漫筆日記・「噂と樽」

寝言のような、アクビのような・・・

ウソをつく先生

2010年11月09日 | Weblog

人間、ひとつウソをつくと、
そのウソを隠すために、またウソをつき、
その「ウソのためのウソ」を隠すため、またウソをつかねばならなくなる、

とは、子供時代に多くの人々が経験することだ。

この校長は、
そう云うことを子供のときに学習しなかったのだろうか。

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  少女自殺の小学校、イジメあったと認める
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群馬県桐生市の小学六年生の少女(12)が自殺した事件で、
同市の教育委員会は8日、
「いじめがあった」とする小学校側の調査結果を明らかにした。

尚、記者会見で校長は、
当初いじめを認めなかった理由として、
「少女は以前から1人でいることが多く、
 仲間はずれにされているとは分からなかった」などと釈明した。

また自殺との因果関係も、
「イジメが原因かどうかまでは分からない」として、認めなかった。

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新聞等の報道によれば、
このクラスはすでに一学期の初期から学級崩壊の状態で、
「先生がやさしいから誰もいうことを聞かない状態だった」と子供たちが証言している。

他の教師もそのことは承知していて、
現に学校側も、
「手の空いている教師を応援に派遣していた」と云う事だから、

人事権を持つ校長が、そのことを知らなかったはずはない。

「やさし過ぎる先生」とは、
言い換えれば「担任としての能力のない先生」であろう。

このクラスは五年生のときから、問題のあったクラスで、
その難しい「六年生のクラス」を、

久し振りに担任になったと云う、
「やさし過ぎる教師」に任せるなどと云う事は、民間ならチョッと考えられない人事。

「やさし過ぎる」彼女なら、
問題のあるクラスなど云う、チカラワザの必要な部署に置かず、

例えば「福祉関係の窓口」などに配置すれば、
「やさしくて愛想よく、誠実な先生」として喜ばれたのではなかろうか。

テレビニュースの映像の中、
校長の後から花束で顔を隠しアパートの階段を逃げるように駆け上って行く、

喪服を着たその女教師の後姿を見ながら、そんなことを思った。






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