曲がり角で みつけたもの

思秋期になり曲がり角に差し掛かってきました。その中で感じた事、見つけたものを記事にしていきます。

伊勢神宮(内宮)

2012年09月29日 | 史跡

伊勢神宮、内宮に行く行くといいながら、今日まで漂ってしまいましたm(__)m

内宮は特に人が多く、また、急ぎ足で旗の後ろを迷子にならようについて行かなくてはならず、思うように写真がとれませんでした。

五十鈴川に掛かる宇治橋を渡って内宮に入りますが、宇治橋から、木除け杭とよばれるものが見えます。20年ごとに建て替えられる御正宮。一緒に宇治橋も掛け替えられ、お役目が終わった橋の杭が、上流から流れてくる木を食い止める為の木除け杭として更に20年のお勤めをするそうです。

 

宇治橋から見える五十鈴川。

宇治橋を渡って、森の中を歩き第1鳥居をくぐったところに五十鈴川の河原に降りて、手を清める御手洗場があります。

水がとてもきれいで、清流に泳ぐ魚が見えていました。

手を清めて、歩いて行くと、

更に奥へ奥へ。

御正宮の階段の下まで来ました。写真は階段の下からまでしか撮影が出来ません。

階段に人がいれば、お尻しか写らない…。

一般客は見えている鳥居の中まで。その奥は更に2つの門があり、一番奥の門は天皇陛下しかくぐれない御門だそうです。2番目の門は正装で別料金を払って、お参りすることが出来るそうです。

ここが、20年ごとに3ヶ所の土地を使って、建て替えられる御正宮で、釘一つ使わない建て方で、20年に一度立て替えるのは、宮大工の次世代を育てる為と言われているそうです。今年は建て替えが間もなく終わり新しい御正宮に変わるので、20年の歴史の感じられる御正宮と、真新しい御正宮と両方見ることが出来ると言う訳です。

まあ、今年中は無理としても、近年に行きたいですね。

さて、この建築様式は、伊勢神宮だけの様式で、下の写真は外宮の御正宮ですが、

 その名も「唯一神明造」と言うそうです。

もちろん柱はすべて通し柱で、新たな資材を確保し、20年後の建て替えに備えるそうです。でも最近は通し柱に出来る樹も少なくなってきたので、60年後に向けての準備もされているのだそうですよ。

新たな御正宮が出来ると、今までの御正宮は解体され、大黒柱はの宇治橋の外と中の大鳥居になり、そこで20年、更に関の追分と、桑名の七里の渡しで、20年のお勤めを果たすそうですよ。

他の資材もすべて、全国の神社などに払い下げになり最後までお役目を果たすそうです。

周りの森林も樹齢500年を優に超えているそうで、すべて吸い込まれていくような感じがします。

本当はゆっくりみたいですけど、そうもいかず(ツアー故)この後は、おはらい町の散策(自由行動)になりました。

次回で最終になるかな~~~???

 


?な事

2012年09月28日 | PC関連

私、ブログは書いているけれど、もともとインターネットってあまり興味がなく、というか、ブログ書くだけで一杯一杯で、他を見る間もないっていうのが正直なところ。それでも、PC中毒の部類に最近は入るかなってぐらい、頼っているところがあって(なんでもワードやエクセルで処理して印刷)折々反省するのだけれど、ついつい、開いてしまうPCの蓋。

で、話は変わるのだけれど、実は前にもちょっと書いた事があるけれど、ここは3つ目のブログでして、以前からのお付き合いの方も多いので、お気づきの方も多いかと思いますが、前の2つのブログとリンクさせてありません。その辺は→こちらをお読みいただければ。

でも、前のブログは近隣をうろうろした時に撮った花の写真をとり上げるのが主なブログで、それはそれで、自分の中では大切なものなので、そのままにしてあります。

久しぶりに前のブログの管理画面を開き、何気なく、アクセスレポートのリンク先を見たら、ある質問コーナーなんですよ。

????

私、そのサイト、殆どみた事ありませんし、ましてや質問回答なんてした事ありません。

リンク先見てもしばらくそのページのどこから飛んできたのかわかりませんでした。

よくよく見ていたら、ベストアンサーに選ばれた回答の中にリンクされてました(;一_一)

○○に良く来る虫はこんな虫です→リンク先(ここに私の前のブログの○○に集まる虫の記事が)

????と思いながら、使い方がよくわからなくて、その回答をした人がどんな人かわからなかったんですが、先ほど、少しわかりました。

植物専門に回答している人で、回答正解率100%、ベストアンサーに選べれる確率が急上昇の人です。自分のブログは持っているかどうか、わかりませんが、少なくともプロフィールには乗せてありません。

植物のかなり専門的な質問にも答えていて、一日に10件以上回答しています。トータルでは1000はとうに超えています。回答の中でリンクさせているのは植物専門のサイトがほとんどだったんですが、なぜかその植物に関しては私ともう一人の人のブログを使って、回答しています。

最初の質問は、葉の一部の写真で、「この植物はなんですか」でやり取りが合って、それが蔦類のものと質問者にもわかり、「この蔦類に来る黒い虫はなんですか?」の回答のベストアンサーに上記の回答なんです。

ちょっと納得がいかないのは、私、心が狭いのでしょうか?

あまり名前の知られていない植物に止まる虫なんぞ、取り上げるものはないのかもしれないですけど、一応、個人のブログというか、写真ですから、勝手に回答の中に「答え」として出すのはどうなんでしょうね。「公開」しているものだから、どういうつかわれ方してもしょうがないんでしょうか?

私はブログとリンクさせてもらう時も、勝手にしないように、相手に聞きますけどね。

ましてや、ねえ…。

ベストアンサー急上昇なんて注目★なんてなっていると、ちょっともやんもやん、しちゃうんですけど。

自分の写真がなかったら、○○にはこんな虫がきますよって、虫の名前を列挙すれば済むんじゃないかしら???

