Life Support 【毎日元気】健康生活  

『何はともあれ身体が資本』 新陳代謝を良くして心も体もリフレッシュ。
364.5日元気に働ける身体に・・・

チャリ通

2009-04-08 08:48:04 | チャリンコ生活
今日も晴れて暖かい一日になるようです。しかし空気が乾燥していて黄砂と花粉とが飛び、遠くの方は霞んで見えます。チャリ通には暑くも寒くもないベストコンディションが続いています。チャリ通DATA:36.5㌔・1時間50分・時速19.8㌔最近自転車の事故が急増しているようです。私も含め安全運転を心掛けましょう。特に交差点では車と人の動きに注意しましょう。

<今日の雑学>・今日(京)ことば

2009-04-08 08:43:37 | 今日の雑学
花祭
仏教では釈迦の誕生(約2500年前)を祝い、4月8日に花祭が行われる。関西では5月8日に行うところが多い。灌仏会(かんぶつえ)・降誕会(ごうたんえ)とも呼ばれる法会は、インドで始まったもので、日本では7〜9世紀に農耕行事と結びついて広まった。花御堂(はなみどう)を設けて誕生仏を安置、竹の柄杓で甘茶を注ぎかける現在の形は、明治以後に浄土宗が始めたとされ、一般に花祭と呼ぶようになったのも明治から。花御堂は母・摩耶夫人が無憂樹の下で右脇より釈迦を産んだといわれる藍毘尼園(らんびにおん)をかたどったもので、誕生仏は釈迦が生まれてすぐに7歩進んで、右手で天、左手で地をさし「天上天下唯我独尊」と唱えた姿を模した。甘茶は、釈迦の体に竜王が天から清浄な水を吐き注ぎ、産湯をつかわせたという伝説からきている。甘茶で墨をすり「千はやふる卯月8日は吉日よ神さげ虫を成敗ぞする」という歌を書き、戸口に逆様に貼ると虫除けになるともいわれている。
今日(京)ことば
ぐち・・・・・~のまま。~ごと。 「この魚よう煮たあるし、骨ぐち食べられるで。」

今日の一語

2009-04-08 08:40:05 | 一日一語
『桂(かつら)を折(お)る』
昔の中国の試験制度から出た言葉で、官吏登用試験に文章生が及第すること。故事:「晋書-郤幀伝」 晋の郤幀(げきしん)が科挙に合格したとき、武帝の問いに答えて、「これは僅かに桂の一枝を折ったに過ぎません」と言ったという。★「桂」は、日本で言うところの「木犀(もくせい)」のこと。
<松下幸之助一日一話> PHP研究所編
魂を入れた教育
“事業は人なり”と言われるように、人材の育成ということは非常に大切だと思います。最近ではどこの会社や商店でも、従業員教育の制度や組織をもうけたりして、教育に力を入れているようですが、やはり何よりも大切なのは、その教育にいわば魂を入れることだと思うのです。つまり、経営者なり店主の人格の反映というものが、そこになくてはならないということです。それは言いかえれば、経営者なり店主が働きにおいて模範的であること、熱心であるということです。経営者、店主にそういうものがあればしぜん従業員にも反映して、従業員の模範的な働きが生まれ、人が育ってくると思うのです。

