漫筆日記・「噂と樽」

寝言のような、アクビのような・・・

松葉屋瀬川の事・④

2009年05月31日 | Weblog
きのうの続き。

夫婦仲もよく、
「たか」にも穏やかな日々が続くかに思えたのだが・・・と云う辺りから。

尚、以下の文中、
「跡勘定(あとかんじょう)」は、清算のこと、
従って、「大坂跡勘定」で、豊前守が大坂城代時代の残務処理のこととなる。

「横死(おうし」は、不慮の死、無念の死。
  
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享保三年、

豊前守(ぶぜんのかみ)、大坂城代、御役御免となりて、
江戸へ下らるるに付き、

久之進も供いたし立ち返り、
江戸深川の御長屋にまかり在りしが、

大坂跡勘定のため、
同年、十月、久之進は用金四百五十両を預り、

携(たずさ)えて、まかり登る処に、
道中、江尻の駅にて、盗賊のため、横死す。

これに依り、豊前守大いに怒りて、

「用金を取らるるのみか、盗賊の手に掛かりたる条、
 その身も不甲斐なし、

 又、他家への聞えも、成り難し」とて、

小野田の家、跡目相続も許されず、
家内の者、離散になりけるを、

飛沢町に住む若松屋金七と云う者、
日頃、懇意に出入りあれば、これを憐れみ、

まず我が方へ引き取りかくまい置ける。

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「江尻」は、現静岡県、静岡市江尻。

江戸時代、東海道の中でもこの辺りは、
所領、管轄が入り組んでいて、
開けた土地なのに、賊のはびこること多い地域だった。

歌舞伎の白浪五人男、
「日本駄衛門」のモデルとなった盗賊、浜嶋庄兵衛もこの辺りで活動していた。

「盗みはすれど非道はせず」と見栄をきる
芝居の日本駄衛門と違い、

実際の庄兵衛は、
富豪の商家に押し入ると、
まず皆殺しにしてから仕事に掛かった残忍な盗賊であったようだがこれは横道。




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