って、「公開」している、ってこういうことなんだよね(;一_一)

以前、とんでもないところで、画像を使われたって聞いたことがあるけど、こういうことなんだね~~~。

まあ、その記事の昆虫の写真が多かったので、選ばれたって事にしときましょうか?あるいは写真が素晴らしかった(んなことあるわきゃないけどさ!)と言う事にでも‼

つっても、回答者、ほとんどなかったんで……、びみょ~~~であります~~~

 

んんん~~~

先ほど、検索したら、この記事が上の方に出てきちゃった!

その、問題(?)のやり取りのものがトップで、そのすぐ下に!

ちょっと編集しましたm(__)m


必死な顔のツマグロヒョウモンチョウ♀=美人です(*^^)v

2012年09月26日 | 昆虫

6のつく日はむし倶楽部の日です

9月18日、時折強い雨が降る大荒れの日でした。

この日はNPOの活動日で、と言っても、自分自身が出向する日ではなかったんですが、新人及び、超ベテランなれどPCからきしだめのメンバーサポートの為に、補助に入りました。

この、補助っていうのも、なかなか難しいところなんですよねえ。1から10までやったんでは駄目だし、入りどころが難しいわけですよ。

どのタイミングで入ろうかと、駐車場で、思案していたら、急に雨がやみ、少し時間があったので、近くを少し歩いてみようかと、歩きだしたら、鮮やかな色が目に飛び込みました。

ひらひら、というか蝶々にしては、早いスピード。

キバナコスモスのもとに走って(蝶が走れるなら)行きました。

あわてて、カメラを出しつつ追いかけましたよ~~。

ツマグロキョウモンチョウの♀です。

ほんと、ツマグロちゃんは、雌の方が色が鮮やかで、華やかですよね。

表から見ても裏から見ても、綺麗ですね~~。ちょっと羽が傷んできてますけど、そんなもん、へでもありやせん。

しっかし、よっぽどお腹が空いているらしく、かなり、斜めに傾いた花に必死の形相で、しがみついています。

 

 

 顔だけ見てると、カメレオンのように見えるけど…(^_^;)んことない??

のけぞって、カメにも見える…。目が爬虫類ぽいのかな??

と、持っててよかった、カメラ!なんて思っていたら、ぎゃぴょ~~~ん、ズボンの裾が~~、エライ事になっておりました。大雨の後ですから…、御想像にお任せいたしますです、ハイ

 むし倶楽部は、NOZOさんを部長として、6のつく日に「むし」をとり上げる活動をしています。

部長のNOZOさんのブログは→こちら(★進め‼野外探検隊★)


伊勢神宮(外宮)

2012年09月24日 | 史跡

日・月曜日の1泊のツアー旅行の目的はなんといってもお伊勢さんでごさいますよ~~。

私も子どもが小さいころ実家の両親との旅行で、訪ねたことがあるんですけど、ま~~~たく、お伊勢さんの記憶がござんせん。たぶんおまいり町で、伊勢うどんと赤福を食べたっていうのは覚えているんですけどね、罰当たりな事に、お伊勢さん自身が影も形もなく記憶の中から、すぽ~~んと落ちちゃっているんです。たぶん、4歳と3歳の年子の二人を連れ、周りを見る余裕なんてなかったんでしょうね。

とどちゃんも、お伊勢さんは初めてという事で、楽しみにしていたんですけど、う~~ん、もっと沢山ゆっくり見たかったなという感はぬぐえません。

とはいえ、ツアーとしてはかなりのゆったりなんですけど、外宮が1時間(トイレも含め)は、途中から早足、駆け足。でも無理やり回っちゃいましたけどね。(*^^)v

 

 

 

 

 

伊勢神宮御正宮(ごしょうぐう)

外宮のご祭神の豊受大御神(とようけおおみかみ)=天照大御神のお食事係が祭られていて、門内からは写真撮影禁止です。

 

 

 

御正宮前の三ツ石。どういういわれか、どういうものか調べてみたんですけど、どこにも表記もなく、名前だけが三ツ石というのだけ、わかりました。人が一杯いるその中に綱だけが回りにあるだけで、ちょっとびっくりします。(はっきりいってもっと混んでいる時って、危ないないのかなあって思いましたわ)

 近年この石の上に手をかざし、パワーを感じようと身を乗り出したり、なかにはなかに入り込んだりする人がいるそうです。いわゆるパワースポットとか言われているようですが、神様は決して喜ばれない行為だそうです。そもそも祀られているものの頭上に当たるところに手をかざす行為はよくないとされているそうですよ。

今年出来上がったばかりの勺玉池の資料館。

勺玉池に行くのも、駆け足で行ってだったので、写真を外から撮って終わり。本当は中をじっくり見学したかったですが…。

 

慌ただしく内宮に行きさすがバスツアー、大きなお土産屋の2階の食堂で伊勢うどんとちらし寿司の昼食(インシュリンダイエットの方、塩分摂取制限の方には不向きな、塩分多量でんぷん質オンリーのお食事)を食べ、食事を含め1時間の休憩(つまり、ここでお土産を買えと)更に、そのお土産屋さんが内宮を1時間かけて案内してくれるというスペシャルなコース。

お昼は、あれなら、自分たちで好きなものを頼んだ方がっていう、ちょっと残念な内容。その前がよかったので、なかなか自己主張の強いメンバーたち、ムムムムでした。

いえ、不満がある訳じゃありませんよ。案内してもらわなければとても効率よく回っては来れないでしょうねえ。内宮案内後は更に1時間の自由時間で、集合場所はまた、そのお土産屋さんの店内で、集合後お土産屋さんがバスまで誘導してくれるという、なんちゅうかなんです。

個人で来るか、ツアーで来るか、この辺で評価が分かれるところですね。行ったのは月曜日でしたが、駐車場の確保も難しい状態でしたから、効率よく回るにはツアーの方がいいし、でも、寄りたくないところももれなくついてくるっていうのもありますからね。ツアーだと。

と、ブツブツ言ってますが、次回は内宮の様子を。(人が一杯で写真があまり撮れなかった~~(ー_ー)!!