年中記念日

2009-04-08 08:19:52 | 何かと役立つ「四字熟語」
4月8日 タイヤの日
日本自動車タイヤ協会が、春の全国交通安全運動が行われる4月と、タイヤをイメージした8日を組み合わせて、この日を記念日としました。第1回目となった2000(平成12)年には全国14カ所でタイヤ点検を行うなどのイベントを実施しました。タイヤの性能は日々進化を遂げあらゆる道路状況に対応出来るようになり安全走行だけでなく燃費向上にも配慮されています。
花祭り(潅仏会,仏生会,浴仏会)
釈迦の降誕を祝して行う法会。各地の寺では花御堂を設け、堂の中に水盤を置いて釈迦の立像を中央に安置し、参詣者が御像に甘茶を注いでお参りします。
甘茶をかけるのは、釈迦の誕生の時9つの龍が天から清浄の水を注ぎ産湯を使わせたという伝説に由来します。関西では月遅れの5月8日に行われます。
お釈迦様誕生のお話し
むかしむかし、ヒマラヤのふもとに、カピラバスツという国かありました。美しい平和な国でしたが、王子さまが生まれないのが心配でした。ところが、きさきのマーヤーが眠っていると、夢の中で白いゾウがお腹に入ってきたのです。「白いゾウの夢とは、めでたい」国中の人々は、これはきっと王子さまがお生まれになるしるしだと喜びました。そして本当に、マーヤーのお腹に子どもがやどったのです。
 春になって一面に花が開くころになると、いよいよ待ちに待ったその日が近づいてきました。マーヤーは赤ちゃんを生むために自分の国へ帰る途中でしたが、ルンビニまできたとき急に産気づいて、王子が生まれたのです。かわいい王子は生まれると、すぐに七歩歩き、小さい右手で天をさし、左手で地を指さして、こういったのです。「天上天下唯我独尊(てんじょうてんげ ゆいがどくそん)」すなわち、『わたしは、世界中の人々が、みんなしあわせになるために生まれてきた』と、言うような意味です。するとこのとき、どこからか美しい音楽がなりひびき、天から銀色の甘い味のする雨がふってきました。この王子こそ、お釈迦さまなのです。
それは、今から二千五百年前の四月八日のことです。いまでもその日をお祝いする、花祭りというお祭りがあります。そのとき、お釈迦さまをまつる小さな花御堂はルンビニの花園をあらわしていて、甘茶は天から降ってきた雨をあらわしているそうです。さて、カピラバスツの王さまも、きさきのマーヤーも、うれしくてなりません。王さまはヒマラヤの奥へ使いを出して、仙人をよびよせました。「王子の未来を、うらなっておくれ」それで仙人は、しばらく王子の顔をながめていましたが、やがてポタポタと涙をこぼしたので、みんなはビックリです。「このめでたいときに、なぜ、泣くのですか?」「もしや王子さまに、なにか悪いことでもあるのでしょうか?」すると仙人は、あわてて手をふりました。「と、とんでもない! わたしは長い間生きてきましたが、これほど偉大な方に出会うのは初めてです。もしこの王子が王さまになるならば、インド中を治める立派な王さまになるでしょう。また、お坊さまになるなら、とうとい仏さまの教えをみんなに伝えてくださります。どちらにせよ、こんなめでたいことはございません」仙人はこういって、また涙をふきました「それでは、どうしてお前は泣くのだ?」すると仙人は、涙を流しながら答えました。「わたしは、もう年寄りです。それほど長い間は生きられません。できることならもっと長生きをして、この王子さまの教えを聞かせていただきたかったのです。でも、それができないとは、くやしくてなりません。それで泣いてしまったのです」やがて王子さまは『さとり』を開いて、お釈迦さまとよばれるお方になられたのです。
忠犬ハチ公の日
忠犬ハチ公銅像及び秋田犬群像維持会が制定。1936(昭和11)年から、この日に慰霊祭が行われています。ハチ公は、東大農学部の上野英三郎博士に飼われていた秋田犬でした。1923(大正12)年に秋田県大館市で生まれ、1924(大正13)年から上野博士に飼われることになりました。上野博士の存命中は、玄関先や門の前で上野博士を見送り、時には渋谷駅まで送り迎えすることもありました。そして、上野博士が1925(大正14)年5月に突然亡くなった後も、毎日渋谷駅前で主人の帰りを待ち続けました。主人を慕うハチ公の一途な姿は人々に感銘を与え、忠犬と呼ばれるようになり、1934(昭和9)年4月、渋谷駅前に銅像が建てられました。銅像の除幕式にはハチ公自身も出席しています。そして1935(昭和10)年3月8日に10歳余りで一生を終えました。ハチ公の銅像は第2次大戦中に供出され、現在のものは1947(昭和22)年8月に再建されたものです。ハチ公の様な忠誠心を持った政治家は今の世には存在せず、自己中心的な風見鶏が多いのは事実では?ないですか
参考書の日
学習書協会が1984(昭和59)年に制定。花祭りの日であり、全国的に入学式が多いこの日が選ばれました。
折り紙供養の日
折り紙作家の河合豊彰さんが提唱。
ヴィーナスの日
1820年、エーゲ海のメロス島で耕作中の農夫が畑の中からヴィーナス像を発掘しました。翌年、パリのルーブル美術館が収蔵しました。「ミロのヴィーナス」として知られており、紀元前100年頃に作られたとされています。