長崎めぐみ教会 tearoom 2

日本イエス・キリスト教団 長崎めぐみ教会から、楽しいお知らせ、牧師のつぶやき、日記、メッセージなどお楽しみください!

日々キリストに導かれて

2017-09-27 09:34:12 | ひつじかい日記(2)

 

2017年9月24日(日)

今日は、新規(期)留学生歓迎礼拝。

アメリカから2名、中国から8名、外国語大学交流センターから引率者1名。

礼拝の最終に日本人学生1名。

N姉の通訳に助けられて、マタイ11:28-30から「平安への招き」という題で非常に短いメッセージ。

 

イエスさまのくびきは愛のくびき。

私たちのすぐそばで、ピッタリと寄り添って共に歩んでくだる。

叱咤激励でなく、強要でもなく、

「柔和で謙った」イエス様からいつも教えられ、慰めと癒しと希望にあふれている。

誰も知らない私の心の奥底の涙の滴の流れる音までしられているトハ、、、

 

イエス・キリストは言われる

「だれでも、重荷を負い、苦労している人は私のもとにきなさい。

わたしがあなたがたを休ませてあげよう。」と。

そして、その休みは、魂の安息。

それは、世界中の全ての人に向かって!

礼拝後は、Takoyaki-party

そして、

日本文化に触れる時、これがまたSpecial

 

9月25日(月)

午前、

今日は日曜出勤の方のための振り替え礼拝をおこなった。

ご夫妻での出席。

お二人が帰られるなり、

急に眠気に襲われ、

午後は、快い、休日の眠りのひとときを過ごした。

 

26日(火)

午後、

今日は、離島からの礼拝者があった。

「腰痛」ということで心配していたが、

利発で元気な姉妹に触れて、

私まで新しい気持ちになった。

感謝!!

🌸

姉妹を港近まで送り、

次いで、

M姉妹をホームに訪ねた。

今日は1Fで、デイサービスで来られている方々とご一緒に、

歌謡教室に参加されていた。

わたしも歌い、94歳のMさんも大いに歌った。

歌はいろいろで、

清水次郎長から、フランク永井まで、それこそ、いろいろ。

車いすの方々がマイクを手にして

声をはりあげ、

青春時代を懐かしみつつ

歌っていた。


27日(水)

朝日の朝刊。

日野原氏が残した「老い」「死」の言葉

という題に目が留まる。

その中に書かれていた一文。


💛

日野原氏の「いのちの言葉」の中に、

ギリシャのアポロン神殿の磁石に刻まれている一文が紹介されていた。

 

「子どものときに、よき節度を学び、青年時代には感情をコントロールすることを学び、

中年には正義を学び、老年になっては、よき助言者になることっを学ぶ。

そして、悔いることなく死ぬ。」と。

そして、この一文に、

「老人になて、自らを磨くだけにとどまってはいけない」と添えている。

「悔いなく死ぬ」には「良き助言者」たる生き方が必要だと。

詩人・吉野弘に2行詩「往と住」がある。似た漢字ふたつ、逆のお意味合いと倒置法が実に絶妙だ。

「この世を往かなくてはなりません

 この世に住んだものは誰でも」


(長崎県文芸会会長 浦 一俊)

と、あった。

心したい。






 

 

 

 

 

 

 


台風到来の中でも、

2017-09-21 15:20:00 | ひつじかい日記(2)

 

2017年9月17日(日)

大型台風18号九州上陸のニュースが流れる。

17日日曜日の朝。

風、まあまあ、雨もまた、まあまあ、

けれども、九州北部の雨災害の記憶も新しく、

昨日より、地域のアナウンスはひきりなしに、

避難所案内をしている。

8時前、

少しづつ少しづつ、雨足が強まる。

「希望される方は、明日礼拝をおこないます。

今日の礼拝出席の可否は各自でご判断ください」

とのメールとラインを送った。

🌸

返信がない、ということは、来られそうだ、という予測はついたが、

間もなく、一人、また一人と普段より早く来られる人が多い。

「安全を図って、家族が送ってくれました」

という人もいた。

車では来れない2人の方が欠席され、

後は全員が雨の中、肩や足元を濡らしながら入ってこられた。

タオルを差し出すと、

「持ってきました」と、言う方もおられた。

心が引き締まり、また、励まされ、

言葉にならない感動が胸中を吹き抜ける中、

今日という日を造られた神様に向かって礼拝がささげられた。

ちなみに礼拝説教は、

エペソ3:14~21から

「内なるキリストのめぐみ」。

 

