何日か前、
アメリカ大統領候補のトランプさんの奥さんがした挨拶の一部に、
「盗作疑惑か」、と云う、ごく小さな記事が出ましてね。
その記事の中、奥さんが疑惑を否定して、
「この挨拶の原稿は、私が何日もかけて考えに考えて書いたんです」と云う言葉が出ていた。
まぁ、小さな記事ですしね、
そんなに問題にもなっていないようだし、
偶然似ていただけかもしれないな、と思っていたんですよ、その時の私は。
本人が意識しないうちに、
「気が利いてるな」と思ったフレーズを使ってしまう、と云うこともよくある話ですしね。
ところがその後、騒動が大きくなって、
オバマ首相夫人の演説からの盗用であり、
それは、
原稿を書いたスピーチライターのやったことだと分かった。
それを知って私が思ったのは、盗作云々の方ではなくて、
「なんだ、私が自分で何日も考え考え書いた、と云う言葉はウソだったんだ」、と云うこと。
有名な演説からの盗用より、
「正直に見える小さなウソ」の方が罪が重いよな、とその時思った。
今日の新聞、
ロシアの陸上選手のリオ五輪締め出しの記事の中に、
女子棒高跳び、
イシンバエア選手の、痛烈なコメント、
リオに出る選手は、
「私の居ない処で、“偽りのメダル”をとればいい」が出ていました。
イシンバエア選手の怒りはよく分かるんですが、
数年来の報道を読む限り、
「ロシアの国家ぐるみの不正」はかなり悪質で真実味がある。
国家の英雄として、
「こんな話は全く知らない」と言い通すのは良いんですが、
あとから、
「アレは国家に言わされたウソ」なんて言わずに済むことを祈ります。