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長崎めぐみ教会 tearoom 2

日本イエス・キリスト教団 長崎めぐみ教会から、楽しいお知らせ、牧師のつぶやき、日記、メッセージなどお楽しみください!

今年のイースター

2016-03-28 16:49:09 | ひつじかい日記(2)

ひつじかい日記





3月26日(土)

明日のイースターを前にして、「葬りの主を偲ぶ」と言うよりも、
頭の中は、今日中にしなければならないことのメモ書きでいっぱいになっている。

花壇の手入れは必須。
おの大雪に荒らされたままイースターを迎えるわけにはいかない。

イースターエッグ造りは役員のNさんが来てして下さることになっていたのでお任せしよう。
エッグハント用のたまごの隠し場所もNさんに考えていただこう。

賛美タイムの手話さんびの振付が今ひとつ。
歌かけが必要。

予ねてから予定していたポットラック用のぼた餅造りに、心なしか心が少し浮いている気がする。
もち米とお米の割合、水加減は大丈夫か?

10時過ぎ、Nさん到着。
丁度、ごはんがたけて、私はぼた餅に専念、
Nさんは面白そうにイースターエッグ造りに専念。
何だか楽しい。

昨年のイースター準備は一人ぽっちだったが、今年はNさんの笑顔が傍にある。
嬉しくて、感謝で、聖名を崇めた。


3月27日(日)

9時だというのに、N姉、K姉、そして、大学生のMさんもこられて、
10時半からの来会者を待つことになった。
台所でポットラックの準備をする人、礼拝堂の受付で来られる人を待つ人と、
人がいるのは、本当に感謝だ。

今年は2人の男性方が北と南の果てに旅行されることになり、
結果として、大学生のTさんだけが黒一点。

手話の賛美はイマイチだったが、
思いがけないGさんやMさん、Tさんの来会、
そして、アメリカからのB先生の来会は私たちにとって大きな慰めだった。
めぐみ教会のポットラックは、近年定番となり、それぞれが無理なく施行を凝らして目と舌を楽しませてくれる。
特にA夫人のメン入りサラダと、H姉のアップルパイは、集う者たちを楽しませてくれた。

礼拝後、3月末で御主人の転任で引っ越されるHさんのささやかなお別れの時をもった。
教会は寂しさで包まれる。
しかし、
神は愛する者たちと共に働いて、万事を益にして下さるに違いない。
5月のペンテコステには、
地方のG夫妻の転会も待っている。
しかし、神は私たちの教会にもロマ8:28のみ旨を抱いていて下さることに変わりはない。
信じよう。
「信じるというのは、信じたいという希望のことば」
とは、誰が言ったのだったけな・・・

全員で、一機に片付け。
さいごは、
探した卵と残ったお菓子の山分け分を其々が手にして、
これまた、一機に婦人の方々は去られた。
キレイになった台所テーブルの上に、
果物類のみそのまま置かれていて、
コレステロール対策に奮闘している者への暖かい心遣いと思い感謝だった。

2人の大学生が求道者会に残られた。
一人はペンテコステで洗礼を受けられることになり、
一人は洗礼準備会に出席しつつ、時を待つことになった。

洗礼を決心された兄の顔は、しっかりと主の方を向いていた。


今日のひと日を振り返って、感謝で満たされ、
小さな小さなめぐみ教会に
今、神様の御目が止められていることへの感謝が溢れた。

「人生は復活の希望で満ちている」

2016-03-27 21:54:01 | 説教メモ

長崎めぐみ教会イースターメッセージ

「人生は復活の希望で満ちている」マルコによる福音書16:1-13

2016年イースターおめでとうございます。「なぜ、おめでたいのでしょう」
それは、主イエス・キリストが私たちの罪の身代わりに十字架に架かって死んで下さっただけでなく、預言通りに、三日目に甦られたからです。
人生は様々な悲惨が私たちを待ち受けています。その中でも「死」以上の悲惨はありません。死は人生の全てを飲み込んでしまう最も最悪な出来事と言えます。

