雪のある時期の旅行はあまりしませんが、この年1960年3月、雑誌で見たプロペラ船が無性に見たくなって、夜行列車で紀伊勝浦へ向かいました。紀勢線が1959年開通直後、友人と3人で大峰山奥駆けコースを縦走して以来の紀伊半島でした。それまで新宮、熊野、尾鷲あたりで(三木里・新鹿間の間と記憶している)東線西線に分断されていたので、一番乗りを兼ねての山行きでした。紀勢本線全通により、名古屋から直接串本や勝浦まで行かれるようになりました。
その翌年です。新宮の船着き場からプロペラ船に乗船、熊野川を遡上、瀞八丁の船着き場まで2時間以上かかった記憶があります。その間、プロペラのエンジン音風きり音で、話も出来ないような状況でした。
なぜプロペラかというと、川底が浅く、スクリューでは川底にすれて使用できないので、風の力で推進させていました。現在は、ジェット船となり、水を噴き出して、推進しています。(新宮の乗船所スカート姿のガイドさんが、時代を感じます)
瀞八丁の中州には、テントが張られ船着き場となっています。切り立ったがけの上には、旅館らしき建物が見えます。
この先上瀞、奥瀞と続きますが、プロペラ船が何処まで遊覧に連れて行ってくれたか、記憶がとぎれています。プロペラは、回っていると何のことやら分かりません。結果、こんな写真しか残っていません。
帰路は、途中(志古?)で下船して、バスで新宮に戻りました。道路は舗装されておらず、すれ違うのもやっとでした、というのは曖昧な記憶です。この時の交通手段は、蒸気機関車、プロペラ船、ボンネットバスでした。これらは、今や観光用のレトロな見せ物となっています。便利になった現在、懐古趣味に走るつもりはありませんが、記憶の消失と共に、感慨深いものがあります。