鳥羽展望台と神明神社

2012年09月23日 | 旅行

しばらく熟成しちゃってますけど、その割にこなれてないって感じですが、先月行った旅行の続きです。

関の町を見た後、ツアーには付きものの、お土産屋と真珠の販売店の話はカツアイしますよお~~。しかし、はっきり言って、高価真珠ネックレスなんて、いくら割引券貰っても、庶民の私には文字通り『豚に真珠』ですからね。

一つだけ、こぼれ話を!

かなりしつこく売り込む販売員に向かって(まあね、当たり前っつえば当たり前だわね。)一緒のツアーだったご夫婦の旦那さんの方が、

「あんたさあ、これが200万とか言ってもさ、偽ものとどう違うのか、ほんとにわかるの?どこで見るのさ」

と言ったら、「私どもが見ればわかります」

「ふ~~ん。俺が見たじゃあわかんねえなあ。ドウ見りゃあ良い訳?そんだけの価値があるって他の人にわかるの?」(ごもっともでございますわね)

「ええ、私どもにはわかります」(あんたにわかってもねえ…)

「ふ~~~ん。俺にゃあわかんねえから、買っても無駄だぞ」

ま!私にもわかりませんから、ネクタイ(一応正絹)とネクタイピンのセットになっているのが、半額になっていたので、息子に買ってきました。

ストラップで、小さな豚が真珠を首につけているかわいいのがあったので1000円でお釣りが靴くらいの値段だったので、買おうかなと思ったら、とどちゃん、「くっだらねえ、第一もう時間ねえぞ。」となって、買わずに出てきてしまいましたよ。息子へのネクタイとネクタイピンも買わなくてもいいなんていってたんでね。とどちゃん。とどに真珠がついていたら買ったかもね(^_-)

そのあと、鳥羽見晴らし台に行きました。

太平洋が一望できるのですが、とにかく暑くって、みなお土産屋に避難してましたけど、とどちゃんさそって、せっかくなので、裏の方まで見に行きましたよ(*^^)v

鳥羽と言えば、鳥羽一郎と山川豊兄弟と言う事で、この展望台には兄弟舟の歌碑が

実はですね、この歌碑が何だったのか、写真に撮りながら、わからなくなっていたんですよ。

で、鳥羽展望台って検索したら、出てきました。珍しい歌碑があると言うのでね。それを見るまで、まるで、思い出さなかったんですが、そう言えば鳥羽一郎にまつわる(名前がついた)お土産ものが沢山ありましたね。

前だけ見て、みな、涼みに建物のなかに入ってしまいましたが、とどちゃん、引っ張って(オホホ無理やりじゃあごさいませんことよ。あくまでも誘ったら、付いてきただけでね(*^^)v)裏の方にも回って見ました。

見晴らし台の上は風が強かったものの、海は静かで綺麗な海でした~~。

この後、神明神社に行ったのですが、よく知らなかったのですが、神明神社の中に石神神社というのがあって、「女性の願いをかなえてくれる」のだそうで、今若い女性の中でブームなのだそうです。(鳥羽市相差町=おおさつちょう)

バスがあがって行けない狭い坂の上にあり、手前でバスは待っていて、そこからしばし坂をだらだら上がって行くんですが、神社自身は小さなものです。石神神社でお参りするのが目的の人も多く、小さな神社(というより祠というのが正しいかな?)の前にピンクの紙が置いてあって、「女性」だけ、何か願いを書くようにと言われたんですが、とどちゃんは「みんな長生きできますように」って書けって言うんですけど、う~~む、GオさんやBこさん、特にGオさんは100まで生きる気満々なんで、必要無いしつうか、申し訳ないけど、長々生きが「嫁」の私にとって幸せかい??って思ってしまうので、さしつかえないところで、「子どもたちが幸せな家庭を築けますように」としておきました。

でもって、肝心な(?)石神神社は写真はなしです。みんなの頭で、見えりゃしないですからね。

その隣のお稲荷さん。

かわいそうに、誰も寄ろうとはしません。というか、少し引っ込んでいるので、気がついていないのかな?

本命というか、本神社の石神神社の鳥居

狛犬さんもちゃんとしめ縄をしてもらってます。なかなかこわもてですね。

ここには、長寿の館というのがあるというので何だろうと思ったら、

樹齢の長い御神木を祀ってあるんですね。でも私、もっとすごい樹、知ってますから。静岡市の草薙神社にありますよ→こちら(写真は拡大できますから大きくしてご覧くださいね)

野口みずきさんもお参りに来たという、石神神社への願いを女性陣が書いている間、男性陣は祠の前でしばし休憩。と裏の竹林に一杯黒い蝶が、すごい速さで飛びまわっていたんですよ。

何枚も撮って見たんですけど、こんなかすり方しかしませんでしたが。

この、黒い大きな蝶がまるで鳥のようにというか、鳥よりも早く乱舞していて、ちょっと不思議な感じでしたよ。男の人は暇だったって言うのもあると思うんですけど、思わず声をあげて騒いでいました。

この下に、「海女の家」やお土産屋も並んでいたんですけど、こちらも、ハイ時間切れで、また、息切らして、坂道を駆け下りたのでした~~~。

いやさ、真面目な話、小さな神社で、道もせまいし、車にひかれそうになりながら、見に行くところでもないようななんておもっちまいましたけど、若い女性にはどうしても行きたい場所なんだそうで…。

でもね、伊勢神宮に行くのに、どうなの??なんて思うのはもう若い女性ではないからでしょうか~~。


いやいや、なかなか大変な日々が!

2012年09月21日 | これって認知症?

今週もトラブル満載、相変わらず、あっちもこっちもです。どれも独自独歩で進行中ですわ。

我が家の高齢者(GオさんにBこさん)に実家の母の80歳越えのトリオも、トリプルで!

