長崎めぐみ教会 tearoom 2

日本イエス・キリスト教団 長崎めぐみ教会から、楽しいお知らせ、牧師のつぶやき、日記、メッセージなどお楽しみください!

94歳、Mおばあちゃん訪問記

2017-08-26 15:55:27 | ひつじかい日記(2)

 

2017年8月25日(金)


なにぶん、日中は33度ほどの暑さ、

車の中は35度を超えていることもあって、

8月に入り、私はMさんの入所するホームを金曜の夜お訪ねしている。

🌸

今日はホームに着くと7時を回っていたが、

Mさんは食卓テーブルにそのまま座っていた。

視力がかなり落ちているため、一人で行動することはできない。

「りんごです」※Mさんにとって私の名前は「りんご」なのですが、

と、声をかけると、

「リンゴ先生、今日はなんでこんなに早いのですか?」

との返事。「今は夜ですよ」と言うと、「そうですか、朝とばかり思っていました。」

「どうして、今日はこんな遅くに?」

「日中は暑いので、今月は夜お訪ねしているのですよ」「そうですか?」

「ところで、今日の夕食は美味しかったですか?」

「いえ、食事はまったくしていません。何も食べていないのですよ、」

「そうですか、、」

ここで、手をとり、「今まで神さまの見守りの中にあったことを感謝します。

神さまがいつもともにいて下さることを感謝します。」と祈ると、

Mさんがいつもになく、しんみりと、

「しあわせを感じました」と仰られたので、

思わず、私の方が、「ええええ・・・」と、篤い感動に迫られたのです。

🌸

洗礼を受けられたものの、

「クリスチャンにはなれない、」と仰られたりで、

実は、私の心は萎えていました。

お訪ねするのが、重たく感じられていました。

けれど、この一言で、私の心は新に甦り、

突然、天からめぐみが降ってきたような、

そんな、

喜びが溢れたのです

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


2017-Kagatoのめぐみ

2017-08-25 15:49:36 | ひつじかい日記(2)

2017年8月21日(月)

今年はゆったりと、香登に向かう。

新鳥栖で九州新新幹線に乗り換えで得た40分ほどの時間の余裕は小さくない。

心に余裕が広がる。

5時過ぎ、香登教会着。

すでに、会場は整い、清潔感溢れる神学生の方々に迎えられるのもまた、快い。

こうして、なぜか私は、第57回香登修養会にも出席していた。

🌸

その夜の聖会は、

神の国キリスト教会の丸山孝治先生のメッセージ。

なぜ、人は聖化を求めるのか、

それは、

①「神のみこころはきよくなること」

②「私が聖であるから、あなたがたも聖となること」

③「人は汚れているゆえ、きよくならなければならない」

と、聖化に対する神のご意思を示された。

🌸

さらに、メッセージで話された、先生の神学校時代の体験談が印象深く心に残った。

それは、

先生は、関西聖書神学校に自費生として入学していたため、

休暇は働いて、次学期の学費を得なければならなかった。

ところが、それを出身教会の牧師は良いことと思わず、

神学校に、春休みも学校に残って奉仕をさせてください、と電話を入れたそうだ。

その為、丸山神学生は、その春休みは働いて授業料を得る時間がなかったので、

新学期がまじかに迫ってきたとき、必死で神様に新学期のための経費を与えてくださいと、祈った。

その祈りは神に聞かれ、

結果、先生はその時より、神学生時代にアルバイトをすることはなく、

神さまの御手から授業料等の全ての経費は届られた、と、言うことだった。

🌸

肉は益なし、と言われるが、

神さまonlyの信仰の出発点に引き戻される思いだった。

翌、22日(火)午前の聖会の司会の奉仕をさせていただいた。

メイン講師のホーリネス教団、中西雅裕先生は説教の要点、また、希望賛美もあらかじめ届けていて下さったため、

司会者は準備に困らなかった。

主なテーマは、「内住のキリスト」

その第1回目は「あなたがたは、はたして信仰があるかどうか、自分を反省し、自分を吟味するがよい。」

と、第二コリント13章から順々と語られた。

 

🌸

午後は老練な、

高橋虎夫師と竹ノ内進師のダブルスピーカー。

大坪羊子先生の軽快な司会で午後の眠気が吹っ飛ぶ。

(吹っ飛ばない時もあったが、、、)


 

先生方が、

謙遜に、神さまのみ旨を伺いつつ、また、従って来られたお姿に、

高ぶりやすい自分を戒めた。

 

🌸

夜、

神戸生田教会牧師、大塚篤師もまた、

神学生時代聖化に導かれた様をそのまま、

正直に話された。

 

神さまが、聖化の重要性を私に示されているのだろうか?