9月18日(月)

台風一過、心地よい秋晴れの一日。

洗濯物を干したり、家に風を通したり、、、

はたまた、韓流ドラマの続きをDVDで見たり。

現在のおススメは、「ミセン」。

囲碁の世界しかしらなかった青年が、

キャリアもなく、大企業に就職し、

さまざまな困難を経て育っていく姿がすがすがしく見ごたえがある。

💛

「敬老の日」の今日は、ご高齢の方を電話訪問し、

お祈りをしたり、近況をおききしていたが、

70歳はじめの方はどうさせていただいたら良いのか迷った。

(それほど、現代に於いて、70歳はじめの方は若々しい!)


94歳のM姉を訪問。

話のつじつまが時々合わなくなることはあるが、

近親者を全て亡くされたなかにも、

孤独に耐え、施設の中でしっかりとご自分の命を全うされつつあることに敬意を表し、

お交わりをもたせて頂いた。

M姉が記憶の合間を縫う様に、言われた言葉が印象深い。

「わたしは、周りから良い人だと信頼され、多くの人が私のところに来ては、

色々本音を言われた。私はいつも笑顔で来られる人たちの話を聞いていたが、

実は、心の中では、怒りでいっぱいだった。」と。

私は思わず、

「聖書が示す罪とはまさにそのことで、

その罪ゆえに、イエス様が十字架で、

身代わりに罰を受けてくださったので、

罪が赦されたのです」と、

祈り、神様にお委ねして帰宅。

 

19日(火)

「九州教区女性部ブロック大会」於油山シャローム教会。

なぜか、2時半ごろ目が覚め、

7時半ごろの特急に乗るべく、6時45分に教会を出発。

特急カモメの中での2時間はズーート、寝っぱなし。

🔶

開会礼拝は福岡教会牧師夫人のT先生。

さいごに話されたお話しがズッシリと心に残った。


後輩との状態がかなりひどい状態いになった一人の姉妹がいて、

苦しんでいた。

ある日、その姉妹は、その後輩にも従おうと決心されたそうだ。

(少し、言葉の表現が違うかもしれませんが、)

結果、その職場を辞していかれる方の送別の言葉の中で、

その姉妹に対して、

「あなたの言葉でいつも慰められていました」と言われたり、

また、他の方から、

「あなたはとてもカンジがイイ、僕はあなたが好きだ!」

<※チガッタことばだったかもしれませんが、職場のご高齢の方だそうです>

と、言われたそうです。

その方は決して自慢してそのような証をされたのでなく、

行き詰まりの中で、

神さまが与えらえた環境に従おうと決心し、

従った結果得たものの恵みを感謝したかった、

その気持ちが伝わり、

T先生のメッセージで間接的に聞いた証ではありましたが、

それを聞く、私の胸は熱くなった。

 

油山シャローム教会での昼食会のひととき、

めぐみ教会の紹介の時、

「わたしたちの教会の牧師は大変おおらかで、、、オオザッパ。

そこを男性諸兄が細やかに補っておられる」

と、紹介された。

これって、もしかして、私のこと?!(-_-;)

 

9月21日(木)

午前、聖書研究祈り会

ブロック集会に出席された姉妹に感想を聞いた。

N姉は分科会の中で、

「痛みもまた、神様からの賜物である」

という言葉を聞いたと話され、

私はおそらく、そのことを一時も速く多くの人に知らせたくて、

現在、パソコンに向かってブログを書いている。

💛

今回の集いでN姉の受けためぐみの深さ、広さに、

なぜか、私の心もまだ冷めやらぬ、、、

今夕の聖書研究祈り会では、

はたまた、どのようなお証をお聴きすることができるのだろうか?

胸は逸る。

 

 

 

 

 

 

 

 


旅はみちづれ

2017-09-12 16:55:03 | ひつじかい日記(2)

♪このスナップは来訪して下さった旅人さんの作品デス!

