私の若いころは、
朝食と云えども、
味噌汁に焼き魚、漬物など、しっかり食べたものだが、
子供たちが独立し、老親が去ると、
我が同居人ドノのパン食に引きづられ、いつの間にかパン食に転向した。
もちろん、これは、
余計な手間を取らせまいとする、私のこころ優しさゆえの配慮であって、
我が同居人ドノから、
「もう、めんどくさいからパンでいいでしょ」と言われ、
心ならずもそれに従った、
・・・と、云うことでは断じてない。
パン食に転向すると共に、
あさ、果物を食べるのも習慣となったが、
無類の果物好きの我が同居人ドノと違い、
私はそれほどでもないので、
彼女用の皿から一切れ二切れつまむ程度だった。
処がそれもいつの間にか、
彼女につられ、一人前に食べるようになった。
さて、先日スーパーで、
珍しく「木なり」と書かれたハッサクを見つけたので買った。
このごろはハッサク自体を余り見かけなくなったが、
かっては夏みかんと共に晩柑類の王様だった。
処が、その酸味の強さが嫌われ、
最近では、
晩柑類としては新顔の、
“凸ポン”や“せとか”にその座を明け渡しているようだ。
しかし、この「木なりハッサク」だけは別、
いや、よく知られていないから、
人気はともかく、風味の方では、一歩も譲らないのだ。
ハッサクに限らず、野菜や果物には、
成長してからもしばらく収穫せず、熟成させておくと味の良くなるものが多い。
つまり“木熟”、「木なり」である。
ただ、残念ながら、木なりは時期が短い、
したがって、このおいしさも、
今暫くの間の楽しみでしかないのがザンネンだが。