私は、自らの状態を振り返りつつ、

来る104回九州聖会のメッセージについて、

思い巡らしていた。


🌸

しかし、特筆すべきは、

香登修養会の朝食の焼立てパン食べ放題。

13種類のパン食べ放題なんですヨ~、

10種類ほど頬張ってしまいました。

He he...

(*_ _)

ご馳走さまでした。



 

 

 

 

 

 

 


♪きよきしるしのバプテスマ

2017-08-20 17:46:12 | ひつじかい日記(2)

 

2017年8月17日(木)

朝7時半、M夫妻の洗礼式に列席の為、めぐみ教会に10名が集合。

礼拝堂にて、信仰告白と誓約。

 

M夫人は、妹さんのご逝去を通して、受洗に導かれた。

長年、ご主人のお仕事先から、ご家族で端々教会へは行っておられたが、

今年の夏は、主がグイと、M夫人をご自身のみもとへ引き寄せられた。

洗礼準備会で、罪について牧師に問われたが、

イエス様を信じてはいるが、罪と言われると、「?」状態のだった中で、

ある日、

ご家族に向けるご自分の思いの中に、

ハッキリとご聖霊が、一つの罪を示された。

さらに、今日の洗礼式のためのさいごの準備をしているさ中で、

職場において、自分にとって声をかけやすい楽な人と、

苦手な人、大変な人とがあり、苦手な人を避けている自分の姿が思い出され、

これが、自分の罪の姿なのだということが示された。

そのご自分の罪の為にイエス・キリストが十字架にお架かりになってくださり、

罪が赦されたことを、

神と人の前に、明確に、告白された。

 

夫のM兄は、

大学卒業後、社会人になり、大きな企業にお勤めている中、

ある日の礼拝メッセージで、

「全て、重荷を負うて苦労している者は、私のもとに来なさい。

私があなたがたを休ませてあげよう」という主のみ声を聞いていたが、

それから、何十年もして、洗礼のめぐみに与った、ということだった。

 

海辺の洗礼式は、

ナント、ご家族ほぼ全員集合された。

(お一人、お仕事などで出席できられなかったが、)

「さあ、おじいいちゃんにピンとを合わせて!」

「エッ・・・」

 

 

 

静かな、岸辺の洗礼式を終え、私たちは、

再びめぐみ教会に戻り、

楽しい、宴のひと時が始まった。

後1年少しすれば90歳を迎えられるお父様が、

お祝いのことばの中で、

「こんど、生まれかわった時には、

私もバイブルを片手に歩みたい」と仰れたが、

私たちは、それぞれの心の中で、

「生れかわたなくても、今からバイブルを手にしてほしい」

「生きていて、生まれかわることができるのに・・・」

などと考えていた。

 

 

 


真夏のひつじかい日記

2017-08-15 12:44:52 | ひつじかい日記(2)

 ひさしぶりのひつじかい日記

 

2017年8月13日(日)

「新たに求道される方を起こしてください」

と、お祈りをしていたところ、

高2のIさんから「10時半からの礼拝に出席します」とのラインが届く。

Iさんはクラブと教会出席の両立のむつかしさの中におられるけれど、

新たな志を抱いて2学期から励まれるそうだ。

主が祝福してくださいますように。

 

礼拝後、ある方が、

「日本中が偶像のお祭りに包まれる中、

サタンの働きも大きいかもしれません」

と耳元でささやかれた。

・・・そうかもしれない。

 

🔶

 

