次回(?)次々回(?)大特集を組む予定。

今日はむし倶楽部ですけど、むしの写真が少ないですが、蝶々の羽を広げたところが写せるようになってきたのは、活動の成果かな~~~??なんて、おもっちょります。

カメラはソニーのNEX-3 絞り優先モードで連写で撮影した1枚です。(数打ちゃ当たる方式でんな!)レンズは標準ズームレンズで。

むし倶楽部はNOZOさんを部長として、6のつく日に活動をしています。

詳しくはNOZOさんのブログを見て下さいね→こちら★進め!!野外探検隊★まで。


清見寺  清見関(きよみがせき)

2012年11月14日 | 史跡

清見寺の事を調べていたら、清見寺の始まりは

清見関(きよみがせき)」と言う事を知りました。

その、関の跡が残っているはずなんですが、資料に載っている写真のようなものは、10月に訪ねた時には(以前に何回か訪ねていますが、全く気がつきませんでした。)見当たらなかったんです。

見落としたかあるいは、敷地内ではなく、近くにあるものなのかもしれない。

そう思って、昨日確かめに行ってきました。(近くに仕事で行く用があったので、その前に覗いてきました)

すると、清見寺の駐車場の右側の観音霊場の門の手前にありました。

と言っても写真で見た時の印象では、大きな関跡の碑のように思いましたが、案外小さく(1mぐらい)そして、かなり朽ちてきていて、後ろの塀に倒れ掛かるような状態でありました。

清見関というのは、今から1300年ほど前の、白鳳年間の天武天皇(673~686年)の時代に、東北の蝦夷に備えてつくられた関だそうです。

その後関所の鎮護として、仏堂を作ったのが清見寺の始まりと言われているそうです。

当時はかなり強固に作られた関で海の中にも支石があったと言われているそうですが、清見寺の中を通る東海道本線沿線は、由比のあたりには、今でも線路わきに昔の護岸塀が残っていて、私の子どもの頃東名高速道路や、東海道新幹線が通る前は、線路のすぐ近くまで海がせまっていたのを覚えています。

この、関跡のすぐ前が、旧東海道ですから、すぐ前に海がせまっていたんでしょうね。

そうそう、この清見寺のある興津から、由比へ行く険しい峠越えが広重の絵でおなじみの「薩埵峠」でした!つまり、山越えをしないと通れなかった場所の手前ということになりますから、関所を最高の場所だったのでしょうね。

けれども、始め、「蝦夷対策につくられた関」と聞いて、実際に来たのだろうかなんて思ったのですが、、「平将門の叛乱の際岫崎関(清見関)打破せらる」との記述が日本書紀にあるそうで、その前にも一度やはり東北の「奥州の逆賊高丸」に関が破られているという、記述が残っているそうです。

う~~む、私、平将門って好きなんですけどね、当時は蛮族逆賊なんて言われていたんですね

疑問が少し解けたところで、また、総門を通って清見寺の中に向かいましょうか。

 

 

総門が、いつ作られたのかは、わかりませんでした。

この看板は慶長12年以降東海道を往復した歴代挑戦通信使が清見寺の「眺音閣」を宿として往来していたため、その朝鮮通信使の人の筆によるものだそうです。

 


清見寺 総門編

2012年11月13日 | 史跡

10月20日 土曜日でしたが、清水区での仕事。

仕事が思ったよりも早く終わったため、所用を済ませ、少し回り道をして、清見寺に寄って見ました。

とはいうものの、Gオさんが不調の時で、オットも仕事、Bこさんも出かけていたので、あまり長居は出来ず、駆け足での見学でした。

だいぶ間延びしてしまいましたが、古いお寺で、少し調べたい事もあったので、遅い記事になってしまいました。しかも、更に取材?いや、もっと見たいところが出てきました。明日、またこの近くに仕事で行くので、時間を作って見てきたいと思っています。

さて、清見寺は正式には清見興国禅寺というようです。

なかなか壮大な歴史が詰まっている寺で、調べてみると知らなかった事が一杯ありました。

それは追々。

この清見寺さんの特徴は総門と山門の間に、なんと鉄道がどど~~んと通っている事です。

まずは総門から。

階段下からみた総門。

横から見ると

急な階段の上に総門があります。

とここで、え?もしかしてこれは桜の樹の芽ぶきでしょうか?

石垣の隙間に

石段を登って総門をくぐったら、丁度電車が来ました。東海道在来線です。

鐘楼の前から総門を見降ろしたところです。

門の前を横切る道路が旧東海道。そこから前に伸びている道路は国1バイパスに向かう道路です。

この総門を見ただけでもすごい歴史を感じません?

他にも色々あります(^_-)-☆

ただいま写真の整理と、歴史をたどっている最中です。しばしお待ちをm(__)m