“今この瞬間・無思考”が真実です。
これは頭脳の理解では無理というものですね。
頭脳の理解は幻想の記憶が元になっているから、
どこまでいっても幻想ということです。
本来という真実は“今この瞬間”で完結していますので
思考の入る余地はまったくありません。
ですから、思考が想像する過去や未来や現在は、
事実には“無い”と言えるのです。
そこでですが、この生涯で培ってきた知識等も無いのか
というと、それはちゃんと残っています。
知性も思考も以前とかわらないまま、人間の構造として
生きている限りそのままです。
このブログで述べていることは、幻想を創り出す思考を
はっきりさせるため、「思考自我」を頭の中から
消し去るということです。
頭の中で勝手に妄想する「思考癖」が落ちれば、
幻想がありませんので“今”に目覚めるのです。
“今”に目覚めれば、本当は“今この瞬間・無思考”で
真実の世界であるのです。
繰り返し述べますが、“真実”を覆いかぶしている
「思考癖」を剥ぎ取れば“永遠の空なる命”を体得できるのです。
只の道…淡々と歩く
心の研究もされている禅師、井上御老師のホームページから
一節ずつを、私(思考)が観てみましょう。
あくまで私(思考)から観たものです。
このことは信じないで、常に“実践”で明らかにしていってくださいね。
『道のために道を行するとはこのことです。と言うことは、
何でも「只」やりなさい。「今その事」のみに成りなさい。
「只」坐禅しなさい。「只」一呼吸しなさい。
さすればやがて心念紛飛が収まり、本当に「只」坐禅、
「只」呼吸が出来るようになる。飛び回っていた心の癖が取れるのです。
身と心が次第に親しくなり、
やがて本当に一体となって身心一如に目覚めるのです。』
いかがでしょう。
実践で腑に落とされたでしょうか?
心の癖という「思考する癖」を落とす
修行のことをご指導されています。
この“只なる実践”は、何でも「只」やりなさい、
「今その事」のみに成りなさい…と仰っています。
学習して覚えなさい・・ではありません。
またこの“坐禅”の極書を頭で理解しても、
“目覚める”ことはできません。
この“坐禅”の極書を読んで、忘れて
“只なる実践”に一途に打ち込むのです。
それは、難しいことでも容易いことでもなく
“只、それに打ち込む” だけです。