2016年430日(土)
聖書日課「ロイドジョンス一日一言」から
神にゆだねる
私の目はいつも主に向かう
(詩篇25・15)
ひとたびある問題を神のもとに持って行ったなら、
そのことで気を揉むのはやめるべきである。
問題には背を向けて、
一心に神を見つめるべきである。
私たちは、あることで困惑していた。
様々なことを試みたが、満足もなく、なすべきこともはっきりと分からなかった。
…聖霊の導きを求めたにもかかわらず解決に達さなかったならば、
それ以上のなすべきことは、
祈りをもってそれを神のもとに持って行くことしかない。
しかし、あまりにもしばしば、祈りから立ち上がった瞬間に、
私たちは再びその問題の心配を始めるのである。
さて、そのようなことをするくらいなら、初めから祈らない方がましである。
あなたの問題を神のもとに持っていくとしたら、
それを神にゆだねるがいい。
あなたに、それ以上そのことについて考える権利はない。
…その問題は神にゆだねて、
見張りのやぐらに向かうがいい。
(ハバクク2・1)
…私たちは、意識的にそこなら抜け出して、
いわば、そこから自分を引き抜かなくてはならない。
…それから、神を仰ぎ見る位置に着くことである。
ーその問題を見るのではなく。
…かみを仰ぎ見るとは、問題を自分で扱わず、他の人々にも相談せず、
むしろ、全く神により頼んで、ただ神を「待つ」ことを意味する。…
それが、霊的平安の真の基礎である。
それこそ、まさにパウロがピリピ書で。
「何事も思い煩わないで」、
と述べた意味である(ピリピ4・6,7)。
…決してそうした不安な思い煩いをいだいてはならない。
それは単に霊的に大きな害を与えるだけでなく、
肉体的な衰弱をももたらす。
決して思い煩わずに、
「あらゆる場合に」ーこれはすべてを含んでいるー
「感謝をもってささげる祈りと願いによって、
あなたがたの願い事を神に知って頂きなさい」。
…あなたの見張り所のやぐらに上り、
ひたすら神を仰ぎ見続けるがいい。
他の何も眺めてはならない。
とりわけ決してあなたの問題を眺めてはならない。
聖書日課「ロイドジョンス一日一言」から
神にゆだねる
私の目はいつも主に向かう
(詩篇25・15)
ひとたびある問題を神のもとに持って行ったなら、
そのことで気を揉むのはやめるべきである。
問題には背を向けて、
一心に神を見つめるべきである。
私たちは、あることで困惑していた。
様々なことを試みたが、満足もなく、なすべきこともはっきりと分からなかった。
…聖霊の導きを求めたにもかかわらず解決に達さなかったならば、
それ以上のなすべきことは、
祈りをもってそれを神のもとに持って行くことしかない。
しかし、あまりにもしばしば、祈りから立ち上がった瞬間に、
私たちは再びその問題の心配を始めるのである。
さて、そのようなことをするくらいなら、初めから祈らない方がましである。
あなたの問題を神のもとに持っていくとしたら、
それを神にゆだねるがいい。
あなたに、それ以上そのことについて考える権利はない。
…その問題は神にゆだねて、
見張りのやぐらに向かうがいい。
(ハバクク2・1)
…私たちは、意識的にそこなら抜け出して、
いわば、そこから自分を引き抜かなくてはならない。
…それから、神を仰ぎ見る位置に着くことである。
ーその問題を見るのではなく。
…かみを仰ぎ見るとは、問題を自分で扱わず、他の人々にも相談せず、
むしろ、全く神により頼んで、ただ神を「待つ」ことを意味する。…
それが、霊的平安の真の基礎である。
それこそ、まさにパウロがピリピ書で。
「何事も思い煩わないで」、
と述べた意味である(ピリピ4・6,7)。
…決してそうした不安な思い煩いをいだいてはならない。
それは単に霊的に大きな害を与えるだけでなく、
肉体的な衰弱をももたらす。
決して思い煩わずに、
「あらゆる場合に」ーこれはすべてを含んでいるー
「感謝をもってささげる祈りと願いによって、
あなたがたの願い事を神に知って頂きなさい」。
…あなたの見張り所のやぐらに上り、
ひたすら神を仰ぎ見続けるがいい。
他の何も眺めてはならない。
とりわけ決してあなたの問題を眺めてはならない。