長崎めぐみ教会 tearoom 2

日本イエス・キリスト教団 長崎めぐみ教会から、楽しいお知らせ、牧師のつぶやき、日記、メッセージなどお楽しみください!

ゴスペルランチョンinチェスター 2014

2014-04-12 13:30:47 | 教会イベント

4月29日(火、祭日)

好評につき、2014年度「ゴスペルランチョンinチェスター」を行います。

昨年同様、チェスターの休日ランチチケットを、音楽とメッセージつきで、

長崎めぐみ教会にて、1000円で販売中 !

お電話予約は(095ー870ー7200)です。

40席限定ですので、満席になりましたら、打ち切らせて頂きます。

音楽ゲストのラメソックスはラテン系音楽です。

メインスピーカーの加藤郁生先生は明石人丸教会の主任牧師をされています。

加藤先生はバイオリンで、ゴスペルはラメソックスとジョイントしてくださいます。

ご期待ください。

チェスターのランチはフルコースです^^

 


乞、祈りの応援

2014-04-10 21:52:30 | 祈り

2014年4月10日(木)

私の奉仕させて頂いていますめぐみ教会では、

昨年に引き続いて、ロイヤルチェスターという、ステキなホテルのレストランを借り切って、

4月29日(火、祭日)「ゴスペルランチョン イン チェスター」を行います。

わたしは今朝もそのために神様にお祈りをいたしました。

「第1回目の昨年は、福岡教会の強力な応援があったのであの様に盛大にできたのかもしれない、

今年は大丈夫カナ?」と、抱いていた不安を神様に申し上げました。

祈っていたとき、

「あなたがたのうちに働きかけて、その願いを起こさせ、

かつ実現にいたらせるのは神であって、

それは神のよしとされるところだからである」というピリピ書2章13節の

みことばが頭をよぎりました。

瞬間、「そうだ、神様は今回のランチョンもまた『よい』と言ってくださっているんだ」と、

抱いていた一抹の不安がそのまま神様の御手の中に握られることになりました。

朝9時チラシが届きました。

まず、木曜の朝の「聖書の学び会」に来てくださっている方がチケットを3枚持ち帰ってくださいました。

夕刻を待ち、働いている人たちが帰宅される時間を見計らって、

チラシとチケットと福音版を手にして、お祈りさせて頂いているお一人一人を、お訪ねいたしました。

いつもは「福音版」という読みやすいパンフレットを郵便受けに入れるだけですが、

今日だけは1軒1軒チャイムを押して、お顔を見て、ランチョンのご案内をすることにしたのです。

すると、ここ数年お目にかかっていなかった方がちょうど訪問時に帰ってこられて、

バッタリ駐車場でお会いしたり、

スーパーで、お会いしたいと思っていた方とバッタリであったり、

三年間全く無反応だった方が、

仕事の予定を変更して「行きます」のお返事をくださったりで、

現実に神様が共にお働きくださっていることを実感いたしました。

今日で、40席中、20席が埋まりました。

明日は外国語大学の学生寮にチラシを置かせていただく予定です。

次々と思いがけない方々の参加者が更に多く与えられますように、

お祈りください。


不思議な休日

2014-04-07 16:11:05 | ひつじかい日記(1)

先月から私は、何もない月曜日は、

健康のために温泉プールで水歩行を楽しんでいます。

健康にトテモGood!

今朝も8時30分に諫早方面に向かって出発。

帰路、午後の予定を考えて、帰着時間をお昼に設定して車を走らせ、

花の木トンネルを通過しようとしていた時です。

前方に車の上部がピカピカと電気が光っているのが見えます。

「アッ!警察の車だ!」と思い、

思わず速度計を見て、「これは危ない」と、

オットトト、とブレーキを踏み速度を調整しましたが、

すれ違ったその車は警察車ではありませんでした。

けれども胸の中で、

「トンネルの向こうに本当に警察がいるのでは?」

(これは、神様からのサインでは?)

と、思いつつトンネルを超えると、

ナント、本当に数名のおまわりさんがそこに待ち構えておられたのです。

何事もなく通過しましたが、

「あなたの僕の休日が僕に相応しい良き休養の日とされますように」と祈った朝の祈りを思いだし、

配慮に富んだ主(あるじ)のはからいに、思わず感謝が込み上げてきました。

 


「僕として生きる」

2014-04-06 20:18:31 | 説教メモ

2014・4・6 レント聖餐式礼拝

「僕として生きる」 ルカ福音書22章24~34節

 

主の晩餐が一段落したところでお弟子たちは、

「やがて実現する御国で、だれが一番偉いかということで、

ああでもない、こうでもないと議論を始めました。」(リビングバイブル22:24)

その時、主イエスは、

「しかし、あなたがたは、そうであってはならない。かえって、あなたがたの中でいちばん偉い人は

いちばん若い者のように、指導する人は仕える者のようになるべきである。」(25)

と仰られました。しかも実際に、手ぬぐいをとり、

お弟子たち一人一人の足をお洗いになられ、僕の姿をお示しになられて、

神の国のあり方を目の前に現されたのです。

 

イエス様のお誕生の時、

父なる神様が大切な一人子をお委ねされたのは、

力のある王や権力者ではなく、貧しいナザレの娘マリヤでした。

なぜ、マリヤを主の母に選ばれたのでしょうか?

それは、マリヤが主の僕だったからです。

御使いが受胎告知をしたその時、マリヤの口から迸りでたことばでそれはわかります。

「わたしは主のはしためです。お言葉どおりこの身になりますように」(ルカ1:38)

マリヤが発した「はしため」ということば「douly」は「doulos」(奴隷)の女性名詞で、

奴隷の中でも最も身分の卑しさを表す「」とも訳せることばです。

とまどいの中にも「わたしは主の僕」ということばが口をついて出てくるとこからも、

マリヤがいかに真実な主の僕であったことがわかります。

実は聖職者を表す[diakonos」は「doulos」と類似語です。

神様は「僕」を用いて、ご自身の業されます。

権力や名声が支配する「この世」において、

「神の国」は神の僕によって拡大されてゆきます。

 

マルチン・ルターは、

「キリスト者はすべてのものの上に立つ自由な主人であって、

だれにも従属していない。

キリスト者はすべてのものに奉仕する僕であって、だれにも従属している。」

と言いました。

神に召されたキリスト者は、

世の一切のものから解き放たれた自由意思をもって、

僕としての生涯を歩みます。