長崎のお盆は中国風に爆竹を鳴らす。

精霊流しも全国的に知られているほど、他府県に類をみない派手やかさがある。

このような時期は、多くの人が墓参されることに気が付いて、

急にめぐみ教会の納骨堂が気になり始めた。

教会の墓地が汚いことには証にならない。

夕方涼しくなって、箒やバケツを準備して納骨堂を訪ねた。

長崎市にある巨大な滑石霊園は、交通整理の方が各所に立っておられ、

案の定、墓参のラッシュアワー状態だった。

2014年に建立されて、まだ、どなたも納骨されていないので、

ゆだんしていたことを恥じた。

ナント、めぐみ墓苑だけ、私の丈ほどの草が生い茂り、

一瞬ためらったが、それどころではない、

着く早々、あわてて、除草にとりかかった。

反省を超えて、穴があったら入りたくなるほどの思いだった。

段々あたりが暗くなり、

明日、剪定ばさみをもってもう一度来ることにした。

 

恥ずかしいので、草に覆われていたところは写真に写しませんでした^^

 

8月14日(月)

半島の長崎の天候は変わりやすい。

午前中から時津は、雷雨に見舞われ、外出もままならない。

少し、雨足が弱まったころを見計らって、

剪定ばさみをもって、再度納骨堂を訪ねる。

昨日の手折った後をきれいに刈りこんでいると、

再び、大粒の雨が降ってきた。

💛

そうこうしているうちに、

ラインで連絡を待っていたMさんから返信が入ってきた。

数日で家に帰られているとのことで、

今日のお見舞い訪問はキャンセルされたが、

実際、この雨足では、長崎を出ることすらままならないと思った。

9月、Mさんと再会できるのが待ち遠しい ナ、、、

 

15日(火)

今日はなぜか、5時過ぎに目が覚め、早天を終えるとまだ7時前だった。

とりあえず雨はやんでいたので、

岸辺のウオーキングへ急いだ。

空は200%の雲で覆われ、

時折、まるで、ライオンが遠くで遠吠えするかのような雷音らしきもののうなり声が響き、

ビクビクしながら、往復40分ほどのウオーキングコースを歩いた。

小雨もぽろぽろ落ちてくると、

「ヤッパリ引き返そうかナ、、、」

と何度も心で思い迷いながら、いつものコースを貫通した時には、

思わず、「アッぱっれ!」と自分を褒めた。

この様な怖い天候なのに、

なぜか、いつもはまだ出会ったことのない、小鳥や水鳥たちが目についた。

 

 

自室の机で本を読んでいると、

隣の窓越しから、乙女の祈りのオルゴールが流れてきた。

「クラブで忙しいKくんは今日はいるのだな~」と、思っていると、

少しして、お父さんと二人でチョコレートをもって訪ねて来てくださった。

香港に行ったそうだ。

「うわーイイナ~、ありがとう、Kくんお父さんに似て、段々カッコよくなるね、」と言うと、

今日はあとずさりしないで、笑って立っていた。

私にとってはベターnex-door カナ💛

「ここね、世界中から人がくるから、また来てね、」

というと、2人が笑った。

Kくんがだんだんと子ども時代を脱皮しつつあるのが眩しい★

手前は、Kくんの香港のチョコ、下敷きは以前ホーステイしていたフランスの人たちが置いていったおみやげ。

 

🍀

 

一カ月あまりが、アッという間にフッ飛んでしまいました。

その間も、書きたいことが溢れていましたが、

ルーターを取り換え、インターネットが回復したとたんに、

書きたいと思っていたこともスルーしていってしまいました。

また、新しく出直す思いで、

ひつじかい日記に向かっています。

応援していただけると嬉しいナ!

(^_-)-☆

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


夏期キャンプめぐみの落穂ひろい

2017-08-10 17:17:33 | 諸集会の様子

 

2917年 日本イエス・キリスト教団 九州教区 ユースキャンプ めぐみの落穂ひろい

(小6~高校生対象、40数名参加)

メッセンジャー 松尾 献KGK主事

 

8月1日(火) 熱気漂う、熊本県立あしきた青少年の家に九州全県下から小6から高校生までが集合。

 

3回のメッセージはヨセフ物語から。

1日夜、講師第一回目のメッセージ

聖書 創世記37:3

「イスラエルは他のどの子よりも彼を愛して、彼のために長袖の着物をつくった。」

 

メッセージの後、

高校女子のクラスを一緒に担当した若い牧師夫人が、

「私もまた、長袖の衣を着ていた」と分級クラスの学生の輪の中で、

涙ぐみつつ語られた。

さて、私はどうだろう、人間的な力やだれかの笠下、世の力のもとで考え、行動していなかったか?

