願わくば、桜咲く春の日に死にたいものだ、
あの お釈迦さまが亡くなられたと同じ、旧暦二月 十五夜の頃に。
「ねがはくは 花の下にて 春死なん そのきさらぎの もち月の頃 」
漂白の歌人僧、西行が詠んだこの歌は、
彼が実際に、桜咲く二月の十六日に亡くなったことで、
当時の貴族社会の教養人たちに、強烈な印象と激しい感銘を与えた。
当時の人々にとって、生死は人智を超えたところにあり、
願いどおりに入寂できた西行は、あの世で仏となったに違いないと語り合った。
死後、彼の評価は一層上がり、それは後世の伝説にまで影響を与えた。
夕べのテレビ、映画「鉄道員(ポッポ屋)」のラスト、
北海道のさびれた駅の駅長、
佐藤音松が、厳冬の朝、ラッセル車を待ちながら凍死するシーン。
鉄道員ひと筋に生き、
娘や長年連れ添った妻に先立たれ、身寄りの無い身の上であるのに、
「おれは幸せものじゃった」と人生を振り返り、
定年と廃線を間近にしながら、
「俺はポッポ屋しかできないから」と云い続ける主人公を設定した以上、
この原作者ならずとも、ここで死なせるより他あるまいなと思う。
「自分のやるべきことはすべてやった」と人が思うとき、
静かにあの世へ旅立てるなら「幸せもの」だと、
私も思うが、
そうなるのは、実際にはむづかしい。
憂き世にあらがい流されつ生きた凡人では、
西行にも佐藤音松にもなれはしないのだヨと、深くため息を吐くばかり。