只の道…淡々と歩く

無いものを在るとする…ゆくゆくは苦悩となる
無いものは無いのです。

朝、みずみずしい白菜やキャベツを観て回ってから出掛けます。

2016-11-20 09:14:33 | 日記

【このブログはゆっくり噛締めて読んでください。
 そして読んだら、覚えておく必要はなく忘れ去って、
 絶えず“実践”ですね。】



急なときを除いて逃げることは全然ないのです。
悪い事と思うから逃げるのです。笑

逃げてもすべては追いかけてきます・・と、言うか
逃げるのが自我で、追いかけるのが自我です。笑

ですから「思考自我」のトリックで一人芝居です。
一人芝居を見破ることは簡単で、すべては逃げる
必要が無いので“逃げなければいい”のです。

逃げなければ追いかける事が出来ないので、
「思考自我」がトリックを創作できなくなるのです。

つまり思い考えなければ“何も無い”のです。
言葉ではややこしくなりますが、思い考えなければ
“只、ひとつ”がすべてで“絶対善”なのです。

これが本来の“真の自分”とも言えるのですね。
そして、この“真の自分”の中ですべては繰り広げられて
いて、只それを眺めているのが“真の自分”ということです。

繰り返し述べていることですが、これらを信じることなく
弛まぬ“只なる実践”の継続で体得することです。



只の道…淡々と歩く

心の研究もされている禅師、井上御老師のホームページから
一節ずつを、私(思考)が観てみましょう。
あくまで私(思考)から観たものです。
このことは信じないで、常に“実践”で明らかにしていってくださいね。


只管打坐、只管活動を究めれば流転即不変の真相に目覚めるのです。
 宇宙第一の大完成と言うことです。これが大法です。
 涅槃妙心、闊逹自在の境界です。これが祖師です。
 「今」に目覚めたら即祖師です。「隔たり」を取れば即祖師です。
 「今」です。それを得るための坐禅であり修行です
。』

いかがでしょう。
実践で腑に落とされたでしょうか?
頭の中で勝手に妄想する「思考癖」を落とせば
“今”に目覚めるということですね。

心配、不安、苦悩、恐れ等になっているのが
自分ではなくて「思考自我」ということです。

空から浮かんで来る念に取り付いたのが、
「思考自我」ということです。

本来の“真の自分”は「思考自我」の無い
清らかな“純粋意識”ですね。
これを見極めるのが“只なる実践”です。