人は心のどこかで「死」を恐れています。ある人は、「死んだら神の裁きが自分を待っていると」思うと怖くて、飛行機も乗れませんでしたが、イエス・キリストを知って、日常的に自分を支配していた罪責感と死の恐怖心から解放されて、飛行機にも乗れるようになりました。「信仰こそ世に勝たしめた勝利の力」と聖書に書かれているお言葉の通り、その方はイエス・キリストを信じることによって、「死」に支配される人生から、「復活の命」に生かされる新しい人とされました。

今日の説教題の「人生は復活の希望で満ちている」は、「しかし、人はそれを信じない」という文言を入れて完成します。復活の主イエスに出会ったマリアは震えながら弟子たちの隠れ家に走り、今、死から甦られた主にお会いしたことを伝えました。しか彼らは「イエスが生きておられる事と、彼女にご自身をあらわされた事とを、聞いていたが、信じなかった」(11)のです。弟子たちは、マリヤの言ったことだけでなく、他の弟子たちから聞かされても「その二人も、ほかの人々の所に行って話したが、彼らはその話を信じなかった」(13)のです。主の復活直後に於いても、同じ弟子でも、主イエスの復活を信じた人と信じなかった人がいました。

ユダヤでは土曜日は安息日の掟によって何もできません。十字架に架かられた金曜日、主イエスのご遺体は、アリマタヤのヨセフやニコデモによって白い布にまかれて、新しいお墓に安置されましたが、金曜夕刻からはじまる土曜安息が始まり、マリヤたちは封印され兵が見守るお墓まで行くことすらできない状態の中で、まんじりともせず、夜明けを待ちました。日曜夜明けのまだ暗い内にしかも墓は固く封印されていることは承知で、じっとしておれなくて、遺体に塗るための香油を手にして主イエスのもとへと急ぎました。

同じ土曜日弟子たちは、自分たちも捕えられるに違いないと思い、隠れ家に身を潜めていました。彼らの心はイエスの死を悼むと共にユダヤの政治的救済者を失ったことへの失望感が圧倒的に心の内を占めていました。彼らはマリヤたちが主を愛したようには主を愛していなかったのです。マリヤたちは巨大な石で封印され、番兵がいることを知っていても、主を愛するあまりに行くと、巨大な石はとりのけられて、天使のみ告げを聞き、復活の主のご顕現が彼らを待ちうけていたのでした。

2016年目のイースター、私たちもまた、主のもとに走り、計算できないほどの、愛からくる「信仰の希望」に与かりたいものです。

イースターのご案内

2016-03-23 15:23:14 | 教会イベント
2016年イースターのご案内


来る3月27日(日)u>は、
は世界中のキリスト教会が
復活されたイエス・キリストを褒めたたえる、
イースター礼拝をおこないます。

長崎めぐみ教会では、
朝10時半から、
イースター賛美礼拝、ポットラック、エッグハンターを行います。

クリスチャンでない方のご来会を歓迎いたします。

子ロバの使命

2016-03-23 13:25:32 | 説教メモ

「子ロバの使命」マルコによる福音書11:1-11 
<パームサンデーの講壇から>

受難週が始まる。
イエス・キリストは、十字架を前にしてエルサレムへ入場された。
これから起こる御苦難を全てご存じで,
み父のみ旨にそって、十字架行進の第一歩を踏み出された。

1.エルサレム入城と群衆
群衆は、ローマ帝国の支配からユダヤ民族を救う政治的救い主としてキリストに大きな期待をかけ、
子ロバに乗って入城するキリストを「ホサナ、ホサナ」(われらの主よ今救いたまえ)と大歓待した。

2.エルサレム入城と子ロバ
①キリストの入場行進には、「まだだれも乗ったことのないロバの子」が用いられた。
なぜ、経験豊富な親ロバでなかったのか疑問が残る。
しかしそれは、神に用いられる器は、自分の力で何かができるよりもむしろ、
謙虚に行動する未経験の、
しかも「小さきもの」が神の御旨を行ううえで必要とされたからだった。
②繋がれていたひもから解かれて子ロバはてキリストのもとに連れてこられた。
神のみ旨を行う上で大切なことは、
神様以外の物や人やプライドなど全てのものから解き放たれて、
自由に主の御旨のままに行うことができる状態にあることである。

