只の道…淡々と歩く

無いものを在るとする…ゆくゆくは苦悩となる
無いものは無いのです。

薪焼きのだるまストーブを設置しましたから、焼き芋が待っています。笑

2016-11-06 11:01:05 | 日記

【私みたいにあまりお金の無い人は心配ご無用ですね。笑
 本来にはご承知のとおりお金は無いのです。
 昔から言われているように“金は天下の回りもの”ですから、
 やることを只、淡々とやっていればいいのです。】


やったことや浮かんだことに間髪入れず解説する、
批判するのが頭の中の「思考癖」です。

そして思考は除々に苦悩していくのです。
“真の自分”は只それを観ているだけです。

自分の代わりに、代わりとも思わず、自分に成りきって
いるのが「思考癖」です。

ですから思考が創作した心配、不安、苦悩、恐れ等を
残念ながら事実と認識するのです。

事実は“今この瞬間・無思考”ですので
心配、不安、苦悩、恐れ等は存在しないのです。

とにかくピタリとひっ付いている「思考癖」から
遠く離れる事が大切です。

真実は“無いものは無い”のです。
「無いものを在るとする」のが幻想の「思考癖」です。
これに目覚める為の“只なる実践”です。



只の道…淡々と歩く

心の研究もされている禅師、井上御老師のホームページから
一節ずつを、私(思考)が観てみましょう。
あくまで私(思考)から観たものです。
このことは信じないで、常に“実践”で明らかにしていってくださいね。


  『畢竟「隔たり」を取り素直な心になる、「只」の心になるだけです。
     道元禅師は「わずかに柔軟心を得たり」と。
      本来の自分を体得したと言うことです。
   本来の柔軟心は身心一如に成って初めて現れる心です。
     知・情・意が一元化し融合した精神のことです。
 やはり成り切る努力が必須であり、「今」「今」の努力しかないのです
。』


いかがでしょう。
実践で腑に落とされたでしょうか?
この心の研究をされている禅師、井上御老師の言葉を
受け止めるには思考でなく感じ取ることです。

繰り返し述べますが“実践”は「思考癖」を落とすことを
目的としていますので、思考での受け止めはできないのです。

しかし『例え』を思考での受け止めは必要となるのです。
それをしっかり持ちながら“只なる実践”では、
すべてを忘れ去り“只”に没頭するのです。

道元禅師の“本来の自分を体得した”ということは、
迷い一切無い“真の自分”に目覚めたということですね。

「思考癖」も“真の自分”も本来にあるわけではないのですが、
すべて『例え』で思考がわかりやすいように言っているだけです。

本来は“只”で“空”であり“無”であり、すべてがそうです。
それが体得できるまで淡々と只、歩いていきましょう。