関西だけの放映だと思んですけど、
過日、漫才コンビ「麒麟」のお二人が出て、
インタビューされてる番組がありましてね、
再放送だったんですけど。
吉本入っての下積み時代を経て、
やっと、テレビで売れ出したころ、
例の「ホームレス中学生」が爆発的ヒット、
ベストセラーにもなり一気に仕事が増えた。
ただし、著者、田村裕さんだけが。
川島さんも相方として呼ばれることもあるけれど、
添え物ですからね、ピンマイクも付けてもらえないような扱い。
当然、落ち込む分けですが、
何よりもつらかったのは、扱いがどうのこうのより、
「漫才がまるで受けなくなったこと」、だったそうです。
田村さんは、どこのテレビに出ても、
「ベストセラー作家のセンセイ」と云う扱いですからね。
劇場に来る客も、
普段テレビ見ていて、そういう意識があるから、
川島さんが、
ギャグのつもりでからかうと、
そんなことないやん」、
「頑張って来たのに、あんなこと言われてかわいそう」、
で、シ~ン、
誰も笑ってくれない。
これはツラい、
ことに台本書いてる川島さんにはコタエル。
そういうヒマになった時期、
あまり人の集まらない所でもいやがらず、
ひとりの仕事を見つけては、
「ピンでも受ける芸]を模索し磨いた。
やがてその甲斐あって、
「Rー1」の決勝に残るなど、その成果が出だした。
そのころです、絶好調だった
「ホームレス中学生バブル」も終り、
売れっ子だった田村さんは、一気に失業状態に。
今度は、
川島さんにはボツボツながら、
ピンの仕事が来るのに、田村さんにはそれが無い。
いまは漫才を立て直したお二人ですが、
「あの時期があったから強くなった」と川島さんが言ってました。
最初、漫才で売れ出したころは、
「暗くても、受ければいい」と思ってたそうですが、
ひとりになって、
やっぱり、お笑いの仕事を増やすためには、
基本、「明るくなければ」と気づいたそうです。
その話をテレビで聞きながら、
私が思っていたのは、
又吉さんが芥川賞作家となって、
ひとり、ニューヨークへ行った「ピースの綾部さん」。
「センセイ、センセイ」と相方を立ててギャグにし、
明るく振る舞ってはいても、
ともに笑いを築き上げてきた相方が、
その情熱を文筆活動に向けたとなると、
内心に、ツラいものはあったのでしょうね。
そのせいでアメリカへ行った、とまでは言いませんけど。
過日、漫才コンビ「麒麟」のお二人が出て、
インタビューされてる番組がありましてね、
再放送だったんですけど。
吉本入っての下積み時代を経て、
やっと、テレビで売れ出したころ、
例の「ホームレス中学生」が爆発的ヒット、
ベストセラーにもなり一気に仕事が増えた。
ただし、著者、田村裕さんだけが。
川島さんも相方として呼ばれることもあるけれど、
添え物ですからね、ピンマイクも付けてもらえないような扱い。
当然、落ち込む分けですが、
何よりもつらかったのは、扱いがどうのこうのより、
「漫才がまるで受けなくなったこと」、だったそうです。
田村さんは、どこのテレビに出ても、
「ベストセラー作家のセンセイ」と云う扱いですからね。
劇場に来る客も、
普段テレビ見ていて、そういう意識があるから、
川島さんが、
ギャグのつもりでからかうと、
そんなことないやん」、
「頑張って来たのに、あんなこと言われてかわいそう」、
で、シ~ン、
誰も笑ってくれない。
これはツラい、
ことに台本書いてる川島さんにはコタエル。
そういうヒマになった時期、
あまり人の集まらない所でもいやがらず、
ひとりの仕事を見つけては、
「ピンでも受ける芸]を模索し磨いた。
やがてその甲斐あって、
「Rー1」の決勝に残るなど、その成果が出だした。
そのころです、絶好調だった
「ホームレス中学生バブル」も終り、
売れっ子だった田村さんは、一気に失業状態に。
今度は、
川島さんにはボツボツながら、
ピンの仕事が来るのに、田村さんにはそれが無い。
いまは漫才を立て直したお二人ですが、
「あの時期があったから強くなった」と川島さんが言ってました。
最初、漫才で売れ出したころは、
「暗くても、受ければいい」と思ってたそうですが、
ひとりになって、
やっぱり、お笑いの仕事を増やすためには、
基本、「明るくなければ」と気づいたそうです。
その話をテレビで聞きながら、
私が思っていたのは、
又吉さんが芥川賞作家となって、
ひとり、ニューヨークへ行った「ピースの綾部さん」。
「センセイ、センセイ」と相方を立ててギャグにし、
明るく振る舞ってはいても、
ともに笑いを築き上げてきた相方が、
その情熱を文筆活動に向けたとなると、
内心に、ツラいものはあったのでしょうね。
そのせいでアメリカへ行った、とまでは言いませんけど。