その時イエス・キリストが必要だとしたのは、外見や能力でなく、
ドンキーと言われるトンマなロバの子だった。
それは、背の低いロバは乗りやすく、乗り手の手綱に沿って乗り手の思う様に動く。
そして愚かなほど従順にただ黙って黙々と前に向かって歩む
「平和」な乗り物(動物)だったからだ。
群衆が期待したローマと戦う凄烈な王でなく、
人類を罪からの解放する平和の王として、
キリストはロバの子に乗って都に入城された。

3.主がお入り用なのです。
子ロバの持ち主は「主がお入り用なのです」の一言で、主の求めに無条件でロバを差し出した。
主イエスはその人の信仰に応じて全てを導かれる。
ちいロバ牧師で有名な榎本保郎牧師は、
「私は、小さな取るに足らないものである。その私を主が必要としておられるのに気づく。
自分の力、能力は小さい。だのに私たちは自分の至らなさ、小ささにこだわり、
自己嫌悪に陥ることがある。
自分の愚かさや繰り返し犯す罪に目を注ぐ時、何の希望もなくなる。
しかし、そういうものを主がお入り用としておられ、
主の尊い御用のために用いてくださるところに大きな喜びがある。
私を生かして下さる方が、今日も共にいてくださり、
その方の手に自分が握られていることに気づいてこそ、
私たちの人生はすばらしいのである」と著「一日一章」に記す。

今、あなたの、そして私の人生を、主が必要とされている。

2016-03-22 17:27:59 | ひつじかい日記(2)
ひつじかい日記


2016年3月21日(月)

目覚まし時計は、4時50分に強烈な音をたてて、私を起こした。
何事か、と思い飛び起きる。
そうだ、今日は神戸で10時30分から大切な会議があるのだ。



無事大切な会議は終わり、
友人の牧会する和歌山へ急ぐも、
連休で、特急の指定席は完売。

自由席は120パーセントほどの混み具合。
かろうじて、ドア前に1席見つけて座ったところ、
後から、金髪の子どもたちが4人と鼻の高い夫婦で6人家族が大荷物をもって入ってきた。
その中には、楽器らしきものも数点見受けられた。

私の目の前で、それぞれの荷物に腰掛け、
わけのわからない言葉を話している、と思っていると、
時折英語が聞こえてくる。
目の前に座って顔と顔をお互いに眺めている状態だったので、
思い切って、
"Where are you from ?"
と聞いてみた。
すると、デンマークだと言う。
私が「デンマーク」と尋ね返すと、
 デン※を強調して、デンマークの発音を直してくれた。
日本でいうなら小学校5年生くらいな男の子である。
最年少の4歳未満ぐらいな男の子もまた、英語とデンマーク語のバイリンガルだったのには驚いた。

やがて、一駅ごとに乗客は降りて行き、少し空いてきた。
離れたところにいた母親が近づいて話かけられ、
イースター休暇で三週間日本に来ていると言う。
「子どもたちが、2か国を話していて驚いた」と言うと、
父親は4各国語を話すという。

彼らは終点に近い田辺まで行くそうだが、
和歌山あたりで全員が着座でき、
私の出番はなくなった。

御坊でT牧師が私を待ち受けていてくれていた。


3月22日(火)


T先生の牧する日本イエス・キリスト教団由良教会を訪ねた。



正面からお会いすると、大変真面目そう、



でも、
チョット、目をそらすとファニーなT先生が顔をのぞける。
教会の皆さんから敬愛されて、良きご奉仕に励まれていることが伝わってきて、
私まで嬉しくなった。

感謝しながら、
由良から関空へと向かった。



途中見た海の輝きと、
T先生の輝きが一私の中で、ひとつになった。