曲がり角で みつけたもの

思秋期になり曲がり角に差し掛かってきました。その中で感じた事、見つけたものを記事にしていきます。

清見寺 鐘楼と潮音閣

2012年11月23日 | 史跡

清見寺総門のところから見える鐘楼です。

清見寺は敷地の中を東海道本線が通っているので、(→近くの興津駅の歴史を参照してくださいね)手前に見えているのは鉄道の架線などです。

その隣には同じ場所から見た「潮音閣」とよばれる宿泊施設だったところ。朝鮮使節や琉球施使節が、東海道を通る際の旅の宿泊所にもなっていたそうです。

鐘楼の歴史は、これまた古く、鐘の鋳造は正和3年西暦1314年と記されています。

 

掘り物もまた見事です。

 

鐘楼の前と言うのか裏と言うのか線路側に回って見ると、鐘が見えました。

そこから、潮音閣の建物と外へ通じる古い木戸が。

木戸も思いっきり古めかしいです。

 

潮音閣の屋根

やあねえなんて!

嫌いじゃありません。こんな感じ。

つうか、好きです。

うろこ雲と良い感じ。

潮音閣の入口になるのでしょうか?今は日本庭園の拝観入口になってます。

日本庭園も素晴らしいようですが、残念ながら、今回は見送り。時間をとって、じっくり眺めさせていただきたい。と思います。

それでは木戸をくぐって、下りて行きましょうか。

次回は踏切編です。

え?いつまでいるんじゃって?う~~んと、たぶん次回で終わるっしょ?だぶんね(^_^)v

 


清見寺 大方丈と臥龍梅

2012年11月23日 | 史跡

清見寺の境内を山門から右に折れると現れるのが大方丈とよばれる建て物です。

徳川家康が今川義元の人質だったころ、この大方丈の書斎で手習い等していたそうです。

そして、ここに植えられている梅の古木。臥龍梅(がりゅうばい)

臥龍梅とよばれるこの梅の樹齢はおそらく400年ほど。家康が清見寺をだずねたのを記念して清見寺近くの清見潟から移植されたと言われています。今も新春に花を咲かせるそうです。枝ぶりもいいので、春に見に来たいです。

この前に休憩所があって、そこに、現代のアートがありました。

瓦などをうまく埋め込んで、モダンな敷石になっていました。

手前の方に紋の入った瓦もありますから、建物を修復する時に出た、廃材を利用しているのかもしれないですね。記述がないか探してみましたが、わかりませんでした。

 

次回は鐘楼と潮音閣です。しつこく続く~~ヽ(^o^)丿