長崎めぐみ教会 tearoom 2

日本イエス・キリスト教団 長崎めぐみ教会から、楽しいお知らせ、牧師のつぶやき、日記、メッセージなどお楽しみください!

29日「2014年ゴスペルランチョンinチェスター」報告

2014-04-30 06:32:22 | 教会イベント

4月29日「2014年ゴスペルランチョンinチェスター」は、

5カ国から38名が集いました。

「ラメソックス」の珍しい楽器の奏でるラテン音楽、

豪華なフレンチ、講師の加藤郁生牧師からは、

初めての人にもわかりやすい、

暖かい「愛」のメッセージを頂き、

思わず涙ぐむ場面も!

                                始めは緊張していた二人の司会者も

終わりには笑顔でマイクに向かうことができました。

めぐみ教会は人数が少ないので、

全員総出で受付をしました。

 

教会のご近所の方々が7名、

外国語大学から6名、

ロゴスホープから4名

近隣教会の牧師先生方3名をご招待し、

ゲストの3名、

他はめぐみ教会関連です。

 

主に、ハレルヤ!

お祈りに感謝申し上げます

。♥。・゜♡゜・。♥。・゜♡゜・。♥。

 

 

 

 

 


29日(火)「ゴスペルランチョンinチェスター」の為にお祈り下さい。

2014-04-25 19:10:22 | 祈り

その後、ランチョンの出席者は23名となりましたが、

40名の目標には近づけず、

どのようにしても、それから後の2週間は、

まるで空気が止まったかのように出席希望者の数は増えませんでした。

(カテゴリー「祈り」10日記載ご覧下さい)

けれども、朝毎の祈りにおいては、

「願いを起こさせたのは神、・・・かつ実現にいたらせる」との聖書のみことばしか思い出されず、

「大丈夫です」という言葉しか思い浮かびません。

しかし、ホテル側は食材の準備をしなければなりませんから、

大枠の人数は今日(25日、金)にはお伝えしなければなりません。

タイムリミットが来てしまいました。

 

私は今朝の祈りの中で、

「神様八方手を尽くしたのですが、これ以上、長崎に知り合いを見出すことはできません」

「私も教会の人たちも、人をお誘いするのはここまでです。これ以上の力はありません。

ホテルには40名を35名に下げて頂きましたが、こうなれば、

今回は23名でお願いするしかないのではないのでしょうか。」と観念しました。

ところが、それから不思議なことが連発しました。

まず、遠く島原から出席者が1人起こされました。

続いて、ロゴスホープから5名入りました。

さらに、外国語大学から留学生らが4名。

23名があっという間に33名になったのです。

ホテルには、確定33名とお返事待ち5名でオーダーすることになりました。

神様がお働きくださったのです。

 

音楽ゲストのラメソックスのすばらしい演奏、

ロイヤルチェスターの豪華な休日ランチ、

さらには、はるばる明石の地から来てくださるメインスピーカーの加藤牧師が語られる「福音(ゴスペル)」を沢山の人たちに聞いて頂きたい。

わたしの頭の中には、

「だから、町の大通りに出て、見かけた者はだれでも婚宴に連れてきなさい」(マタイ22:9)のみことばが、

今もグルグルと回っています。

 

このようにして、私たちめぐみ教会は、

まだ一度も福音を聞いたことのない人たちが、

初めて聖書の言葉に触れる大切なお出会いの場所造りを、

八方手を尽くして用意させて頂いています。

「2014年、ゴスペルランチョンinチェスター」が、神のめぐみに包まれた幸いな時とされます様に、

お祈りを心から宜しくお願い致します。

 

☆さらに、上記記事掲載後2時間、

 新たに2人の参加希望者がありました。

 これで、出席予定者は35名になりました。

 この2人はお返事待ちの5名の方とは違う方々です。

 主にハレルヤ!

  お祈りに感謝します。

 


ジョン・ウエスレー「キリスト者の完全」から(2)

2014-04-21 20:23:09 | 読書

<キリスト者の完全についての誤解>問17から 

藤本 滿訳 P139-140

 

「しかし、あの人は私の考えているキリスト者の完全に見合わない」とあなたは反論する。

だとしたら、あなたの理想に当てはまる人は、かつて一人もいなかった。

そしてこれからもいないであろう。

なぜなら、あなたの考えは、聖書の説く完全を超えているか、

少なくともそこから外れているかもしれないからである。

あなたの考えは聖書が意味している以上の事柄を含んでいるか、

あるいは、聖書が意味しない何かであるかもしれない。

聖書の説く完全は純粋な愛が心を満たして、

言葉と行いのすべてを支配することである。

もしあなたの考えがこれ以上かこれ以外の何かを含むなら、

それは聖書的ではない。

だとしたら、聖書的に完全なキリスト者があなたの理想に届かないことに、

何の不思議もない。


「プロとアマと」

2014-04-18 16:32:34 | 読書

Psychology World NO1 「ことばの森」 加藤 久氏記から抜粋

「プロとアマと」

 昨年9月に、サッカーの母国イングランドと、世界最高レベルのリーグがあるイタリアにコーチの勉強に行った。

日本の選手との違いは何か。私が感じた大きな違いは、技術でも戦術でも体力でもなかった。

私が感じた一番大きな差、それは選手が練習でも試合でも、自分のもっているものを”出し切る”かどうかだった。

惜しみなく自分を出し切る。その”真剣さ””純粋さ”には感動を覚えたものである。

レベルが上がれば上がるほど純粋だ。

それを一番強く感じて私はヨーロッパから帰国した。

もしかしたら、日本人選手も十分に自分を出し切っているのかもしれない。

だが、それが人に伝わってこないという事実をよく考えてみる必要があるだろう。

 オリンピックの理念、アマチュアリズムというものを強く訴えたのはクーベルタンだが、

私はその”アマチュアリズム”の語源のことを思い出した。

アマチュア、それはラテン語の「アマトール」から来ている。

「アマトール=愛する者」。

私はプロフェッショナルの極限が、ここに重なるような気がしている。