私の好きな言葉の一つに「ぼちぼち」と云う言葉があります。辞書で引くと「副」《口頭》①そろそろ行為を始めようとするさま。そろそろ。ぼつぼつ。「-始めよう」②ゆっくり行うさま。「-読んでいます」とあります。人は皆、同じようにこの世に生まれ同じように月日を重ねているはずが、何時しかふと気付くと色々な所で差がついているものです。隣の芝生が青く見えてうらやましく思ったり、自分を棚上げして人に苦言を吐いたり、挙句の果てには物事をする前から努力もせずに「俺はどうせ・・・」とか思い自分を責めて嫌気がさしたりと格差の裏には納得する面が隠れている様に思います。人は十人十色、歌の文句じゃないけれど「世界で一つだけの花」でいいし、人それぞれ得手不得手があったり、要領の良い悪いとか自分の持っているものを生かして一つ一つボチボチと行けば必ず納得の行く「世界で一つだけの素敵な自分」になれます
今朝の温度計の表示は1℃と思いきや左横に横棒「-」付でした。しかし風が無く昨日(+2℃)の方が冷たく感じました。さすがに氷点下という事もありあちらこちらの水溜りは凍っていて、橋の上やサイクリング道の上は白く凍てついてました。二輪の場合は直進は何とかなりますが、カーブや下り坂は慎重に走らないとツルット行き転倒ですブレーキも出来るだけ後ろを使い前だけ使うのは厳禁ですチャリ通DATA:40.2㌔・2時間3分・時速19.4㌔ちょいと頑張って走りました。
小正月(旧正月)の行事
旧暦では満月の十五夜(太陽暦では14日・15日前後)を年の境としていたため、現在も明日15日は、小正月としてさまざまな行事が行なわれている。今では大晦日の「なまはげ」も元は小正月の行事だった。どんど焼き、どんどん焼き、さんくろうなどといって、この日に正月の松飾りなどを焼いて、一年の無病息災を祈る行事は各地にあるが、地方によっては雪でつくったかまくらや、どんどん小屋という仮小屋に、小正月前夜の今夜から集まって餅などを食べる習慣もある。なかでもおもしろいのが、成木責(なりきぜめ)という行事。これは柿や梨などの果樹を棒で叩いていじめ、豊作を約束させようとするもの。粥を炊き、かきまぜる棒についた米粒の多少で農作物の豊凶を占う粥占(かゆうら)などの行事を行う地方もある。
今日(京)ことば
あかへん・・・・・・・だめだ。いけない。そんな事したら「あかへん」と使います。
旧暦では満月の十五夜(太陽暦では14日・15日前後)を年の境としていたため、現在も明日15日は、小正月としてさまざまな行事が行なわれている。今では大晦日の「なまはげ」も元は小正月の行事だった。どんど焼き、どんどん焼き、さんくろうなどといって、この日に正月の松飾りなどを焼いて、一年の無病息災を祈る行事は各地にあるが、地方によっては雪でつくったかまくらや、どんどん小屋という仮小屋に、小正月前夜の今夜から集まって餅などを食べる習慣もある。なかでもおもしろいのが、成木責(なりきぜめ)という行事。これは柿や梨などの果樹を棒で叩いていじめ、豊作を約束させようとするもの。粥を炊き、かきまぜる棒についた米粒の多少で農作物の豊凶を占う粥占(かゆうら)などの行事を行う地方もある。
今日(京)ことば
あかへん・・・・・・・だめだ。いけない。そんな事したら「あかへん」と使います。
『鼬(いたち)の最後っ屁(ぺ)』
1.鼬が敵に追われた時、悪臭を放って難を逃れること。
2. 転じて、切羽詰まったとき非常手段を用いること。また、最後の最後に醜態(しゅうたい)を演じること。
<松下幸之助一日一話> PHP研究所編
不景気またよし
好景気は結構だが、不景気は感心しないという。たしかに、その時点時点で見るとそうであろう。けれども、そういう一コマ一コマであっても全体について見たら、不景気の過程もまた偉大なる生成発展の一つであるとも考えられる。不景気のときには苦しく困難ではあるが、不景気なるがゆえにはじめて得られるものがある。不景気になったために知らなかったことを知った、ある悟りを開いたということがある。それによって次の手が打てる。だから不景気のときには、伸びているところも少なくない。そういう見方をするならば、不景気もまた結構ということになると思うのである。人生、山あり谷ありと同じで景気も良い時ばかりはなく、良い時も悪時もマイペースでコツコツ行くのが一番ではないでしょうか
1.鼬が敵に追われた時、悪臭を放って難を逃れること。
2. 転じて、切羽詰まったとき非常手段を用いること。また、最後の最後に醜態(しゅうたい)を演じること。
<松下幸之助一日一話> PHP研究所編
不景気またよし
好景気は結構だが、不景気は感心しないという。たしかに、その時点時点で見るとそうであろう。けれども、そういう一コマ一コマであっても全体について見たら、不景気の過程もまた偉大なる生成発展の一つであるとも考えられる。不景気のときには苦しく困難ではあるが、不景気なるがゆえにはじめて得られるものがある。不景気になったために知らなかったことを知った、ある悟りを開いたということがある。それによって次の手が打てる。だから不景気のときには、伸びているところも少なくない。そういう見方をするならば、不景気もまた結構ということになると思うのである。人生、山あり谷ありと同じで景気も良い時ばかりはなく、良い時も悪時もマイペースでコツコツ行くのが一番ではないでしょうか
タロ、ジロの日
1958(昭和33)年、南極観測の第2次越冬隊は厚い氷に行く手を阻まれ観測を断念。1次越冬隊員は救助されたものの、15頭の樺太犬は南極に取り残されました。しかし、1959年のこの日、タロとジロ、2頭の生存が確認されました
1958(昭和33)年、南極観測の第2次越冬隊は厚い氷に行く手を阻まれ観測を断念。1次越冬隊員は救助されたものの、15頭の樺太犬は南極に取り残されました。しかし、1959年のこの日、タロとジロ、2頭の生存が確認されました