娘の子どものやんちゃ坊主が、幼稚園帰りに怪我をして、Gオさんから、Bこさんまで、巻き込んでの大騒ぎ。つうか、娘があわてて、私の携帯電話ではなく、自宅に電話をしてきたことから、大騒動になってしまったんですがね。幸い怪我の方は思ったほどではなく、幼稚園を休んで、経過観察中です。

ええ、NPO法人の方も、様々トラブル発生で、緊急時連絡先の私、どたばたでございます。

そして、実家の方のお見まいに行きたいけれど、の、高齢者の方も色々ありましてね、どこから解決していけばいいのか状態なんですわ。

で?

私は何を書こうとしたんだ???

まずはBこさんの事かな~~~???

夫母Bこさん、やはり言動がおかしいです。

ひ孫の何歳かがわからないは、まあいいとしましょう。

しょっちゅう見ているんだし、その都度、聞くんだから、おかしいといえばおかしいけど、まあまあね。そんなもんかもしれません。

先日、Bこさんの妹のマゴ娘が結婚し、その、挨拶に来てくれたんですけどね、どうも、他の子と勘違いしているような??まあね、自分のマゴが5人。Bこさんの妹のマゴが5人。みんな年が近くて、特に女の子がみな似ているというのもあるとは思うんですけど、私の弟のところの子どもも含めて、記憶が混同しちゃってます。まあ、細かいところは仕方がないとはいえ、孫だけでなく、自分の息子と混同しているんですよ。

挨拶に来てくれた子は26歳。でも自分の方の孫に(名前も取りちがえてはいますが)同学年の娘がいて、そのこも早く結婚しないとねえ、と、言いながら、もう、何歳??何回も26歳だよと言うのですが、「あの子(名前が出てこない)は確か…昭和…2、2、29年だから…、え~と、確か2、2、29年生まれだから……、だから……」

確か昭和29年…」と繰り返すので、私が、でかい声(聞こえないからね)で、

「29年生まれじゃあ大変!。私より年上!。間もなく還暦になっちゃうからね~~。」

一同笑いになったところで、話を変え、もう、年の事はスルーしちゃいました。良く考えたら、夫の弟(=年齢の思い出せなかった孫の親ですな)が昭和29年生まれなんですよね。いや、違うわ、彼は28年生まれだ!

それ以外にも、なんていいますかねえ、あれは焼きもちなんでしょうかねえ、私ととどちゃんが一緒に出かけるのを「怒る」ようになったんですよ。

とどちゃんにむかって、「なんで、あんたも一緒に行くだね!よしこさん、一人でいかせりゃいい!」って怒鳴るんでね、出かける時、と~~ても面倒です。

自分はいつでもGオさんに連れて行ってもらっているのにね。

それに、今まで、とどちゃんより、とどちゃんの弟命だったんですよ。それ見ていて、私、弟の方の嫁でなくて良かったと思ったもんだったんですけどね。もしかして、そこも混同しちゃってる???なんてことはないよね。

体の傾きはますますひどくなり、どとかないところが増えたり、出来ない事が多くなったんですけど、逆に「出来る」と見せたいらしく、今までやらなかったのに、茶碗を洗ったり、掃除したり。でも大失敗も多くなり、茶碗の被害もかなりのもんです。よくしたもんで、自分(Bこさんの)の茶碗なんで、ほっときます。

ガッシャ~~ンと、すごい音で、その破片の中にただずんでいる時には、破片の海から救い出して、片付けてやりますけどね、私の買ってきた茶碗じゃ、どうも気に入らないらしいので、予備にあるやつでご飯をつけて、そのうち、たぶんGオさんと「デパート」でお買い求めのお茶わんんが何日か存在してます。ひどい時は1日の短いかわいそうな茶碗の命なんです~~~。

右斜め前に倒れているんで、右手があがりきらないんじゃないかと思うんですけどね。

うがいするところを見てびっくり。気がつかなかったんですけど、背中がまるくなってくるっていうことは、後ろにもそることが出来ないっていうことなんですね\(◎o◎)/!前に倒れ気味の頭を真っすぐするのがやっとで、口のなかに水は入りますけど、喉に水を送り込むなんてことは出来ずに、前の方でというか、舌がぴくぴくしてるだけ。よく見るとGオさんも膝を折って、少し後ろに倒れ気味には出来ますけど、天井見て、はい、ごろごろ(^_^)vなんて、日ごろ私指導しているんですけど、難しいことなんだ!とびっくりしましたよ。

いやね、人には首をぐるっとまわして~、はいまげて~、それが大事なストレッチですよ~~なんて、やってなんですけど、内心、誰でもできるわい。なんて思って、バカにしてましたが、GオさんとBこさんのうがいを見て、あわてて、首のぐるぐる、そらしをやってますわよん。

首って、いろんなものの通り道になるので、みなさんも、やってね。

首のぐるぐるや左右前後の曲げも大事ですけど、目も左右上下、そして、ぐるぐるをやると、目の周りの筋肉をほぐすので、見え方が違いますからお試しください(^_^)v

 


関宿 眺関亭(ちょうかんてい)・百六里庭

2012年09月19日 | 史跡

関宿の丁度真ん中、間口から見るとここが?って感じの建物(?)入口に、「関の町並みが見晴らし台殻見えます」みたいな看板に気がつき、狭い階段をあがると、見晴らしが!

