【商人は損していつか倉が建つという諺があります。
商人は、損をした、もうからないと言いながら、
いつの間にか倉が建つほど金持ちになっているということ・・ですね。
しかし、これも幻想世界のお遊びです。笑】
只の道…淡々と歩く
心の研究もされている禅師、井上御老師のホームページから
一節ずつを、私(思考)が観てみましょう。
あくまで私(思考)から観たものです。
このことは信じないで、常に“実践”で明らかにしていってくださいね。
『この気付きを「見性」と言う人も居ますが、それは違います。
今に徹し切って呼吸も無くなり、呼吸をしている自分も無くなった時に、
身と心とが本当に一つに成る。
この時心の重荷が落ちてすっかり明らかになり楽になるのです。
この明確な大自覚を「見性」と言い「悟り」と言うのです。
生も死も別物ではないことに目覚める事です。
つまり自分の心に迷わなくなるのです。』
いかがでしょう。
実践で腑に落とされたでしょうか?
“見性”とは、その認識が無いということですね。
心が動かず“一心”であり“無心” であり、
自然と一体の“真心”ということです。
生も死も別物ではないことに目覚める事とは、
本来が“空”であり“無”であり“神仏”そのもので、
“生死も無い”ということを“感じる”のです。
同じく、頭の中で勝手に妄想する「思考癖」が、
はっきり観えて消えるのがわかるということです。
これらは弛まぬ“只なる実践”の継続で現れてきます。