清見寺の古い木戸を通り抜け、坂を下りると、踏切があります。
この、凸凹が清見寺の敷地内を電車が通っている象徴のようにも見えます。
踏切から総門と総門から山門へ向かう道が見えます。
線路の向こうの真ん中に見えるのが総門。
その前の坂をぐるり回って山門へ向かう道です。
踏切を渡ると左手に、
河村孫太郎の墳があります。
元和3年と書かれているようですが、元和3年は西暦で言うと1617年に当たる年だそうです。その2年前の元和元年に大坂夏の陣がありました。
河村孫太郎というひとがどういう人物なのか調べてみましたが、よくわかりません。けれどもここ一角にかなり大きな墳ですので、何かこの地にかかわりのあった人物なんでしょうね。
この墳を横に見て進むと、観音霊場の門があり、観音様もありました。
電車は結構本数通ります。
そして、この霊場の門の手前に清見関の跡があります。
清見寺の歴史は清見関から始まっています。(リンク先をご覧くださいね)これでやっと清見寺のお話はおしまい。
長~~くお付き合い、ありがとうございましたm(__)m
あや~~、明日は、もう6のつく日=むし倶楽部の活動日です~~。ぶれぶれの写真しかないけど…(;一_一)よいかな???