2019年7月27日(土)
礼拝堂で黙想の時をもった。
40年の月日が走馬灯のように駆け抜ける。
何が私をこの40年走らせたのだろう。
ただ、きよいものにあこがれていた、
そう、それだけだったのかもしれない。
わたしがすでにそれを得たとか、すでに完全な者になっているとか言うのではなく、
ただ捕えようとして追い求めているのである。そうするのは、
キリスト・イエスによって捕えられているからである。
兄弟たちよ。わたしはすでに捕えたとは思っていない。
ただこの一事を努めている。すなわち、後のものを忘れ、前のものに向かってからだを伸ばしつつ、
目標を目ざして走り、キリスト・イエスにおいて上に召して下さる神の賞与を得ようと努めているのである。
ピリピ3:12-14
神様は、与えようとして、追い求めさせてくださったのか、、