リンゴの好きな我が同居人ドノが、
「今年はリンゴがもうひとつ」とボヤキながらも毎朝食べている。
昨夏の猛暑の影響が有るのか、今年はリンゴの甘さが今ひとつ、
その代わりかどうかは知らないが、
デコポンや清見オレンジと云った晩柑類の糖度が高い。
おまけに輸入モノのネーブルオレンジまで甘い。
しかも酸味が殆どないから、
日ごろ余り果物を食べない私も今年はよく食べているが、
昔、晩柑と云えば、
夏みかんや八朔(はっさく)のように、
「スッパイのが当たり前」だった時代を知る者にとっては隔世の感が有る。
果物は甘いほど腐りやすく、
酸味が強いほど貯蔵がきくと云う性質を持つから、
甘いミカンは、高値のつく正月前後までに出荷して、
酸味の強いものは囲っておき、二月ごろに遅らせて出荷した。
柑橘は月日を置くと、酸味は急速に抜けていくが、
甘味の方は、ゆっくりと落ちていくから、
貯蔵しておいたミカンの印象としては、スッパイみかんが甘くなったように感じる。
正月も過ぎて、甘いみかんが腐りやすくなった頃が、
酸っぱかったみかんの貯蔵モノの出番、
と云う分けで、
昔の生活の智恵、スッパイみかんにもそれなりの利用価値があったのです。
先日の新聞コラムに「時薬(ときぐすり)」と云う言葉が紹介されていた。
どなたかの造語のようで、
「時間の経過によって、つらい記憶も少しづつながら癒やされて行く」と云うような意味なのだとか。
その時は、
別に新語を作らなくとも、
昔から「日にちぐすり」と云う言葉が有るではないかと思ったが、
どうもこの言葉は関西だけの言葉らしい。
大きな病気や怪我をして、
治療は一応終わったが、
まだ体力が回復せず痛みも残るときなど、
「あとは日にち薬やなぁ」などと使う。
長年連れ添った連れ合いを亡くされた方にも、
「今は淋しいやろうけど、まぁ、あとは日にち薬しかないナァ」などと、
なぐさめの言葉にも使ったから、
新語の「時薬」と同じような意味も有ったことになる。、
先日、若い時トゲトゲしていた人が、
長年見ぬ間に、ずいぶん当たりのやわらかい好々爺に変わっていた。
スッパイみかんも日にち薬で甘くなる、
あれも、日にち薬の効用のうちなのだろう。
「今年はリンゴがもうひとつ」とボヤキながらも毎朝食べている。
昨夏の猛暑の影響が有るのか、今年はリンゴの甘さが今ひとつ、
その代わりかどうかは知らないが、
デコポンや清見オレンジと云った晩柑類の糖度が高い。
おまけに輸入モノのネーブルオレンジまで甘い。
しかも酸味が殆どないから、
日ごろ余り果物を食べない私も今年はよく食べているが、
昔、晩柑と云えば、
夏みかんや八朔(はっさく)のように、
「スッパイのが当たり前」だった時代を知る者にとっては隔世の感が有る。
果物は甘いほど腐りやすく、
酸味が強いほど貯蔵がきくと云う性質を持つから、
甘いミカンは、高値のつく正月前後までに出荷して、
酸味の強いものは囲っておき、二月ごろに遅らせて出荷した。
柑橘は月日を置くと、酸味は急速に抜けていくが、
甘味の方は、ゆっくりと落ちていくから、
貯蔵しておいたミカンの印象としては、スッパイみかんが甘くなったように感じる。
正月も過ぎて、甘いみかんが腐りやすくなった頃が、
酸っぱかったみかんの貯蔵モノの出番、
と云う分けで、
昔の生活の智恵、スッパイみかんにもそれなりの利用価値があったのです。
先日の新聞コラムに「時薬(ときぐすり)」と云う言葉が紹介されていた。
どなたかの造語のようで、
「時間の経過によって、つらい記憶も少しづつながら癒やされて行く」と云うような意味なのだとか。
その時は、
別に新語を作らなくとも、
昔から「日にちぐすり」と云う言葉が有るではないかと思ったが、
どうもこの言葉は関西だけの言葉らしい。
大きな病気や怪我をして、
治療は一応終わったが、
まだ体力が回復せず痛みも残るときなど、
「あとは日にち薬やなぁ」などと使う。
長年連れ添った連れ合いを亡くされた方にも、
「今は淋しいやろうけど、まぁ、あとは日にち薬しかないナァ」などと、
なぐさめの言葉にも使ったから、
新語の「時薬」と同じような意味も有ったことになる。、
先日、若い時トゲトゲしていた人が、
長年見ぬ間に、ずいぶん当たりのやわらかい好々爺に変わっていた。
スッパイみかんも日にち薬で甘くなる、
あれも、日にち薬の効用のうちなのだろう。