人間、ひとつウソをつくと、
そのウソを隠すために、またウソをつき、
その「ウソのためのウソ」を隠すため、またウソをつかねばならなくなる、
とは、子供時代に多くの人々が経験することだ。
この校長は、
そう云うことを子供のときに学習しなかったのだろうか。
~~~~~~~~~~~~~~~~~
少女自殺の小学校、イジメあったと認める
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
群馬県桐生市の小学六年生の少女(12)が自殺した事件で、
同市の教育委員会は8日、
「いじめがあった」とする小学校側の調査結果を明らかにした。
尚、記者会見で校長は、
当初いじめを認めなかった理由として、
「少女は以前から1人でいることが多く、
仲間はずれにされているとは分からなかった」などと釈明した。
また自殺との因果関係も、
「イジメが原因かどうかまでは分からない」として、認めなかった。
~~~~~~~~~~~~~~~~~
新聞等の報道によれば、
このクラスはすでに一学期の初期から学級崩壊の状態で、
「先生がやさしいから誰もいうことを聞かない状態だった」と子供たちが証言している。
他の教師もそのことは承知していて、
現に学校側も、
「手の空いている教師を応援に派遣していた」と云う事だから、
人事権を持つ校長が、そのことを知らなかったはずはない。
「やさし過ぎる先生」とは、
言い換えれば「担任としての能力のない先生」であろう。
このクラスは五年生のときから、問題のあったクラスで、
その難しい「六年生のクラス」を、
久し振りに担任になったと云う、
「やさし過ぎる教師」に任せるなどと云う事は、民間ならチョッと考えられない人事。
「やさし過ぎる」彼女なら、
問題のあるクラスなど云う、チカラワザの必要な部署に置かず、
例えば「福祉関係の窓口」などに配置すれば、
「やさしくて愛想よく、誠実な先生」として喜ばれたのではなかろうか。
テレビニュースの映像の中、
校長の後から花束で顔を隠しアパートの階段を逃げるように駆け上って行く、
喪服を着たその女教師の後姿を見ながら、そんなことを思った。