ちょっと、いい。

良く見えるとは、言えないけれど、見晴らし台からちょっと身を乗り出すようにして覗くと左右に町並みが見えました。夫=とどちゃんは、「なんも見えねえ」とのたまってすぐ下に降りてしまいましたよ。

 

ここは眺関亭(ちょうかんてい)という、文字通り関の町を眺められると言う意味なんでしょうね。

確かに左右、町並みの外れまで覗けます。(見はらせるとは言いにくいですけど)

ここに、庭園があって、「百六里庭(ひゃくろくりてい)」と言うそうです。

という、2つの名前も、関の事を調べていて、わかりました。

関宿が江戸から百六里あることから付いた名前だそうですよ。

眺関亭の階段を下りてくると、昔の町並みの案内図が(他にもいろいろ掲示してありますが)掛かっていました。もちろん、原本ではないと思いますが。江戸時代の人の名前が、なんだか、江戸時代にワープしたような気にさせました。

って、いつまで、関にいるんだよ!って、けどばされそうだな~~。

まだ、一杯写真はあるんだけど、あと少しだけね。

昔ながらの旅館の前に、部活帰りの子どもたちが、わいわいと。急ににぎやかになりました。

まだ、この薬屋さん、現役なんでしょうか?

私の子どものころはこんなでしたよ。というか、私の故郷は本当に田舎なので、つい最近まで、当たり前の景色でしたが。こちらは昭和ですね。

 

 


関宿 高札場跡(現関郵便局)

2012年09月18日 | 史跡

関宿から、ワープしていましたが、いい加減戻りましょうかねえ。

私的には、関宿は見る場所が沢山あって、もっとじっくり見ていたかったけれど、とりあえず、写真だけ撮って回り、今頃色々調べていると言うところです。

でも、ちゃんと資料など持ち帰って、じっくり見ると、また別の発見もあって、それはそれで、いいんじゃないかと…。

関宿の丁度中心になる場所に、関郵便局がありました。

レトロなポストというか、郵便入れ。その昔は「書状集めの箱」といったそうです。日本で一番先につくられたポストを模して作ったものだそうですよ。

郵便局の白壁がまぶしいです。

高札が保存されています。

旧東海道ウオーキング人力によると

”関宿高札場には8枚の高札が掲げられており、その内容は、生活にかかわる様々な規範、キリシタン禁令や徒党・強訴などの禁止といった幕府の禁令、隣接宿場までの人馬駄賃の規定などであった”

とあります。

高札場(こうさつば)とは、東海道へのさそいによりますと

高札場とは、幕府や領主が決めた法度(はっと)や掟書(おきてがき)などを木の板札に書き、人目のひくように高く掲げておく場所のことです。とあります。

実はですね、今の今まで、こうさつをたかふだと読んでいました。

高札とは?

これまた、なかなか奥が深いですぞ。→こちらをお読みください(ちょっと省略不可ですわん)

そうだったのか!歴史編みたいなね(^_-) 初回100円で!いや、ここは無料だすが(*^^)v

 

 


敬老の日って、難しいですね

2012年09月17日 | 同居のあり方

べったり同居の我が家。

夫は自分の親とずっと過ごしているので、別にどってことないですけど、「嫁」の立場の私とすると、うまく同居していくための努力っつうか、結構あるわけですよ。

そのうちの一つが、「敬老の日」あまり若いうちは(若いといっても50代、60代)は「敬老」っていうのもむしろ失礼のようなところもありますしね。

さすがに70代になると、そろそろ「敬老」と言ってもいいかもしれない。

で、今、87と85ですわ。GオさんとBこさん。

本来なら、なんか、しないといけないんでしょうけどね、何年か前から、いつまでも夫や夫弟にまで、お年玉を渡す、GオさんとBこさんと、話し合いをしまして、お年玉は止める。その代わり(?)私は誕生日だの母の日父の日にいろいろプレゼントしてきたんですけど(敬老の日も)それを止めてほしいと言う事を決めました。

つまり、誕生日母の日父の日敬老の日、まあせいぜい夕飯をちょっとご馳走。デザートにケーキを定番にしてきたんですけど。

誕生日はまあまあ、いいんですけど、他の日は、TVでもいろいろやっているし、なんか落ち着かないんですよね。特に敬老の日なんてね。

今日Gオさんは朝から敬老のお祝いで町内から招かれて、お昼まで過ごしてきたんですけど、Bこさんは毎年そういうのに不参加なんです。

なんで、まあね、お昼にお赤飯を炊いて(つっても、手間のかからない奴ね)一緒に食べました。

で、夜、どうするか~~って悩み中です。

私ととどちゃんも孫からお祝い対象ですけど、これは娘から、「ごめんね、婿さん母のなるばあちゃんのところに行くんで、こっちはパスね」と言われてます。

ま、私も実家には、こっそりで行かねばならん。なんせ、すぐ近くなので、スーパーとかに出かけたついでに寄っても、ヨメさんに、「来るなら、事前に予定を聞いて下さいね!」なんつわれるし、買ってあるものもあるんだけど、それ、渡して、当てつけになっても困るからね、そっちもむずかしいのさああ~~~。

やっぱ、何にもなしは、まずいだろうな…。

ケーキは昨夜出したけどさ…。

とどちゃんが何も言わなけりゃ、粗食にしとく??健康の為、家計の為にさ。


単身者の生き方 逝き方

2012年09月16日 | 生きる道

今は生き方も多様になって、単身で生涯を過ごす人も多くなりましたね。

となぜ、こんな事急に言い出したかというと、身近に、考えさせられる事がいくつか起きたからです。

 

1人目のケース

彼は教員をしており、母一人子一人で、生涯独身でした。

そして、55歳になった時、なぜか早期退職をし、古い借家を借りて、一人暮らしを始めました。なぜ退職をしたのか、なぜ一人暮らしを始めたのかはわかりません。

そして、同窓会が開かれたある日、彼がどうしているのかと友達が訪ねると、実は、もう、彼は亡くなり、誰にも知らされることなく、彼のお母さん一人で送り出したと言う事が、密かに伝わりました。

一人暮らしを始め、55歳にして初めての自由だったのかもしれません。彼がどのように過ごしていたのかは誰も知りませんでした。

どういう事情で彼と彼の母親が離れて暮らす事になったのかわからないのですが、あまりに連絡の取れない彼の事を心配して母親が彼の家を訪ねると、彼は部屋の中で、亡くなっていたそうです。

