只の道…淡々と歩く

無いものを在るとする…ゆくゆくは苦悩となる
無いものは無いのです。

今週はキャベツの苗が大きくなりましたので山畑に植えます。

2016-11-28 07:22:03 | 日記

【これは良い事、あれは悪い事と決めると
 問題が起こるのですね。】


子供が学校から帰って来ないな…と心配してもいいのです。
アッ、帰って来た!と安心してもいいのです。

近くの地方で地震があると、ここは大丈夫だろうか…と
不安になってもいのです。
それから2~3日過ぎて、その不安を忘れてもいいのです。

遊びに出かけて途中で、家に鍵を掛けるのを忘れた!と
思い出してもいいのですね。

ですからどんなことがあってもいいのです。
ここだけの、事実の“今”から離れなければ問題は
まったくありません。

しかし、事実の“今”から離れてくると
除々に問題が出てくるのです。

なぜなら心が浮遊して事実の“今”にいないからです。
事実の“今”にいないということは、心が幻想の中に
入って苦しむということになります。
心が幻想から連れ出されるとも言いますね。

真心”はどこへにも行かず、ここに居て
煌々とひかり輝いている存在です。

それが“真の自分”ということです。



只の道…淡々と歩く

心の研究もされている禅師、井上御老師のホームページから
一節ずつを、私(思考)が観てみましょう。
あくまで私(思考)から観たものです。
このことは信じないで、常に“実践”で明らかにしていってくださいね。


何事も問題を解決するには、その元である確かな原因を
 把握しなければならない。でなければ改善のしようがない。
 原因が分からなければ解決は有り得ないと言うことです。
 修行も同じです。雲を掴むような修行では、結果としての迷いも
 苦しみも解決できる筈はないのです。ではどうするか。
 まず迷っている自分、囚われ苦しんでいる自分を、
 素直に認め自覚することからです
。』

いかがでしょう。
実践で腑に落とされたでしょうか?
繰り返し述べていますが事実には問題は無いのです。
ですから悩んでいれば、悩みの根本を突き止めて、
それに対処すればいいということです。

ほとんどの方がおわかりのとおり、それは「思考癖」ですね。
この「思考癖」を落とさないかぎり、人生を
終えるまで引き付いたままであるのです。

じゃ、「思考癖」を落とすぞ!と息巻いても、
息巻いているのが「思考癖」ですからどうにもなりません。

どうにもならないなら、どうすることもできないじゃないか、
と言われるのが事実ですね。

ですからどうもしない“只なる実践”をするだけです。
それは、空から浮かんだ念に取り付かず、
只“スルー”するだけです。

そうしていくうちに念が出てこなくなり、
念が出てこなければ想念にならず、創作は出来なくなり、
”しかなく今、今、今の流れになるのです。