 

2017年9月8日(金)

一週間ほど前になつかしい声の便りがあり、

しばらく音さたの無かった若い姉妹が、

昨日から隣の部屋にステイされている。

「人が一人でいるのはよくない」とは聖書のことば。

誰かが家に一緒にいると、

チョット人心地がする。

おかあさんになったような気分。

サムがホームスティしていた頃が懐かしくを思いだされる。

 

今日は二人で遠藤周作記念館とドロ神父の奉仕された出津教会を訪ねた。

 

締めくくりは、

大村湾沿いの温泉「喜道庵」

リフレッシュしました!

 

9日(土)

旅人は、一人で長崎探索へ。

牧師の私は、

明日の礼拝の備えで大忙し。

 

10日(日)

旅人は、教会の皆さんから親切にしていただいて、

お昼を共にし、

長崎まで送ってまでいただき、

特急カモメの人に。

🌸

ところで、

めぐみ教会は近頃、講壇のお花が美しい!

 

 

💛

 

一人取り残された私は、

バタンキューと、

一休みしてみれば、

メキメキと思いがハウステンボスのピカソ展に向っていた。

以前、淡路の大塚美術館で見た「ゲルニカ」の銅板画がヒタヒタと思い出され、

やたらピカソに会いたくなる。

 

11日(月

大村からハウステンボスへ向かう。

ハウステンボス美術館は、正門とはほど遠い、ハーバーランドとかにあって、

場所を見つけるのが大変、非常に、大変だった。

やっと、ハーバーランドのゲートにたどり着いても、

そこから、林を抜けた向こう側に展示場はあって、

ホント、広いといったらないのだ。

しかも、ピカソの絵は、ほんの数点で・・・・

わたしの心は、ただ、「来た」という不満足の満足。

 

♪この日ハーバーランドは雲で覆われていた。

 

折角だから、お昼は佐世保バーガーにするトサ。

 

バラ園の残り花を眺めていると、突然、岡山県人から電話が入り、

ハウステンボスのすごさをPRしていると、

「もう、長崎の人だね」と、言われた。

実は、私も、そう思う。


💛

💛


 

💌 後日彼女から届いたメールデス (*'▽')

勿論、お断りしてご紹介させて頂きますネ、

 

✑ 

 

おかえりなさい。

 

お疲れとれていたらいいのですが。

(遠藤周作記念館で、旅人さんが感動を受けた言葉をお尋ねしていたことに対して、)

「人間は迷い、神様は沈黙を保つ。もうそれでいいんだと思うしかありませんでした。」    

  「夜を乗り越えて」又吉直樹著

さらになんとなく覚えているのは、

…最近は答えをすぐに出しすぎる…けど、答えが出るまでの苦しみの時間が大切なのでは?…


というようなことが書かれてありました。

あんまり覚えていないので多分言葉は違うと思いますがすみません。

とにかく、「答えを与えてください」と、

神様を急かすように焦ってお祈りをしていたこの何年かに、

答えを出すのが大切なのではなく、過程が大切なのだ。という「答え」を、

日本の端っこの遠藤周作記念館で見つけることができたことに、大きな感動がありました。

神様はちゃんと、その人その人に響く形で示してくださるんだなぁと。

「今」を生きることを忘れがちですが、一歩一歩踏みしめながら「淡々」と生きることも本当に大切なことなんですよね。


ちなみに又吉さんもクリスチャン家庭に生まれたクリスチャンだそうです。
彼の本や、彼がチョイスした本も面白そうでしたよ。(ネットに出てました)

お疲れのところ長々とすみません。

今日も美味しいご飯が食べられますように♪

(??)

感謝


💛

と、まあ、このような次第です。

ブログを訪問してくださった皆様も、

是非、彼女のようないい旅、してくださいネ!

