
P75-78
【不適切な自己評価】自分のことを知らないとどうなるのか?
ある少年に不適切な誤りがあった場合、その少年がそれを正したいとう気持ちを
持つには、まず、”自分の今の姿を知る”といったプロセスが必用になります。自己の
問題や課題に気づかせ”もっといい自分になりたい”といった気持ちを持たせることが、
変化のおための大きな動機づけになるのです。
ところが、もしここで、多くの問題や課題を抱える人が、”自分には問題がない”
”自分はいい人間だ”と信じていて、自己の姿を適切に評価できていなければどうなる
でしょうか?自己へのフィードバックが正しく行えず、「自分を変えたい」といった
動機づけも生じないので、誤りを正せないばかりか対人関係においても様々な不適切
な行動につながってしまうのです。
例えば少年院では、
・自分のことは棚に上げて、他人の欠点ばなり指摘する
・どんなにひどい犯罪を行っていても自分はやさしい人間だという
・プライドが変に高い、変に自身をもっている、逆に極端に自分に自信がない
といった少年たちがみられました。殺人事件を起こしている少年でさえも「自分は
やさしい人間だ」と言ったことに驚かされましたが、同時に「この自己への歪んだ
評価を何とか修正せねば更生させることはできない」と課題の所在も強く感じさせ
されました。
なぜ、自己評価が不適切になるのか?
ではなぜ彼らは適切な自己評価ができないのでしょうか?それは適切な自己評価
は他者との関係性の中でのみ育つからです。
例えば、
”自分と話しているAさんはいつも怒った顔をしている。自分はAさんから嫌われて
いる気がする。自分のどこが悪かったのだろう”
”あのグループのみんなはいつも笑顔で私に接してくれる。きっと私はみんなから
好かれているんだ。案外と私は人気があるのかも”
といったように、相手から送られる様々なサインから、「自分はこんな人間かも
しれない」と少しづつ自分の姿に気づいていくのです。
・
・
・
人も同様です。無人島で独り暮らしをしていると、「本当の自分の姿」は分かり
ません。つまり、自己を適切に知るには、人との生活を通して他者とのコミュニケ
ーションを行う中で、適切にサインを出し合い、相手の反応を見ながら自己にフィ
ードバックするという作業を、数多くこなすことが必要なのです。
ところが、もしこちらが相手からのサインに注意を向けない、一部の情報だけ
受け取る、歪んで情報を受け取る(相手が笑っているのに起こっていると受け
取ったり、怒っているのに笑っていると受け取ったりする)とどうなるでしょうか?
自己へのフィードバックは歪んでしまいます。適切な自己評価には偏りのない
情報収取力が必要なのです。
”人が一人でいるのは良くない”
(創世記2:18)
・・・ホントにそうだナ~
と、思いつつ