世間体を重んじる母親の手によって、彼の死は公表されることなく、文字通り闇に葬られたのです。お葬式もせず、火葬だけしたそうです。彼の母親も年齢からいうともう80前後にはなっていたと思いますから、もしかしたら、お葬式を出す事が出来なかったのかもしれません。

もしも、彼が57歳の人生と決まっていて、どう生きるかと言う事を考えれば、自由に生きた2年間は幸せだったのかもしれないし、自分で選んだとは言え孤独で悲しい日々だったかもしれないし、それはもう誰にもわかりません。

彼の自立は55歳だったのでしょうか。

 

2人目のケース

実は75才にして初めて、自分の食事を自分で準備するようになった女性が身近にいます。

彼女は手に職があり、今も現役で仕事をしています。

彼女は父親が早く亡くなり、彼女が家計を支えていたそうです。

そのため、弟が結婚し、母親と弟家族のところに、夕飯、お風呂をもらいにいき、仕事場の2階に寝るだけに帰っていました。昼食も90過ぎた母親が手押し車で運んでしました。

ですが、母親が施設に入る事になり、それと共に食事も自分で用意するようにしたそうです。

そして、母親の施設に面会に行くと、毎回泣かれ、自分も泣きたくなるといいます。食事を自分で用意するといっても、スーパーかコンビニで買ってくる以外にはありません。彼女の仕事場には台所はありませんから。

考えてみれば、彼女の弟のお嫁さんだって、70過ぎになるでしょうから、いい加減あなたも自立してというところでしょうか。

今は元気ですけど、彼女が本当に年老いた時、どうするのでしょうか。

 

問題は、この後の人の事です。

たぶん年は私と同じか少し上だと思うのですが、もともと彼女はちょっと精神状態がよくなくて、結婚せず、親元にいるんですが、直接見てないので、なんとも、相談されても私もどうしようもないんですが、というか、私が口出す事じゃないんで。

最近、彼女の父親が亡くなり、お葬式になりました。しばらく入退院を繰り返していたので、急に亡くなったわけではありません。ところが、家の中が物であふれて、文字通り足の踏み場もなく、駐車場から、玄関階段に至るまで、人がやっと通れる隙間があるかないかの状態だそうです。

彼女以外に結婚して別居している兄弟が家に入ろうとしたけれど、なんとか、仏壇の前に二人座れるスペースを作るのがやっとだそうです。

そして、彼女のお兄さんのところで結婚式があり、相手の方が挨拶に見えた時にも、玄関に上がる事も出来ずに、おじいちゃんにお線香をあげる事も出来ずに帰ってきたそうです。

どうして、そうなったのかがよくわからないんですが、彼女がいろいろ買い物をしてきて、それが、開けないまま積み重なっているのだというんですが、どうしたらいい?と相談されました。

私、彼女の存在すら知りませんでした。どうも、「困った子」と言う事で、親はいいなりになっていたようなんです。買い物も何か買わないようにする方法もあると思うのですが、「暴れると困るから」と言うのです。

まずは、彼女を病院に連れて行くべきだと思いますが、もう85になる母親では無理でしょうね。

もっと、早く、相談すれば、彼女の治療も出来たでしょうに、と、決めつけてはいけないですけど、とても正常とは思えません。

もしかしたら、若年性の認知症と言う事も考えられますよね。

ちゅって、私に相談されてもねえ…。ちゅうか、私がでばるってどうよ?

義理の義理の仲の人の話だよン。

昨日、その問題を相談する為に我が家にやってきました。

まあ、込み入った話のようだし、私お茶出して(これもまあ、大騒ぎしたんですけどね、Bこさんがね)あと、引っ込もうと思ったら、その中の私と年の近い人と、その娘、なつっこく「よしこさん、おばちゃん」とやってきました。

まあ、もともと、我が家の家族とは、とても親しく付き合っている親戚なので、同じ年頃、子どもも自分の子どもと同じぐらいなので、夕飯食べてく?なんてしていたので、当たり前と言えば当たり前なんですけどね。

もう、Gオさんや、Bこさんじゃあ、相談にならないと思ったんでしょうね。

まあね、全く話かみ合ってなかったし、わかるけど、こっち頼られてもね…。

それにしても、

……むずかしいねえ。

とにかく、精神科と、公的機関(地域包括センターなど)に相談したらと答えておきましたが、それで良かったのかなあ。

というか、私が動く事じゃないからさ…。

 


みのむし、め~~~け!byむし倶楽部

2012年09月16日 | 昆虫

6のつく日はむし倶楽部の活動日です。

あっというまに、むし倶楽部の活動日。昨日久しぶりにカメラの画像をPCにとりこんだら、280枚越えでしたいやさ、連写でとる事が多いので、やたら枚数が多いんだけど、さすがにとりこみに時間が掛かったね。

でもって、目的の写真が取り出せるか心配だったんだけど、一発で見つけた~~~。だって他の写真に比べて華がないんだもん。

目的はミノムシの写真。

ごくごく一般的なミノムシ。久しぶりに見つけたよ。最近見るのは小さなミノムシばかりで、木の枝を背負ったミノムシ。

  

夕方暗くなってから写したのと、枝の影だったので、うまく写っていませんが、まるで薪を束ねたかのようながっちり、丈夫そうな、これから寒さに耐えるぞ~~~って感じるようなミノムシの蓑。

でも、お気づきの方もいるかと思いますが、このミノムシもぶら下がっておりません。横にくっついています。最近のはやり???なんでしょうか?それとも、こういう種類なのかな??ツツジの生け垣のところで見つけました。

撮影日は9月8日夕方6時近くです。

まだまだ、暑いけれど、やはり季節は進んでいるのかなって、感じる蓑虫さん。

実は、7月末に、夏らしい(?)蓑虫さんを見つけていたんですけど、他の虫たちの押されて、今までお蔵入りしていました。

では、遅ればせながら、夏バージョンを

 

この葉が犠牲になりましたよン。

しかし、この葉を使って、いつまで持つのかねえ。

毎日着替えるんでしょうか?葉がひんやりして気持ちいいのかな?

