ナチスから通信社を奪還した8人の記者、1944年AFP通信の誕生
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フランス・パリにあった世界初の通信社アバス通信(1939年1月1日撮影)。(c)FRANCE PRESSE VOIR / AFP
【8月20日 AFP】フランス通信(AFP)は、第2次世界大戦(World War II)の混乱のさなかに創設された。仏パリでレジスタンス活動が激しさを増していた1944年8月20日、親ナチス政権の手中にあった通信社に押し入り、編集部を奪還したジャーナリストらによってAFPは誕生した。
その前日には、レジスタンスのリーダー、アンリ・ロルタンギ(Henri Rol-Tanguy)が、4年間にわたってパリを占領していたナチス・ドイツ(Nazi)に対して蜂起するよう市民に呼び掛けていた。
■ナチスのプロパガンダ機関
8人のジャーナリストたちは午前7時、パリ中心部のブルス広場(Place de la Bourse)にある証券取引所近くの崩れかけた建物の前に集まった。その建物には、フランス情報局(OFI)が入っていた。
そこは以前、世界初の通信社「アバス通信(Agence Havas)」の本社だったが、1940年にフランスの親ナチス政権が国有化し、OFIを設置していた。
踏み込んだジャーナリスト8人のほとんどは、アバス通信の元編集者だった。その一人だったジル・マルティネ(Gilles Martinet)は、2004年のラジオインタビューで当時を振り返り、OFIは「ドイツのプロパガンダ機関となっていた」と語った。
■「動くな」
ほどなくしてジャーナリストの一団に、パリ解放を計画していたレジスタンス委員会から派遣された警官2人が加わった。武器を所持していたのはこの警官2人だけだった。
彼らは階段を忍び足で上ると、一斉に通信社になだれ込んだ。中にいた10人が驚いて頭を上げた。
「動くな。誰もここから離れるな」。ジャーナリストたちの中で最年長だったマルシャル・ブルジョン(Martial Bourgeon)が叫んだ。「今から君たちは、ドイツのためではなく、フランスのために働くことになる」。その場にいた1人のドイツ人検閲官は地下室に連れて行かれ、監禁された。編集長はジル・マルティネが務めることになった。
ジャーナリストたちはすぐに仕事に取り掛かった。最初に行ったのは、ひそかに地下新聞を発行していたグループらと連絡を取り合うことだった。
第2次世界大戦中、フランスの親ナチス政権から通信社を取り戻し、AFPを設立した8人の記者。上段左からマルシャル・ブルジョン、バジル・テスラン、ジャン・ラグランジュ、ピエール・クルタッド、下段左からマックス・オリビエルカンプ、バンサン・ラテーブ、ジル・マルティネ、クロード・ルセル(1944年8月20日撮影)。(c)AFP
■第一報
午前11時半、業務再開を知らせる第一報が伝えられた。
「すべての自由な新聞に奉仕するため、AFPは報道機関の義務である厳格な客観性に基づき、入念に確認および検証されたニュースを配信することを保証する」
この第一報ではまた、消息を絶ったジャーナリストやナチスの秘密警察ゲシュタポ(Gestapo)に捕らえられたジャーナリストらに対する敬意も表された。
■パリ解放
その後数日間、記者らはフランス軍の第一陣がパリに到着するのを待ちながら、自転車で市内を走り回った。仏軍到着のスクープをものにしたのは8人のジャーナリストの一人、バジル・テスラン(Basile Tesselin)だった。警察本部内に張り込んでいたテスランは8月25日、署長の洗面所から電話回線でそれを伝えた。
「(フィリップ)ルクレール(Philippe Leclerc)将軍が午前8時45分、オルレアン門(Porte d'Orleans)を通ってパリに入った。辺りは言い表せないほどの熱狂の渦に包まれている」
そのわずか数時間後、ドイツ軍降伏の報が飛び交った。パリはついに解放された。(c)AFP/Juliette Baillot