只の道…淡々と歩く

無いものを在るとする…ゆくゆくは苦悩となる
無いものは無いのです。

“実践中”は何もかも忘れ切り只やることです。

2016-12-19 11:26:01 | 日記

【「思考癖」を落とすことも忘れて
 只、吸う一息に吐く一息に没頭することが大切ですね。】



只の道…淡々と歩く

心の研究もされている禅師、井上御老師のホームページから
一節ずつを、私(思考)が観てみましょう。
あくまで私(思考)から観たものです。
このことは信じないで、常に“実践”で明らかにしていってくださいね。


ということは自己を運ぶことは全て虚像現象ですから、
 是れを迷いというのです。迷いに遊ぶなかれということです。
 文字や言葉から離れることは概念やその作用と関わらない世界です。
 これが禅定です。自己が無いから相手を立てない。
 だから対立する者がない。囚われが無いとはこのことです
。』

いかがでしょう。
実践で腑に落とされたでしょうか?
自分の思考は「迷い」ということですね。

頭の中で勝手に妄想するその「思考癖」と
遊ばないことです。

ですから頭の中で浮かぶ文字や言葉、イメージ類は
幻想ということです。

その幻想と遠く離れる、関わらないことが
お釈迦様のご指導されていた“禅定”です。

この“禅定”には自分という意識がありません。
自分が無ければすべて一体であり“ひとつ”であり、
またひとつという意識は無く“純粋意識のみ”と
いうことです。

繰り返し述べますが、そこには心配、不安、苦悩、
恐れ、楽しみ、喜び等は一切無く“涅槃寂静”の境地
とも言えるでしょう。

そこが“空”であり“無”であり“神仏”そのものと
言われる“真の自分”です。

生きているうちにそこに還り着くよう
弛まぬ“只なる実践”の継続ですね。