日々コロナの話題ばかりで、先の戦争のことについて振り返ることを忘れていました。
昨日の読売新聞に――戦後75年終わらぬ夏――「米国から届いた50銭札」の記事が目に留まりました。
児童文学作家 富安陽子さんが、戦死された彼女の伯父ついて語っていました。
海軍中尉で特攻隊員だった伯父は22歳で戦死。
伯父の衣服の中にあった50銭札をアメリカが保管しており、今年の5月に 遺族に返還したい という
連絡が入った。その日は75年後の祥月命日。
伯父の最後は長い間 詳しいことは分かっていなかった。
九州の南海上で、アメリカの空母エンタープライズに突入した特攻機のパイロットが伯父だと
判明したのは2003年。ある戦史研究家が突き止めてくれた。
伯父たちは500キロの爆弾を積んだ零戦で、特攻機は次々に撃ち落された。
残ったのが伯父の零戦。攻撃をかいくぐり、雲の中に逃げ込んでチャンスをうかがっていた。
雲間から飛び出し、迎撃のすきをついて高度を下げ、背面飛行で軌道を変えながら突っ込んだ。
エンタープライズの乗組員14人も亡くなった。
がむしゃらに突っ込んで命を散らすのが特攻だと思っていた。
が、伯父は強い意志を持って、雲に隠れたり背面飛行をしたりしてやり遂げている。
今の価値観でははかれない。伯父は雲の上で何を思っていたのか。
私は誇ればいいのか 悼めばいいのか 悔やめばいいのか答えが出ません。
この最後の言葉が…いつまでも心に残ります。
彼の飛行は、映画化された「永遠の0」のラストシーンと重なりました。
若い特攻隊員たちは、どんな思いで亡くなって行ったのでしょう。
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