かわいそうに、葉っぱは穴ぼこだらけです~~

撮影は7月29日午後2時ごろ。

カメラはミラーレス1眼NEX-3 標準ズームレンズで撮影。絞り優先モード。

※むし倶楽部はNOZOさんを部長とし、6の付く日を活動日として、むしをとり上げる活動をしています。くわしくはNOZOさんのブログをご覧くださいね。

 

 

 

 

 


活動の確認  ばりばりさんともたもたさん

2012年09月13日 | NPOの活動

今日もNPOの活動日。

小さな…でもないな、中どこのやはりトラブルはありつつも、無事終了。

委託されている業務について、事務局含め確認をしました。

この活動は、その前が本当に無償のボランティアから始まっているので、どこまでやるのかって言う線引きが非常に難しい。

NPO法人自身の監査というのも、きびしくなっているので、事務的にもしっかりしないといけないとい事があって、逆に大変になった側面もあります。

行政からの委託は、年度初めに契約というものをかわします。

たとえば、何人にどれだけの事をするか。と言う事を、きっちり、出動100人、実務何時間。予算はいくら。経費分はこのぐらい。それをはみ出た分をやる事について、その分の不足分の補てんはNPO法人で賄う、つまり赤字になるわけで、どうしても、年度初めよりも施設の利用者さんが、増えるので、契約時よりもこちらの負担は大きくなるわけです。じゃあ、ちょっと少なめに契約すれば、もともとの予算が少なくなるわけですから、それも困ります。次年度の予算の獲得の為にもぎりぎりのところでの契約となります。

もともと、いわゆる「見直し」にいつも、引っかかるような内容の予算で、いつなくなるのかもわからず、毎年綱渡りです。

頑張って活動して、認めてもらうためには、赤字でも(もともと無償だったんだからいいじゃないかという人もいます)頑張るのか、ちゃんと、法人になったんだから、枠内でやることが、活動として認められるのだという、考え方もあって、今回も、無理を言われた時にどこまで応じるのかの、考え方の違いと言う事になります。

今日は、今年初めに確認した確認事項を順守。そして、今年の活動詳細で、問題点をあげて、来年度、行政と施設との話し合いの場で、検討する事になりました。

これって、実際に活動するメンバーの力の差ということも絡み、やはり、みな同じように活動が出来ない(能力的に)と言う事を、まとめる側が理解しないといけないと言う事もあります。

やはり能力があって、ばりばり病院や医院でフルタイムで働いている人と、普段は家庭にいるひとが、たまに出てくるのでは、その差があって当たり前で、こなす仕事量には限度があるのです。ですが、やはり、仕事と家庭を両立している人(それはすごい能力ですよ)から見れば、どうしてこんな簡単な事ができないの!って腹立たしい事があっても、上手にその人なりの能力を引き出すというか(中には箸にも棒にもって言う人もいますけどね)かき集めるというか、うまく使って行かないと回って行かないんです。

ところが、今日は活動人数も多く、メインメンバープラス初心者プラスほぼ専業主婦のとり合わせだったので、いきなり、カルテの確認から突っかかってしまいました。

今って、カルテもみんなPCの中ですし、その管理って当たり前ですけど、パスワードも掛かりますし、管理の仕方も厳正なんですけど、それに慣れてないメンバーが今日のリーダーで、リーダーがその管理を責任もってする事になっているのに、どこに置いたのかわからなくなって、仕事が始められない(単にあわてて、わからなくなっているだけなんですけどね)→施設側の職員に聞こえるような大きな声で、バリバリのメンバーが叱責する→よけいパニックになって、今度は途中で、PCを動かせなくなって、「よしこさ~~ん、助けて~~!」と思わずみんな振り返るような大きな声で呼びつけられました。

本来なら、私でなくてバリバリさんを呼ばないといけないんですけど、そんなこと考える余裕もなかったらしいけど、まあ、そこで、またバリバリさんの、ぴりぴりの大声を出させるのもなんだし。

あわてて駆けつけたら、落ち着いてみればいいのに、パニ食って、別のページを見ていた→戻るキーで戻るで、はいOK。

やってみてと次に進めると、もう、「できな~~い」って出来てるし…。

バリバリさんが、いや、彼女だけでなく他のメンバーも思わず手を止めて見る中、何度も同じ動作を復習。

なんとか、作業が出来るのを確認して、「わからなくなったらやたら動かさずに、そのままにして、そっと呼んでね」ちゅうに、叫ぶんだな~~~

今日のリーダー、最後の最後まで、世話かけっぱなしの、挙句に管理しなくてはいけない大事な書類も文字通り散らかしたままお帰り遊ばしちゃって、後始末が大変でしたわ

でもまあ、お陰で、誰でも同じように動けると思ってしまっている、バリバリ組みにも、逆に刺激になったんじゃないでしょうか。

あんなもんですよ。大概。だって、一般の主婦で、携帯電話だの、スマホなんてこなしている人はそうそういませんから。PCだって、触ったことないなんて言う人も今時でも、たっくさんいるんですよね。そういう人に、病院での打ち合わせのように言っても、なんにもわかりません。極端な話、通訳を入れても話が通じない見たいな状態なんです。徹子さんに、野球の話をするようなもんです(わかる人にはわかると思うけど)。

ちゃんと説明したでしょ!ってキレられてもね…。

ま、気持はわかるけど。双方のね。

どっちも、今日はもやんもやんの今頃やけ酒かしらん?

わたい??かけつけにやけ冷やしこーひーを3杯、行っときました。あと、昨日の残りの大学イモ(*^^)vう~~と、ミントのアイスも


トラブル発生 それにともない、明日バトルか!?