ちなみに、又吉直樹さんがクリスチャンだったなんで、

シラナカッタ~



全てを神の御手に委ねて生きることを、

2017-09-07 04:14:56 | ひつじかい日記(2)

 

2017年9月5日(火)

6時、早天祈祷会、気が付けば雨の音。

聖書通読は、詩篇とヨブ記。

試みの中にある義人ヨブを三人の友人が見舞った時の対話。

友人たちは、「あなたがこんな試みに会っているのは、

何か罪を犯したからに違いない。

それを認めないところにあなたの不幸の原因があるのだ!」

と言いたげに、苦しみの中にあるヨブを鋭く追及する。

ひん死の重症者に、友人三人がよってたかって責め立てているといった意識は友人たちにはおそらくなくて、

むしろ、苦しみの中にいる友人を救い出したいという思いで必死なのかもしれないが、

、、、

これじゃあお見舞いにならないナ~、と思いながらも、

もしかして、

牧師の私こそ、こうした対応をしていたのでは・・・・

 

🌸

夜、およそ2カ月ぶりで、手話教室へ。

根本は、聴力障害のある方と、いかにして対話をしてゆくか、

”相手の側にたって考える”ここから出発しなければならないのだろうと思いながらも、

私の場合、肝心な、基本的な部分が一向に身につかないので困ったものです。

そんな自分を恥ずかし思いながらも、

昨年は夏前にリタイアしてしまったが、

今年こそはさいごまで完走したい!

(スケジュール上、お休みする日も多くなりますが、、)

帰り際、急ぎ足で駐車場を通り抜けようとしていたら、

メンバーのMさんが、「車で送りましょうか、」

と、優しく声をかけてくださったものの、

現在肥満度1の私は、

咄嗟、乗り込みそうになる自分を必死で抑えてご辞退申し上げ、

夜風に吹かれて雨上がりの通りを歩いた。

でも、

R姉妹、ありがとうございました、

お声をかけて頂いてとても嬉しかったです。

 

6日(水)

午前聖書研究祈り会

使徒行伝11章17節「わたしのような者が、どうして神を妨げることができようか。」

私たちはこの一句に釘付けになった。

J・エスレーは「憂えしめない聖霊の臨在」ということを強調したが、

めぐみ教会がズーートそうでありますように、と、心から祈り、願う。

 

🌸

夜の聖書研究祈り会では、

「神と交わること」「信頼すること」について、アレコレと話し合い、考えあった。

 

「神と交わること」については、

祈りと聖霊によるものであることを、

すでに、一人一人が生活の中で体験しておられた。


🌸

「信頼すること」について、

特に、信仰の初めには、神様を信頼することと、

人を信頼することとがダブっていはしないかと、

ツイツイその部分の問いかけがくどくなった。

気になるところはシッカリと固めておきたいという思いにはなるが、

それさえも、

あまり強すぎると、朝教えられたように、

「神を妨げる」ものになりはしないだろうか。

結果を重要視すること以上に、

ありのままを、そのままを、すべてを、さらりと神の御手に委ねて生きる、

そのように、生きられないだろうか。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


めぐみ教会アレコレ

2017-09-01 13:29:34 | ひつじかい日記(2)

 

2017年8月27日(日)

日曜日の楽しいランチタイム。

”女子力が高い”と、言うことで話しに花が咲いた。

”60過ぎても女子力の高いワタシ”と、心密かに自負していたところ、

突然、一人の女子高校生が、

”それは、オバサンリョクではないのか?”と言った。

mmmmmm

 

8月30日(水)

同級生同士のカップルが受洗されて、

受洗後の聖書の学びを終えて帰られようとしていたので、

「できれば、若い時の写真が拝見できると嬉しいですが、」

「きっと、かわいい学生だったことでしょう、」

と言うと、同時に、

「ハイ!」、「僕は、」+「わたしは、」、「かわいかったです」という声が反ってきて、

牧師の私は、次の言葉を失ってしまった。


 

9月1日(金)

日曜礼拝の準備をしながら、フッと思った。

「私たちの教会は、長年古屋住まいの貧しい小さな教会だけど、

こんな、力も何もない、女一人牧師を良く支え、

また、信頼もしてくださって、、、これは、思い込み?  (-_-;) 、、

しかし、

一人一人が純真にイエスにお従いしようとしている。

いい群れだナ~」

(^◇^)


「時折、牧師のプライドはポキンと折られるが、

あまり、痛みを感じないのは、老化の兆候??」

 

🌸

 

こんな、私たちの教会、

(-_-;)

 

でも、

まだ、教会に行ったことのない方も、

気軽に訪ねてきて下さると、

みんな、大変嬉しいデス ^^v