
都バスの起源

大震災で路面電車が大打撃を受けた東京市は、電車と乗合自動車(バス)を兼営することを決定し、フォード社へ11人乗りの車両1000台を注文、電車乗務員のなかから運転手1000人を募集した。1924年1月18日午前7時、東京市電気局の乗合自動車が、巣鴨線(巣鴨〜東京駅間)と渋谷線(中渋谷〜東京駅間)の2系統で一斉にスタートした。運転時間は、平日が午前7時〜11時と午後3時〜7時、日曜祭日などは午前7時〜午後7時で、約3分おきに発車。料金は1区10銭だった。しかし、陸軍自動車隊などで教習を受けた即成の運転手は、2月だけで90件もの事故を起こし、市民の評判はよくなかった。自動車自体も乗り心地が悪く、ガタ馬車(円太郎馬車)と形が似ていたこともあって、市民たちは「円太郎」と呼んだという。今でもバスは通勤、通学などに利用されています。特に鉄道網の整っていない場所では貴重な移動手段ですが、統廃合や過疎化により廃止に追い込まれる路線もあるようです。都会より地方の公共の移動手段を確保してもらいたいものです。

今日(京)ことば

あきまへん・・・・・・だめです。〈あかん〉よりていねい。 「今の仕事とんとあきまへん。」

一昔前なら「儲かりまっか?」

「ボチボチでんな」と言うやり取りが日常でしたが、今では「どうでっか」

「あきまへんな」と悪さの度合いを聞いているみたいな

そんな世の中です