2012年09月12日 | NPOの活動

医療関係のNPOの活動、まあトラブルのない日の方が珍しいんですけど、今回は(も?)ちょい~~と私も腹立たしいんですよ。

私は施設訪問の担当部署にいるんですけど、一番の頭と言う訳ではありません。

一番の長と、副の人は常勤の人で、事務的な事や、あちこちの連絡役を私が担っています。更に訪問に行くメンバーも30人近く、述べ150人の派遣なので、メンバーの組み方だの、誰と一緒に行くだの、何かしら長所も短所も皆持ち合わせている、強力な個性の持ち主たちばかりなので、その調停役(お守ともいう)が、今一番の仕事のような感じになっています。

先日も、アクの強い何人かと行き、まあまあ、その施設はトラブルなしに順調に終了したんですが、次の訪問先2カ所が、いろんな打ち合わせの時にはそんなことは聞いていないよ見たいな事を言い出したんです。

そういう事もあるよと、連絡調整の人には伝え、念のため、今日連絡しちゃったら?と言うように持ちかけ、ある意味事前にトラブル発生を最小限度に抑えられたと思ったんですが…。

正副の人にメールで報告。別の件もあり、2つに分けて、連絡しました。トラブル発生の件は直接の担当者からすぐに連絡してもらってあり、先に副の人からも、折り返し相談があったので、「実はその時私もいたんですが、こういう事です。」と伝え、「じゃあその件は仕方ありませんね。」となったんです。

正の人は夜間の診察がある医院なので、帰宅が遅く、メール2件のうちどうも後に送った、報告だけの方の「了解」と言う返事を11時頃かえして来ました。

当然、トラブルの件も「報告」だけで、「了解」してくれたと思ったら、その後、「今メールを見ました。これこれは、困るので、1,2,3のうちのいずれかに変更してください」ってきたんです。

変更って、今頃出来ませんよ。

だって、今週末の連休明けの訪問する施設の事で、1,2,3いずれの方法も対処できませんもの。1が「別の日にする」しかも、話し合いは明日木曜日施設訪問後ってことは、施設やメンバーに連絡するのは金曜日しかない。それに、これって公的な委託事業なので、行政にも報告と了解を得ないと出来ないことなんですよ。

事件は現場で起こっているんです!と青島のように叫びたい私ですわ。

2,3の方法に至っては、アホらしくって書く気にもならないわさ。

副の人も、「よしこさんの意見に賛成。今さら変更は出来ないし、その説明は説明会でも文書でも何回も確認してあるんだから特別扱いはなし」と言ってくれていますが、正の人は納得していないです。

うえ~~ん。

明日、怖いわ、ちゅうか、これは、必要なバトルだわさ。

いや、彼女の事は助けたいし、出来ることはやってやりたいけど、う~~ん、それはできませ~~ん。

しかし。昨日の私の苦労はどうなったんじゃと言いたいのよ。そこまでの行く過程を君はわかっとらんぞ。


関宿 看板編

2012年09月12日 | 史跡

関宿の並んでいる家並み(=町屋というそうです)に、看板があちこちにあるんですが、ちょっと変わっているんですよ。

塀の上から丁度目の高さより少し高いぐらいのところに、習い事のお師匠さんの看板ですね。

 

 

上の写真だとそれほど、板の傷は深くないように見えるけれど、実際には↓

風雪を感じますね。上の屋根がなかったら、とっくの昔に露となっていたのかな?屋根の飾りも凝っていますね。

 

上の写真にある、かるた、意味もわからず写して来ました。

「ひらがなの庵看板京を指す」

正直言うと、とりあえず読ますに写していました。だ~~って、皆さっさか行っちゃうんだもの~~。取り合えず写したのよう。

写真を整理したり、資料を読み直してやっとわかりました。

下の写真の看板、「庵看板」というそうです。看板の上に瓦屋根の付いた立派な看板で、屋根の河原細工にもご注目ですよ~~って、屋根の上のは何をあらわしているのかな?馬が逆立ちしてるの?変った生きものが生息しているんでしょうかあ?。目が大きいねえ。後ろ脚はやはり馬のように見えるし…

写真のように漢字の見えている側が京都。反対側はひらがなになっていて、東京側になるそうです。

つまり、京都に向かうときはひらがなの見える方に進む。江戸に向かうには漢字の見える方に向かって進むように、旅人に方向を教えているのだそうですよ。それを、知っていれば、反対側からも写したのに~~~と、今頃地団太、踏んでます。

でも、こうやって、記事にしなければ、パンフ類も見直す事もないし、調べる事もなく、単に、古い家並みを見てきたで終わったでしょうね。

これで、また、一つおりこになりましたわん


関の山(山車)

2012年09月11日 | 史跡

関の山の語源は、この町というか、ここでのお祭りで出る山車にあるそうですが、その、語源の事が書いてある建物。

何の建物かよくわからず、とりあえず、「関の山」の語源になったということが記されていたので、写してきて、調べてみました。

この建物は、山車倉(だしぐら)というもので、以前は16基あった山車が今は4台残っていて、4ヶ所に山車倉があるそうです。

その昔、互いに華美を競い、豪華絢爛な山車が、狭い関宿を練り歩き、向きを変えたりするのに、大変だったことから、これ以上の事は出来ない、せいぜいこのぐらいが、限度だと言う意味で、

「関の山」と言う言葉が使われるようになったそうです。

なるほど~~~。

いや、説明は受けたんですけど、関の山の語源になったところだって事はね、でも、ここになんで、語源が書かれているのかがわからなかったんですよ。

山車倉だったんだ~~。

というか、右側の石碑の問屋場跡に気をとられて、きがつかなかったぞい。

山車の絢爛さとは違って、建物も少し引っ込んでいるし、地味なので、ちょっと見落としてしまいそうなところにありますよ。

 

 確かに背が高い倉でしたわ。いやあ、ちょっと透視の目がほしいわあ。