 

特別に父ヤコブから偏愛され、他者の身になって考えられない(空気がよめない)ヨセフは、

やがて、お兄さんたちの憎しみの対象となり、

エジプトの商人に売られてしまう。

ヨセフはこうして、父ヤコブの着せる長袖の衣が脱がされることになる。

私たちもまた、肉の誇りとするものを手放すことができないならば、

第三者の手を通して神様は、

その人を顧みておられるゆえに、肉のたのみ、肉のほこりから切り離されることもあるのかもしれない。

 

2日目講師2回目のメッセージ

創世記39:2 

「主がヨセフと共におられたので、彼は幸運な者となり、その主人エジプト人の家におった。」

 

たとえ、不幸と思われる出来事に遭遇しても、

主が共におられる幸いを、ヨセフの人生は私たちに語りかける。

講師はメッセージの端で、

「だから、イエス様を信じないことは損なのだ」とも漏らされた。

 

お兄さんたちに意地悪されたものの主がヨセフと共におられて、

エジプトでも彼は上司から目をかけられ、働きも祝されていた。

そのような中で、容姿の美しいヨセフは主人の妻の目にとまり、

彼女の誘惑を回避したことで、濡れ衣を着せられ、

一転して、彼は獄屋の人となる。

けれども、夢見るヨセフは、獄屋でみた夢の解き明かしを通して、

数年後、神の時が訪れ、

獄を脱出できただけでなく、

大きく飛躍して、

エジプトの宰相として活躍の場が与えられる。

「神は、神を愛する者たち、・・・と共に働いて、

 万事を益にしてくださる」ロマ8:28

 

講師はご自分が苦しめられたこと、また、人生の転機で神が仕事を通しても、

どんなに自分に良くしてくださったかを、

赤裸々に、真実にキャンパーひとりひとりに語って下さった。

時折、天を指さし、

「しかし、これらは全て、天の神さまからきているもので、

私の力では全くない、」と、いうことを強調されたいた。

確かに、神が共におられる時、私たちの人生に、

とうてい、あり得ない、できもしない出来事は起こる。

それは、確かだ、と、神を信じた者たちは知る。

ヨセフがそうであったように。

 

この神様を信じてゆこう、

従っていってみようと、多くの学生が一歩神の御前に進みでた。

 

講師3回目メッセージ

聖書 創世記43章8節

「それゆえわたしをここにつかわされたのはあなたがたがたではなく、神です。」

 

「神は、神を愛する者たち、すなわちご計画に従って召された者たちと共に働いて、

 万事を益にしてくださる」ロマ8:28

 

やがて、ヨセフの夢の解き明かしの通り飢饉が訪れ、

カナンの地からヨセフの兄弟たちはエジプトに食料を求めてやってくる。

ヨセフは外国から来る人々の中に、兄さんたちを認め、劇的な再会劇が繰り広げらた末、

自分をエジプトの商人に売った兄たちをゆるす。

講師はここで、「完全に赦す」ことを強調された。

一点も惜しまず、完全に赦す、主イエスが私たちに一点もおしまず、与え尽くされたように、

主に従う私たちもまた、当然の如く、他者の自分に与えた傷に赦しを与える。

 

「わたしをここに遣わされたのは主です」

ゆえに、起こってくる不都合な出来事も、自分に損失を与える存在もまた、

神がされなければ起こらなかった、と理解できる、

そのような、自由の中に今私たちは生かされているだろうか。

(過去の傷に縛られてはいないか?)

 

お兄さんに憎まれ売られたヨセフ、

しかし、こうなったのは、飢饉のときに、

家族を救うために、神が私を一足はやくエジプトに派遣されたのだ、

と、ヨセフは言うのである。